過去の【今日日の私】 01. 1 - 6

01. 6. 28 作品の舞台裏
 何かのCMで流れていた「♪この川を下って行ってみよう 少年の旅は始まりました…」という歌が頭にこびりついている。例によってたずね歌がきっかけだ。僕も以前聴いた時、ちょっといい曲だと思っていたけどそれっきりだった。半日くらいかけてようやくメロディーを思い出したが、全体の歌詞や歌手はいまだに謎。誰か教えてー。

 もう一つ、ちょっと前に街で流れていた「♪Love me tender 言葉よりも…」という切ない感じの歌を突然思い出し、歌詞と歌手を調べる旅へ。サビの歌詞から、タイトルはたぶん『Love me tender』だろうと見当をつけ、CDTVのサイトで曲名検索したら、D-LOOPというグループがそのタイトルの曲を1998年に歌ったことがわかった。手持ちの月刊歌謡曲のバックナンバーでメロディを確認する。当たりだった! とりあえずほしい情報がゲットできたので一件落着。だが調べている過程で、D-LOOPファンサイトの掲示板でボーカルの女の子本人の書き込みを見たのだが、このユニットで活動していた頃は人生で最悪の期間らしく「思い出すのも嫌」と書いてあってちょっと驚いた。こういうケースは時々あるね。曲(または漫画、映画)の舞台裏でアーティストやスタッフどうしが衝突し、険悪な雰囲気のまま作品ができあがる。そうとは知らずにリスナー(読者、観客)はその作品に感動する。漫画などは1人で描いているように見えるが、実は完全に編集者との共同作業だ。また原作者と作画者の間でトラブる場合もある。
 もちろん共同作業は和気あいあいと最後まで行けるのがベストだけど、不幸にして人間関係がこじれた場合でも、ともかく作品は最後まで作り上げなければ何にもならない。作り上げさえすれば、誰かの心を動かすかもしれない。件のD-LOOP掲示板には解散後の今もファンからのラブコールが寄せられている。

 別件で98年の紅白のビデオを見返した。もちろんD-LOOPは出場していない。このステージにたどりついた連中の影に、消えていった歌手やグループが星の数ほどあったんだな、と改めて感じる。両者を分けるのはちょっとした運命の歯車だったりするよね。モー娘。だって2曲目の『サマーナイトタウン』がヒットしなかったら今頃消滅していただろう。ところでそろそろこのグループの略称には「。」をつけなくてもいいことにしてくれないかな。

01. 6. 25 蚊の時間
 プレステで『蚊』というゲームソフトが登場したらしい。蚊の立場に立って、人間の血を吸うことを目指すゲーム。実物はまだ見ていないけど、空中を自由に飛び回る蚊の目から見た映像がディスプレイ上に展開されるのだろう。絵として面白そうだ。ただしおそらくゲーム世界の時間軸は人間のそれと同じで、時々巨大な人間の手の平が自分に向かって猛烈な勢いで飛んでくるという仕掛けなのだとみた。
 実際のところどうなのだ? 人間が自分の腕に停まっている蚊を叩こうとするとき、並の早さで手を動かしたのではまず99%逃げられてしまう。余程気合いを入れて、蚊が油断するタイミングを見計らい、スナップを利かせて自分の手の平を素早く振り下ろすことに全神経を集中させてようやく五分五分の勝負になる。人間から見ると、蚊にはものすごい速さで時間が流れているのだと思う。小さい動物は時間の流れが速い、と『ゾウの時間・ネズミの時間』にも書いてあった。逆に蚊にとっては、自分に向かって振りおろされる人間の手など、おそろしく緩慢な動作に見えるはずだと思う。それこそ蚊が停まるくらいに。
 『パールハーバー』の予告編を見たけど、『蚊』もまさにああいう映像になるわけだね。というか映画の絵がどんどんゲーム画面のようにアクロバティックになっていく。ゲームに負けまいとしているのか。うーむ。

 この欄の文章、今までどんどん長文化する傾向にありましたが、あまり長さにムラができることを気にすると書きにくくなるので、もう長さにはこだわりません。これからは長い日も短い日もあるでしょう。あとタイトルもつけてみました。

01. 6. 2 高支持率のメカニズム
 仕事が山積していて、今週は4日職場に泊まり込んだ。不思議に睡眠不足は感じない。労働マシーンと化している気分。睡眠欲が湧いてこなくなったのと同時に食欲も減衰して、いつもだと夕食は職場の食堂はまずいと言って外へ行くのだが、最近は抵抗なく職場の食堂を利用している。「かったるいなー」とか「うまいもん食いてー」といった煩悩が自分の中で弱まっているのを感じる。もし一年中ずっとこうなら立派なのだが、たぶん今の仕事が一段落ついた瞬間に煩悩モードにスイッチするのであろう。毎日定時に仕事する「会社員的生活パターン」と、忙しい日と暇な日の差が激しい「漫画家的生活パターン」があるとすれば、私は後者のタイプのようだ。

 さて小泉首相の支持率が80%だか90%だかという報道、どうなんだろう。よく知らないけど支持率調査って支持する/しないの二者択一なんでしょ? 自民党の偉い人も冷静にコメントしていたように、「森に比べればマシだ」ぐらいの気持ちで支持にマルをつけた人が大半だろう。まずい料理の後では普通の料理でも美味しく感じる原理。まず森氏を首相にし、徹底的に反感を買ったところで、後釜に普通の人物を据えて上記の原理で国民大多数の支持を得るという長期計画を、自民党は1年前から立てていたのではないかとすら思える。だとしたらすごい策士だな。
 もうひとつ大きいのが、評判が評判を呼ぶ効果。マスコミが高支持率を報道するのを見聞きして、浮遊的な大衆が支持へ流れ、さらに支持率がアップしているように見える。支持率とか視聴率とかアルバムセールス枚数は、ある程度の数に達するとそこから自動的に伸びていくもの。逆に、森前首相の支持率が下がっていったのも、マスコミが強力に広めた森批判の風潮に大衆が付和雷同したという要素があると思う。

 そう、支持率はあくまで支持率であって、必ずしもその人のすばらしさを表す数字ではない。にもかかわらずワイドショーや週刊誌は小泉に好意的な報道一辺倒で、少々頼りなさを感じる。
 支持率調査も二者択一でなく、(A)断然支持する(2点) (B)どちらかというと支持する(1点) (C)どちらかというと支持しない(−1点) (D)絶対に支持しない(−2点) という曖昧性を加味した調査を行なうともっと現実的な結果が出るはずだ。

 支離滅裂な文章ですいません。ていうかこんな文章書いている暇があったら寝ろって!

01. 5. 26 蛙
 たずね歌掲示板で懐かしい歌についての書き込みを見ると、しばらくその歌が頭の中を流れ続けることがしょっちゅうある。日頃何度も思い出している歌ではそのようなことはなく、記憶の片隅から数十年ぶりにホコリをかぶって出てきたような歌ほどそうなりやすい。
 つい先日は「花の街」という歌に関する質問が来た。ママさんコーラス界ではあまりにもポピュラーな歌ではあるが、私にとっては中学の音楽の授業で習って以来だ。懐かしさのあまり、こちらも頭の中が花の街になってしまい、仕事しながら「♪七色の谷を越えて〜」などと実際に声に出して歌ったりしていた。周りの人には変に思われたことだろう。奇しくも作曲者の團伊久磨氏が亡くなる数日前のことであった。

 そして昨日あたりから私は、ふとしたはずみで「♪一番目のかえるは〜」と口ずさんでいる。「五匹のかえる」という、昔みんなのうたで流れていた歌である。といっても聴いた記憶はなく、中学の頃に楽譜集で見ただけであった。これも20年以上頭の中でホコリをかぶっていた歌だが、掲示板でメロディの一部を目にしたらたちまち芋づる式に歌全体のメロディが甦って感動した。こういうとき歌詞は必ずしも甦らない。自分には詞よりもメロディのほうが強く心に作用するんだな、と思う。
 この歌の作詞は草野心平氏だと初めて知った。カエルの詩ばかり書いたことで有名な詩人である。なるほど、いかにも草野さん的な詞だ。久々に彼の詩集を見てみた。音使いが大胆な、前衛的な作品が多い。たとえば「春殖」という詩はこんなの。

 るるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるる

 無断引用すると著作権法に引っかかるかな。えーと、じつはこれは草野さんの詩ではなくて、居眠りしてPCのキーボードを押し続けてしまったんです。違うか。

 カエルといえば私の住居の前は田んぼで、毎年4月中頃に水を張ると、その日の夜から るるり りりりとカエルの大合唱が始まるのだ。いったい彼らはどこからやってくるのだろうか。毎年不思議だけれどもいまだに真相は謎。

01. 5. 18 ビデオ人間の会話
「はー」
「どうしたんだ」
「いや、『北条時宗』の見てない回が10回分くらいビデオでたまっててさ。これからそれを全部見るのかと思うと気が重くて」
「実はあんまり見たくないんだろう。和泉元弥、嫌いなのか?」
「まだ和泉元弥も出て来てないんだ」
「やめちゃえ。でもたしかに大河とか1時間ドラマは1回見逃すと全然分からないよな。朝の連ドラだと、1回見逃しても次の回の冒頭に軽い説明があってだいたい話が分かるようになってるけど」
「ということは、朝の連ドラは1回おきに見ても話が通じるわけだ。時間を半分に節約できるぞ」
「それもどうかと思う」
「ビデオを早送りしたらもっと時間を節約できるな」
「内容わかんないよ。昔、洋画のビデオを早送りして見ようとしたことがあったけど。台詞は字幕だから音がなくても話がわかると思って」
「なるほど。で、どうだった?」
「どれが誰の台詞かわからなくて、結局話もわからなかった」
「そうか」
「やっぱりストーリーものは1時間なら1時間かけて見なければ邪道だよ。バラエティはよく早送りで見るけど」
「そうそう、仮装大賞なんかは早送りして面白そうなのだけ見る」
「でもうまく止めないと行き過ぎて、オチを見ちゃうんだよな」
「1時間の番組を何分で見たかを測れば、どれだけ熱心に見たかのバロメーターになるな」
「面白いと思ったら繰り返し見るから、見た時間が元の時間より長くなる。なかなかそんな番組はないけど」
「しかしたまったビデオをどうにかしないと」
「ウェラブルのビデオ再生装置があればいいな。再生機は腰に下げて、ディスプレイはサングラスみたいに目の前にあるの。道を歩きながらでも録画が見られる」
「うーん、現実と仮想の区別がつかなくなりそうだよ、それ」

01. 5. 10 金沢 ←→ 東京
 お久しぶりです。GWというか4日連休には帰省してきました。ちなみに有給って使ったことありません(無条件に与えられる夏休みと年末年始休みは有給に含めず)。

 金沢=東京間を移動する時は、特急はくたかと上越新幹線あさひを使うことが多い。これ以外にもいくつか手段があるが、各々メリットとデメリットがあるので場合に応じて使い分ける。比較してみるとこんな感じ。

所要時間の短さ料金の安さ窓の景色疲労の少なさ総合(*)
はくたか+あさひ7
飛行機××6
高速バス×5
急行能登××3
自家用車××2
 *) ◎3点、○2点、△1点、×0点、××−1点として計算

 私の実家は羽田からは1時間半くらいかかるので、door to door の所要時間で比べると、飛行機と はくたか+あさひでは大差なくなる。逆に大田区に用事のある人は飛行機を使うのに比較的抵抗がないかもしれない。結果、はくたか+あさひがずば抜けた特長もないかわりに大きな欠点もなくコンスタントに点を稼いで1位。これ以外の交通手段(例:鈍行列車、自転車、徒歩、キックボード)は試したことがないので除外です。そういえば昔、B21スペシャルがTVの企画で東京から金沢までローラースルーGOGOで行くのに挑戦していたなあ。

 さて金沢への帰り道、越後湯沢で はくたか に乗り換える時に通常8〜10分の時間で連絡するようにダイヤが組まれているが、自由席だと座るために走らなければならない。はくたかは越後湯沢始発だから1本前の新幹線に乗ればたいてい余裕で座れる。ところが今回(5/6)は1本前に乗っても座れなかった。GW最終日を甘く見ていたな。直江津で座れたのでまだラッキーだったけど。

01. 4. 26 トレロカモミロ放送中!
 御覧になった方もおられると思いますが、いまみんなのうたで「トレロ カモミロ」の再放送をやっているのですよ。以前書いたとおり、この曲の初放送は1970年、なんと31年前。みんなのうた1200曲ある中で、30年以上たって再放送されたのはこの曲だけであろう。

 実は既に何度も再放送されているが、私は見るのはほとんど30年ぶり。さっそく録画して見てみた。うーむ、実にトレロ、じゃなかったレトロだ。シンセの普及していない時代だから音はアナログでシンプル、アニメーションもカラーではあるものの動きが少ない。思えば当時のTVアニメ番組ってみんなこんな感じだった。
 しかし、比べて悪いが、先月の「タチツテト手を」のような豪華スタッフを擁して手間暇かけた歌(高橋真梨子、しりあがり寿、ラッキィ池田、田中ケイコ、毛利厚といった各界のアーティストが参加していた)よりも、このシンプルな歌が当時の子供に与えたインパクトははるかに大きかったのではないか。
 さてはたして今の子がこれを見てどう感じるのか…と思っていたら、某掲示板に小学生らしい子の書き込みがあり、今までみんなのうたに無関心だったけど今回の「トレロ カモミロ」とカップリングの「メトロポリタン美術館」を聴いて興味がわいた、という意味のことが書いてあった。今の子も昔の子と同じようにこの曲に感じるものがあると知って、昔の子としては嬉しかったよ。

 「メトロポリタン美術館」もいいですね。不思議な雰囲気の曲と人形アニメが見事にマッチしている。これをきっかけに私は第3次みんなのうたオタク期に突入…はしないけど、2ヶ月ごとに変わる放送曲のチェックだけは忘れずにしようと決めた。

01. 4. 22 理系人間の言語感覚
 先週花見に行ったときのひとコマ。地べたにシートを敷いてその上に食べ物を並べていたら、ピザを置いた場所の下地がでこぼこしていたのでピザの紙皿が傾いていた。同僚が「ここ傾斜してますね」と言ってピザを横にずらし、「よし、これで平坦になった」と言った。
 上の台詞、我々にとっては何の違和感もないものだが、たぶん世の中の一般の人から見ると「やっぱり理科系の人間は言葉が硬いな」という感想を持たれるのであろう。

 以前新聞の読者投稿欄に載っていた笑い話。ある女性が理科系の男性とお見合いをした。登山を趣味とする彼女が、最近も○○山というところに登ってきたという話をしたら、相手の男が「その山は標高何メートルですか?」と訊ねたという。まったく理系の男は…というオチ。
 これを読んだとき私は逆にハッとさせられた。そうか、こんな聞き方は笑い話になるくらいヘンに思われるのか。
 私も昔からこの男性と同じ癖があって、人の話を聴いていてイメージを確かめたいときについ数字で量を訊ねてしまうことが多い。この彼も、どのくらい登るのが大変な山なのかを知りたかっただけなんだろうが、相手にすれば標高何メートルかなんて「知らねえよ、そんなこと」と言いたくなるような些末な情報にはちがいない。子供のけんかでよく使われる「オレがいつそんなこと言ったよ。何年何月何日何時何分何秒だよ」というフレーズにちょっと近いものがあるな。要は話術の問題で、同じ内容を言うのでもちょっと表現を工夫するだけですんなり受け入れられる台詞になるだろう。

 ある種の理系の職業では会話上でも可能な限り熟語を使い、ものの量や度合は極力数字で表わすことを要求される。情報が誤って伝達されると命取りになるおそれがあるからだ。そんな彼らが仕事を離れた場面でやわらかい言葉に切り替えるのは、大げさに言えば2カ国語を使い分けるようなもの。私も含めた、そういう切替えが不器用な理系人間が、他の人々には外国人のように見えたとしても無理はないが、我々も努力するのでどうか御理解賜りたくお願い致す所存であります。

01. 4. 14 右耳
 昨日はノーベル賞を白川博士と共同受賞したHeeger教授の講演会を聴きに行った。話の内容は面白かったが、同時通訳のイヤホンが耳に引っ掛けるタイプで音が漏れまくり。他の聴衆のイヤホンから出る日本語のささやき声が会場じゅうに満ちてちょっとイヤだった。
 ところで私は見なかったが「あるある大事典」で、左耳よりも右耳のほうが左脳の言語野への経路が近い、だから電話するときも受話器を右耳に当てたほうが内容をよく理解できるという話をしていたそうだ。本当かな。私は受話器は大抵左手で持つのでわからない。だって右手はメモするのに使うじゃないか! 肩で受話器をはさめば右耳に当てながら右手をフリーにできるけど。
 そういえば、ドラマなどでこんなシーンをよく見るような気がする。

♪プルルルル(電話がかかってくる)
主婦「(受話器を取り、左耳に当てる)はい、○○でございます」
男の声「おたくの娘さんをあずかっている」
主婦「えっ?……(あわてて受話器を持ち替えて右耳に当てる)もしもし? もしもし?」

 電話の内容が重要だと判断した時に、登場人物が受話器を持ち替える。これって相手の言う事を少しでもよく聴き取ろうとする無意識の行動(という演出)なんだろうか。そしてその裏には上に述べたような耳と脳の構造が関係している(と演出家は考えている)のだろうか。でも現実世界でこんな行動をする人はあまり見たことがない。
 いざというとき右耳に受話器を当てる人募集。ついでに、熱いものに触ったあと耳たぶに手をやる人も募集。

01. 4. 4 フォント
 そんなわけで(どんなわけだ)3月には3回も上京してしまった。4月は石川県から一歩も出ない予定。いや決めなくても。3月も終りという頃に東京で雪が降ったのにはビックリだったが、いくらなんでももう降らないだろうな。春が来た! と書いてもいい…かな?
 旅行中はまんが喫茶やインターネットカフェでネットしていたのだけど、今回改めてWindows機で自分の頁を見て重大な過ちに気付いた。Windowsでは漢字・かなの幅が字によって違うんだね。普段使っているMacやUNIXでは、全角でフォントサイズが同じなら幅は字によらず一定なので、それを利用して今まで耳コピのギターコードダイヤグラムをテキストの●や−で描いていた。しかしそれをWindowsで表示すると、●と−で幅が違うのでダイヤグラムの形が崩れてしまうのであった。すべて画像で載せなければならないのかな。ああ面倒臭い。それでなくてもInternet ExplorerとNetscapeでは字体や行間が違っていたりする。字のバランスや美しさがないがしろにされており、ネットの世界では文字は完全に情報であって美術的要素を全く持たないことを実感する。印刷の世界では活字は情報を伝えるだけでなく、その造形が視覚に作用する効果も重要だ。だからこそ何百種類ものフォントが開発されてきた。レタリングに興味がある方ならネットのテキストは物足りないと思うはずだ。将来、ブラウザの機能が充実したら、様々なフォントを表示できるようになるのかもしれないけど、それでも紙の本は無くならないだろうね。
 ところで高速通信回線を導入している渋谷のネットカフェに行った。通信速度1.6Mbpsということで、なるほど自宅や他所のカフェでは現れるのに何十秒もかかる頁が一瞬にして現れるので気持ち良い。表示待ちのロスタイムが限りなくゼロに近付くなら、30分380円という料金も高くはないかも。

01. 3. 27 部屋の整理…遅々として進まず。
【歌の途中で違う曲に変わるシリーズ】
♪街のあかりが とてもきれいね 横浜くわえたドラネコ…
(どちらも同じ時期の筒美京平氏の曲です)

 しばらく忙しい日が続いていたので部屋の整理などを。といっても古新聞雑誌とかビデオテープのようにコンテンツを持っている(=処分に時間がかかるわりに体積の小さい)モノをちまちまと片付けている。ベッドとか捨てたら一瞬で部屋の体積占有率が下がるんだけどねー。
 新聞はとりあえず全ページ目を通さないと捨てられない性格だ。おかげで古新聞が山を成しており、その下のほうには1999年の日付の新聞が宿便のように残っている。これは24時間営業の牛丼屋の紅ショウガは常に上から補充しているので容器の下のほうには開店当時の紅ショウガが残っている(嘘か本当か知らないが)という原理と同じ。こういうものは気分を変えると処理速度が増す。旅先に古新聞の束をわざわざ持っていって目を通し、ようやくすべての新聞を古紙回収業者に引き渡せる状態にした。
 ビデオテープ処理の場合は、テープを捨てるのではなく、録画しておいた番組を視聴して、そのテープを再利用できる状態に戻すこと。約1ヶ月間に録ったTV番組が3本のVHSテープに入っている(3倍速でね)。もちろんさまざまな番組が共存していて、それらを全部見てしまうことが望ましいのだが、時間がないのでまずは「オードリー」だけ選んで、できれば本放送に追い付きたいと思いながらひたすら見る。1ヶ月のブランクは大きいが、間の回を飛ばして先を見ることは極力しない。いまは椿屋の玄関で滝乃が倒れる回まで見た。でも今日ちらっと本放送を見たら、すでに舞台は18年経っていて幹幸太郎の息子が出ていたりして、がく然とする。で今週最終週なんでしょ。今晩からまた旅に出なければいけないし、ああもう追い付けないな。

01. 3. 11 発展するレゴ
 仕事のほうで大きなプロジェクトが無事終って、久々にリラックスした休日。
 文房具屋に行ったら「レゴ手帳」というものが売られていて、思わずおおおと声を上げる。システム手帳に似ているが、15cm×15cmくらいの正方形で、カバーはプラスチック製で、閉じると1つの薄い箱となる。その表紙にはレゴブロックの上面の出っぱりを正確に拡大した直径3cm高さ1cmくらいの出っぱりが4個ついている。意味無ぇ〜。出っぱりのぶんだけかさばるじゃんよ。とはいえこの製品のコンセプトはかつてレゴマニアだったわたくしの目を強く引いたね。買わないけど。
 パソコンとその周辺機器をレゴ方式で機械的に連結する(同時にデータ授受端子も接続され、ケーブルが不要となる)、というアイデアがたのみこむというサイトで提案されていた。これは斬新なアイデアだ。ふむ、電子手帳も同じ規格でレゴ化すればデータのやりとりに便利かも。携帯電話を充電器に立てていると時々外れることがあるけど、これもレゴ方式にしたら扱いやすいだろう。
 東大などのロボット工学の研究室で、ロボットの試作にレゴを使っていると聞いたことがある。組み立て、組み直しがすぐにできるので重宝されているのだ。そのうち人が住む家を建てるのもレゴ方式で超安価でできるようになったりして。間取りや窓の位置をちょっと変えたいな、3階を増築しようかな、などと思い立った瞬間にすぐ実行できる。まあ本当に住むにはいろいろ問題があるけど、施主の意向を形にした実物大のモデルハウスを作るのに使えないだろうか?

01. 3. 1 うたのミーム
 2月4日の当欄に書いた、探しているミュージカルの曲というのは、27年くらい前に見たNHKこどもミュージカルのオープニングで歌われた「幕をあけよう」という曲だったんだけど、その後、当時同じ劇を見た方が、わざわざパンフレットを探し出して歌詞を教えて下さった。感謝感激! まるで小学校時代の級友に久しぶりに再会したような懐かしさに浸ることができた。
 歌詞を知った後で、試しにgoogleでこの曲名を検索してみたら、最近、東京のとある小学校の学芸会で歌われたことがわかる。おお、今でも歌う人がいたのか。とうに絶滅してしまったかに見えたこの歌のミームがこんなところで生きていたとは。小学校の音楽の先生って、教科書にないような歌をどこからか掘り出してきて児童に教えることがあるよね。そんな先生の努力によって、埋もれていた歌が息を吹き返し、ふたたびタンポポの綿毛のように日本中に広がっていくケースもしばしばあるのかもしれない。
 それとももしかするとこの歌は、この小学校に限らず、コドモ界ではポピュラーな歌だったりするのかな?
 およそ大正から平成までの歌には広く(浅く)通じているつもりだったけれども、最近のコドモ文化にはさすがに疎くなった。無理からぬことではある。

01. 2. 25 研いであるコメ
 研ぐ必要のない米(いわゆる無洗米)が10年くらい前から細々と市販されている。今年あたりから売上げが伸びそうだ、と今日の朝日新聞に書いてあった。今までどうして売れていなかったのか不思議。
 自慢じゃないけど私は米を研ぐのが嫌いなのだ。もしも米を研ぐという作業が私に快感をもたらすものであれば、私は毎日米を研ぐだろうが、残念ながらそうではない。どこがイヤかというと、まず第一にどこまで研げばいいのかわからないこと。研いでも研いでも粉が出てくるから、ゴールが見えず達成感が得られない。そして、大雑把な性格だから、手にひっついた米を払ったり、水を切る時に手の間からこぼれて流しに落ちた米を拾ったりするのがイライラする。夜遅くに帰ってきて、これから米を研ぐのかと思うとゲンナリして、明日の朝は出勤途中でパンと缶コーヒーを買おう、なんてことも。
 最近は無洗米を使っているので、朝食を作るのが以前より億劫でない。研いであるコメ。切ってあるバター。混ぜてある塩とコショウ。こういった便利商品は仕事しながら家事する者にはありがたい。不精だ、との批判はあろうが、無洗米を使うことによって自炊をする回数が増えるのだからかえって自身のアクティビティは高まっているのだ(と思う)。
 一方、カーナビとか、2万色表示できる携帯電話などは、いくら便利だと言われても「そんなモノは要らん」と思う。無洗米とどこが違うのかを説明するのは難しい。ま、人それぞれということで。

01. 2. 17 1000ヒット
 1日平均5名の読者の皆様、こんにちは、いかがお過ごしですか? おかげさまをもちまして当サイトへのアクセスが1000を突破しましたいぇーい♪(拍手)。カウンタを設置してから7ヶ月、約200日かかりました。1日5ヒット。更新頻度も少ないし、ほとんど宣伝していないので、これだけ積み重なっただけでもありがたいことでございます。逆にアクセスが多すぎると自由に書けなくなるといった制約も出てまいります。たとえば将来何らかの理由でこのサイトがブレイクして1日300ヒットくらい記録するような事態には、間違ってもならないでしょうし、それを望むものでもございません。当分は今のようなペースでやっていきたいと思います。変わらぬ御愛顧の程ひとつよろしく。
 遅ればせながら1000ヒット記念に掲示板を設置いたしました。今までは自分の意見や好みを一方的に書き散らしておりましたが、それに対し読者の方がどう反応されるか知りたいと思った次第です。記事に対するご意見ご感想、その他なんでもお気軽にお書き込みいただければ幸いです。アクセス増えるかな(あ、本音が出た)。

01. 2. 12 ラーメン
 先週末は飲み会があり、翌日はやや二日酔いにつき朝昼晩と3軒のラーメン屋をはしご。最近愛好しているラーメン屋ベスト5は「もきち」「支那そば屋」「花月」「天翔」「世界」ってとこかな。飲んだ後は「支那そば屋」のねぎラーメンがいい。スープが五臓六腑に染み渡る。「もきち」はチャーシューが美味。ラーメン屋の腕はチャーシューの味でわかると思う。粘土のような雑味のあるチャーシューを出す店のなんと多いことか。その点、ここのチャーシューは掛け値なしに満足させてくれる。「全日本」のラーメンに乗っている豚肉も柔らかくて美味しいけど、正確に言うとあれは焼豚ではなく、煮豚です。いや、煮豚は煮豚でいいんだけど。煮豚なら富山の「きりん飯店」のラーメンも一度お試しあれ。(以上、北陸ローカルネタでした。失礼)

【似てる曲シリーズ】
・「とにかく無性に…」(Globe)の ♪とにかく、無性に、あなたに会いたい… のくだりは、「静かな湖畔」の♪カッコー、カッコー、カッコー… と同じメロディだ。
・「サウダージ」(ポルノグラフィティ)は、テンポを2倍遅くするとアントニオ猪木のリング登場時にかかる「闘魂のテーマ」に早変わり。
・「I'm here saying nothing」(矢井田瞳)のサビ部分を長調にすると、昔みんなのうたで流れていた「父さんのつくった歌」(市場衛)にそっくり。… 知らない? あ、そう。

01. 2. 4 歌さがし
 最近ハマっているサイトは、♪たずね歌・さがし歌・わすれ歌♪。「○○○のテーマソングを知りたい」「こういう出だしの歌なんですが、全体の歌詞が思い出せません」といった質問をしたり、知っている人がそれに答えたりする掲示板である。ここには歌についてきわめて広い知識をお持ちの常連さんたちがおられ、大抵の場合ただちにレスが返ってくる。自分の子供の頃に親しんだ懐かしい歌が話題になると、記憶の隅っこに風が通り抜けるようで快い。私も20年前の歌本が何冊か手元にあるので、たまたまその頃の曲の情報依頼があった時には教えてさしあげることがある。自分が答えられるとそれだけで嬉しいし、依頼者の方から感謝の言葉が返ってきた時はさらにハッピーになれる。
 だが時々、これだけ充実したサイトでもわからない歌がある。そんなとき、歌の発表当時には大勢の人が知っていた筈なのに…というもどかしさを強く感じる。一時期は週に何度も電波に乗っていたあの歌を覚えている人はいないのか。数万人はいたと思われるあのミュージカルの聴衆はどこへ散らばってしまったのか。こういう寿命の短い歌になると、検索エンジンすらほとんど役に立たない。インターネット、まだまだですな。
 インターネットが無かった時代に古い歌を知りたい時はどうしていたかというと、国会図書館へ行ってレコード資料室でレコードを聴いたり歌詞カードを書き写したりしていたのだ。知るかぎり、今でもこれが最も確実な方法だ。私はこの手段で「夕焼けの空」(坂本九)「奇跡の歌」(山本リンダ)「ハーモニカブルース」(小沢昭一)「ミドリ色の屋根」(ルネ)といった歌の詞やメロディーを手に入れた。しかし、たまーにここでもわからない場合がある。どこかに各放送局・レコード会社全面協力のもと、古今東西あらゆる「うた」を完璧に網羅したライブラリーができないかなあ。

01. 1. 25 あえて時代の匂いを消す
 「オードリー」は面白く見ている。特に主人公たちがTV時代劇の製作に携わるくだりは、仲間が集まって一つのものを作り上げていくことの充実感が伝わってきて、元映研部員の私は感情移入して見ていた。ただしこのドラマでは、時代考証というものはあまり厳密にはなされていない。ドラマに登場する撮影機材などは当時のものを忠実に再現しているらしいが、台詞にはそういうこだわりはない。物語の時代(昭和47年〜51年)にはまだ無かったと思われる単語や言いまわしが出てくる。
・「あの脚本家はイマイチや」(幹幸太郎がTV時代劇の出演依頼に難色を示す場面。もしかすると関西では古い言葉か?)
・「そんなことまで監視するんだ」(錠島が関川に言う台詞。「…するのか」という疑問、確認の意味で「…するんだ」という言い方が使われだしたのはもっと後であろう)
・「なんだかなあ…」(美月の母が夫を相手にぼやくシーン。昭和51年当時はまだ無かった言い方だと思う)
 逆に、当時の独特の流行語などは全くと言っていいほど登場しない。
 あとは女性の化粧。昭和47年には日本中の若い女性が濃厚な付けまつげをしていた筈だと思うのだが、ドラマには付けまつげ女性は一人も出てこない。まああのファッションを当時やっていた女性たちの多くは、その過去を自分の記憶から消し去りたいだろうから(失礼)。
 こう書くとまるでアラ探しをして楽しんでいるように見えるが、実はそうなのだ。ただし決してドラマやその脚本家をけなしているわけではない。面白いドラマであることには変わりない。視聴者にドラマ世界へ入り込ませるため、強い時代ギャップを伴う台詞や小道具はあえて排除する方針なのだろう。実際、昭和48〜49年頃に作られた日本の青春映画など見ると、物語よりも人物のファッションや話し言葉ばかりが強烈に印象に残ってしまうのである。

01. 1. 18 大雪、ほか
 ここ北陸は15年ぶりの大雪とかで、久しぶりに全国版のニュースになりましたね。先週の土曜から今日(木曜)まで、少々のインターバルはあるもののずーっと降りっぱなし。小分けにして降ってくれんかね、と思う。1台の車の屋根に積もった雪でかまくらが1個作れそうな勢いだ。子供の頃は雪の少ない地域に住んでいたので、かまくらというものに非常に憧れていたことを思い出した。作れる状況にある今ではそんなもの作りたいとも思わない皮肉(笑)。
 その北陸が舞台の来年のNHK大河「利家とまつ」の主役が唐沢寿明と松嶋菜々子に決定したとのこと。「時宗」もまだ2回しか放送してないのに、最近は主役が決まるのが早いね。ともあれ松嶋菜々子が出ることでこのドラマは注目を集めそうだ。題名を見ると2人が主人公のようだが、たぶん実質は奥さんの まつ がメインになると見た。
 朝日新聞の4コマ「ののちゃん」にちょっとした異変があった。今までは実際にいそうな普通の人々の話で、現実にありえないようなエピソードは描かれなかったのに、ここにきて突如空飛ぶスーパーヒーロー「ワンマンマン」が登場。しかも明示されていないがモデルは読売の渡辺恒雄社長だ。やるなあ朝日。いいのか朝日。

01. 1. 13 PowerBook G4、ほか
 冬です。どんより曇った空。吹きつける寒風。容赦なく降りしきる雪。ここ石川はまさに典型的な日本海側の冬の気候のまっただ中。毎日通勤時に通っている天狗橋もちょうど映画「ゼロの焦点」の中のそれと似た雪景色を呈していて、高千穂ひづると有馬稲子のシーンが思い出されるのであった。
 マックのPowerBook G4が発表されましたね。キーが黒いことだけは予想通りだったけど、ボディは透明でなくチタン製だそうだ。そりゃそうか。考えてみればCubeもスケルトンだったわけではなく、クリーム色のボディを透明アクリルが包んで支持していただけだった。もしノートで同じことをすれば単なるスペースの無駄使いに過ぎない。iMacは透明だがiBookは乳白色だったことを見ても、対応するデスクトップとノートを完全に同じ色にするという発想はメーカー側には必ずしもないことがわかる。でもスケルトンのノートってちょっと見てみたい。
 「北条時宗」1回目見る。何度か見たところで感想など書きたいと思うが、ここでは1つだけ、下手なCGを多用しないでくれ、と言いたい。小舟が嵐に遭っている冒頭シーン、大仏がグラグラ揺れるシーン(「何だこりゃ」と思った人多いでしょう)、さらにオープニングタイトルバックの草原を駆ける馬の絵。NHKの(世界の?)CG技術は「使っていることが見る人にわからないくらい自然なCG」にはまだ達していないのか、それとも金と時間をかければもっと自然な絵を作れるのかは知らないが、とにかくプレステのようなわざとらしい絵ではなく、重厚な映像を見せてほしい。大河なんだから。

01. 1. 5 目標
 新年&新世紀あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。
 近々HPの全面改訂するぞ! と言いながら仕事が忙しくてなかなか手が回りそうにありません。春くらいまではこのスタイルのままでいきそうです。まあ今まで通り気軽におつきあいいただければ幸いです。変えたいところは (1) トップページをフレーム構造にする、(2) 掲示板を設ける、(3) 壁紙を導入する、そしてこれが一番大きい (4) 民間の業者のサーバーに移転する。どれもこれも世の中のHP作者の皆さんはとっくにやっておられることですが、いまだにウェブ初心者でかつhtmlでソースを書いている私にはちょっと荷が重いのです。ちなみに必ずしも民間のサーバーに引っ越さなくてもいいのだろうけど、やはりここの頁(After 5)は私が好き勝手なことを書き散らしている頁なので、職場のサーバーの容量をタダで食っているのは気が引けるかなと。
 近況。帰省から戻って4日から出勤しました。いきなりエッチング装置が使用不能になってました。今年もトラブルシューティングに明け暮れるのだろうか。いや、そうはさせるまい。

00. 6 - 12   01. 1 - 6   01. 7 - 12   02. 1 - 6   02. 7 - 12  
更新履歴

01. 4. 22 レイアウトのタグを書き換え、Internet Explorerでも正しく表示するようになりました。
01. 2. 17 掲示板を設置!
01. 1. 31「米国見聞メモ」に「買う 〜インコンビニエンス・ストア〜」をUP。
01. 1. 27「メディア雑感」に「視聴率を考える(1)」をUP。
01. 1. 6「メディア短感」コーナーを廃止。それまでの内容はすべて「メディア雑感」に統合。
01. 1. 5「メディア雑感」に「トレロカモミロ」「マヌエロ」をUP。
After 5