過去の【今日日の私】 02. 7 - 12

02. 12. 26 武蔵と満天
「来年の大河ドラマ『武蔵』の音楽担当、誰だか知ってる?」
「いや、知らん」
「ぼく毎年誰が担当するか楽しみでさ、過去には芥川也寸志、池辺晋一郎、山本直純、三枝成彰等々といった大御所が担当してきたけど、ここんとこ数年はあまりビッグネームではない若い作曲家だったよね」
「で、来年は誰なんだよ」
「聞いてびっくり。エンニオ・モリコーネだって!」
「ええっ! あの『荒野の用心棒』や『海の上のピアニスト』の? テーマ曲だけでなく劇伴までやらせるのか? そりゃぜいたくだな。でもイタリアにいるんだろ、いったいどうやって曲作りをするんだ」
「なんでもスタッフが何度か彼に会いに行って、ストーリーや製作方針を説明しただけで、彼は撮影した映像も見ずに自分でイメージをふくらませて、テーマと38曲の劇伴を完成させたらしい」
「なんだ。38曲だけか。いつもなら大河の劇伴は、毎回毎回映像が出来上がったところで作曲家がそれを見て曲をつけるんだろ。『元禄繚乱』に池辺晋一郎が書いた曲の数は600曲だっていうぜ」
「ん、まあ、今回はそのやり方はやめて、普通のドラマみたいに同じ曲を何度も使い回すんだろうね。だってさ、そもそも600曲も必要か?」
「見てる側が“またこの曲か”と飽きるかどうかだな」
「とにかくモリコーネの音楽が聴けるだけで、このドラマは観る価値があるよ」
「もしドラマがつまらなかったら、オレはサントラだけ聴くわ」

「ところで『まんてん』は見てるかい?」
「ああ、あれツッコミどころ満載だよな。「めっちゃうれしかー!」なんて地元では絶対言わねえ、って週刊誌に書いてあった」
「それは主人公のユニークな造語という設定じゃないのかな。酒井法子の「マンモスうれぴー!」みたいな」
「古いね、例えが」
「まあ方言が出てくるドラマはどれも地元の人が見ると「ちがーう!」と思うみたいだよ」
「あと出てくる小道具も時代設定とずれてるのが多いぞ。いま舞台は1997年という設定だろう、97年にあんなスリムなケータイが普及してたか? 97年にパソコンの液晶ディスプレイが広く使われていたか?」
「それは物語の本質とあまり関係ないところだから‥」
「あとな、伝説の気象予報士の柴田さんな、3年前に自分の天候判断ミスで人が死んだために気象予報の仕事を辞めた、って話だよな」
「うん」
「気象予報士制度が誕生したのが93年1月だぜ。それから柴田さんは気象予報士試験に合格して、気象予報の会社に入って、その世界で神様と呼ばれるようになって、仕事の得意先の男と予報士の後輩の女と3人で山に登って、その得意先と後輩が婚約して、94年冬に判断ミスをして会社を辞める。その間2年も経ってないんだ。ありえねえだろ?」
「そんな短期間で神様と呼ばれたからこそ、伝説の予報士なんだよ」
「わけわかんねえよ」
「たしかに映画と比べて連ドラは考証に手を抜いているね。時間や費用の関係もあるんだろう」
「オレはたまには徹底的にリアルな連ドラを見てみたいね。1970年が舞台なら服装や化粧も正確に70年のものを」
「だからー、本当の70年のファッションは今見たらヘンなんだってば」

02. 12. 19 このあとのNHKの番組から
 かねてから一部で報道されていたとおり、紅白歌合戦で平井堅と中島みゆきは中継で歌うことが正式に発表された。紅白で歌手が中継で歌うのは1990年以来である。この年は長渕剛がわざわざベルリンまで行って悪態をつきまくった中継や、宮沢りえが高輪のビルの屋上で風呂に入って歌う意味不明の中継などが印象に残っていますな。
 まあこの失態のせいだけではなく、やっぱりお祭りなので皆が一箇所に集まって歌うほうが楽しいと思うから、もともと紅白の中継にはあまり賛成ではない。といっても最近の紅白は自分の出番だけ出てトットと帰る歌手も多いから、そもそも「皆で一緒に」という雰囲気が薄れてきたのは確か。それならば何人かは珍しい景色の中で歌うほうが人目を引くかな。

 ああ、そういえば昔ザ・ベストテンで、歌手が中継で歌うときはスタジオのときよりも集中して見ていたような気がする。あの番組の中継の場合は、どうしてもスタジオに来られない歌手が、それでもなんとかして番組に参加するという熱意の表れのように感じられたものだ。中継で参加した歌手を、番組最後にもう一度呼び出すのも楽しかった。
 紅白の場合は中継をやるためにわざわざ現地に飛ぶのだから、ベストテンみたいに「ひょっとしたら歌手は放送に間に合わないかも」なんていうハプニングやスリルは無いけど、やはり離れていても心は一つ的な熱意が伝わってくるような構成・演出を期待したいです。

 黒四ダムで「地上の星」を歌う中島みゆきはなかなかすごい映像になりそうだ。真冬の厳寒の地で歌手が歌い、その電波を地形の険しい山奥から全世界に飛ばすという計画自体が、もしかするとプロジェクトXなみの挑戦なのかも。

02. 12. 10 LIER
 今思えば『古畑任三郎』の犯人が観念した時のシーンはどれも美しかったな、と思う(例外もあるけど)。
 古畑と犯人の息を飲む言い合いの末、強硬な抗弁を続けていた犯人がついに降参する。そして静かに自分の素直な心情を古畑に吐露する。まるで旧友に語りかけるように。もしくは試合に敗れた選手が対戦相手と握手を交わすように。

「テーブルの上のお菓子を食べたのはあなたですね?」
「ちがうちがう、私じゃない、だいいちテーブルの赤福なんて見てもいない」
「私は“お菓子”と言ったのにどうして赤福だと御存知なんです?」
「‥‥」
「それは、あなたが食べたからです。そうですね?」
「‥その通りです‥‥(遠い目をして)古畑さん‥、私は一度でいいから本物の赤福を食べたくて云々」

 最終回のオープニングで古畑が、多くの事件を解決してきたが犯人はみな最後には潔く罪を認めた、それが私の誇りだ、という意味の独白をしていた。
 現実にはこんなふうにわかりやすい墓穴を犯人が掘ることは少ない。なのでどうしても科学の力を借りたり証人の証言を使わざるを得ない。

「祭りのカレーの鍋にヒ素を入れたのはあなたですね?」
「ちがうちがう、私じゃない、ヒ素なんて入れてない」
「ではこれを御覧下さい。Spring8の高輝度放射光による蛍光分析で、あなたの家にあった農薬と同じ成分が鍋のカレーに検出されたんです」
「ちがうちがう、私じゃない私じゃない」(‥‥以下永遠に続く)

 科学って何なの? 今じゃ科学的な分析による証拠を突き付けてもこの始末。科学が神通力を失っているということか。嘘つきが科学者の中に紛れ込んで、科学の世界を大混乱に陥れることもあるし。
 とにかく嘘つきを相手にするのは疲れる。

「あなたは強制収容所を作って多くの人に無惨な仕打ちをしていますね?」
「ちがうちがう、そんなものは作っていない」
「ではこれを御覧下さい。気象衛星からの航空写真に収容所が写っています。あなたの国から亡命して来た男性も収容所の実態を証言しているんです」
「ちがうちがう、作っていない作っていない」(‥‥以下永遠に続く)

 このところ毎日のように朝8時からの番組で、あの国の重苦しい実態を目にして、暗い気分で一日が始まる。
 かの国の指導者が真情を吐露する日は来るのだろうか。いつまで嘘つきを相手にしなければならないのだろうか。

02. 11. 29 安漫画
 しばらく前、復刊ドットコムというサイトで『T.Pぼん』(藤子・F・不二雄)の復刊リクエストを募っているのを見つけて、自分も好きな作品だったので復刊を希望する一票を投じておいた。やがてその甲斐あってめでたく出版社と交渉が成立して、今年の8月から毎月1冊ずつ発行されている。
 といってもコンビニなんかで並んでいる、廉価版コミックっていうの? あのシリーズね。きっと普通のコミックスに比べるとすぐ市場から消えてしまうのだろう。
 でも一時的にせよ、古い作品が息を吹き返して、新しい読者の目に止まることは嬉しい。

 驚いたことに、最近は百円均一ショップでも本を売っている。百均専用に作られたれっきとした新刊本。もちろん百円!
 昨日、ダイソーに行ったついでに、コミックコーナーを物色してみた。造本や印刷は、まあコンビニの廉価版コミックくらいのレベルではある。既に絶版になっている作品を再出版しているので、すごくメジャーな作品はなくて、どちらかというと忘れられた、それでいて広く受け入れられやすい癖のない作品がラインナップされるようだ。30〜40代の人には懐かしい作品がちらほら。
 書店には流通しない特殊な本だけど、こういう場合も印税は作者に行くのかな。

 BOOK-OFFなどの新古書店があまり幅をきかせると新刊コミックが売れなくなるというので、出版社や漫画家たちが抗議運動しているね。
 私が読みたいマンガはそれほど売れていないものが多いので、マンガ喫茶やBOOK-OFFにはあまり置かれていない。だから新刊を買うしかない。ということは新古書店やマン喫のせいで不利益を被るのはどちらかといえば売れている作家ということになるから、メジャー作家とマイナー作家の収入の格差が少しは小さくなるのかもしれない。その点は悪いことではない気がする。

 でも皆が安いものを買うことはデフレを助長して、ますます日本の経済が元気を失っていくことになるのだろうか。でも100円で掘り出し物が手に入って満足が得られるのなら買うよなあ、と百均で買った『オサムとタエ』(村野守美)、『空のはるか虹のかなた』(夏目けいじ)を読みつつ思った。やっぱ村野守美はいいなぁ。

02. 11. 17 シャバドゥビダーイェー
 結局わかりませんでした。
 NHK「爆笑オンエアバトル」のバケツとボールの重さ。

 10組の芸人がお笑いネタをやって、100人の審査員がそれぞれについてマルかバツか判断し、マルならボールをバケツに入れる。バケツ+ボールの重さ(単位:キロバトル(kB))を計量して、重い順に5組だけネタがオンエアされるという番組。
 成績発表はkBで表わされた点数(重さ)で行われる。「実際に、ボールは何個入ったんだろう?」と気になるのは人情であろう。

 明示されている条件は「ボール100個で満点」「満点は545kB」という2点だけ。見ていると点数はつねに545-4n(nは自然数)で表される数であるので、「ボール1個は4kBなのかな?」と最初に思いつく。しかしそれだとボール0個は145kBになるはずなのに、実際にはそれ以下の点数の場合もある。ということは、1個が4.5とか4.67とかいう半端な重さを持っていて、切り捨てか何かしてるんだと思う。
 つまり(ここ読み飛ばしてもいいです)バケツの重さをWp、ボール1個の重さをWb、ボールの個数をNとすると、点数Pは
  P = Wp + 4 * INT(Wb*N/4)
で表されるのではないか。
 それからネットで調べた、第83回以降ののべ340組の点数の統計をとって、何点とった組が何組あったかという棒グラフを作り、これを参考に点数計算の式を求めようとした。が、すべての記録を矛盾なく説明できるような数式はまだ見つからない。もっと複雑な数式を使っているか、もしくは数式をしょっちゅう変えているか。まるで米国防総省で暗号解読に駆り出されているナッシュ博士の気分。

 調べている過程で知ったのだけど、過去に「ボールが1個も入らなかった芸人」というのがいて、それがポッと出の新人などではなく、結構キャリアのある、ドラマなどで顔も売れたコンビだったのでびっくりした。
 こういうことがあると途端に芸人の前途が真っ暗になってしまうよな。そうか、だから芸人の名誉のため、わざとボールの数はわかりにくくしているんだ。同じ結果でも「93キロバトル」と「ボール0個」という表現ではインパクトが全然違う。グラムとかでなく「番組独自の重さの単位」であるキロバトルを使っているのも、操作を加えるのに都合がいいからだ。「史上最もシビアなお笑い番組」とはいえ、ちゃんと配慮してるんだ。僕みたいにボールの個数を勘ぐる所行は、そうしたスタッフの配慮に逆らうことになるんだな。もし今後ルールを見つけだしても、自分のHP以外では発表しないことにしよう(←十分逆らっている)。

 先週偶然録音したFMの番組で、久々に松鶴家千とせの漫談を聴いた。相変わらず「オレが昔○○だったころ…」とやっていた。声は昔と少しも変わらず、お元気そうで何より。もし彼が「オンエアバトル」に出たら…などと、してはいけない想像をしてしまいましたが。

02. 11. 2 天然色
 カラーの写真や映画がいつごろ始まったかという歴史には、昔からとても興味がある。子供の頃は、戦前の映画はみんなモノクロかと思っていたが、調べるにつれ『風と共に去りぬ』は1939年製作で既にカラーだったとか、それどころかディズニーのアニメは1932年からカラーを導入していたことなどがわかってきて、そのたびに驚いた。

 以前、ベネズエラの人と食事してる時に映画の話になって、彼はやはりそんな昔にカラー映画があったとは思っておらず
「『風と共に去りぬ』はもともとモノクロで、最近になってコンピュータ技術で色をつけたんだよな」などと言う。
「いや、製作当時からカラーだったんだ」と言っても「そんなはずはない」と聞かなかった。結局、彼を説得することはできずじまい。
 相手が間違ったことを信じているときに、いかにしてそれが間違いであることを冷静に理路整然と説得するかは難しい。私は相手が頑固だとつい頭に来てしまうので。そう、自分も頑固だからさ。
 ま、それはともかく。

 先週のクイズ日本人の質問で、日本で初めてのカラーの新聞ニュース写真がとりあげられていた。昭和27年2月8日付けの中日新聞に掲載された、国府宮神社の裸祭りのひとコマだったそうだ。これもまた意外に昔だと思った。
 当時カラー撮影に使われたワンショットカメラというものも紹介されていた。四角い箱の前面にレンズ、右と左と後にそれぞれ三原色に対応する3枚の乾板が設置されているもの。すげえ。

 それから50年が経ち、今はデジカメで撮った画像をメールで送る時代。
 先週のある日の朝日新聞の1面には、大粒の涙を流す15歳の少女のカラー写真が大きく載っていた。
 あのインタビューはその後いろいろ問題になったけど、記事を見る限りとくにマスコミが北朝鮮の策略に乗っているという感じは受けなかったな。あの国の性格を考えると、少女に「こう言えよ」と前もって指示がなされている可能性はあるが、読者の側がそれを認識して彼女の言葉を割り引いて考えていれば問題ないだろう。
 ただヘギョン嬢の涙は(まさか演技ってことはないと思うので)、いまの両国の関係の難しさを表していて、ストレートに心に迫ってきた。彼女のみならず、拉致の関係者の人々の切実な思いまでもが1枚の写真に凝縮されているように感じた。新聞カラー写真はここまで進化したのだな。

02. 10. 20 常套句
 マエストロ小澤征爾は最近はタクトを持たず、素手で指揮をしている。
 なんでもある時、演奏会にタクトを持ってくるのを忘れて、しかたなく素手でやってみたらこれが思いのほかやりやすく、それからはタクトを使うのをやめたそうだ。

 さて今週の週刊朝日のグラビアで、素手で指揮する彼の写真に
「小澤征爾が、生まれ育った中国でタクトを振った」
という一文が添えられていた。なんだか笑えた。

 「タクトを振る」というのが「演奏会で指揮をする」という意味の常套句なので、「この文は間違いだ!」と怒る必要はない。でも常套句をわざと文字どおりに捉えて、現実との違いを見つけるのは楽しい。

 ワープロで文章を書いている小説家が引退する時、やっぱり「断筆」とか「筆を折る」とかいうんだろうか。

 本のあとがきなどで昔はよく
「‥‥することを願いつつペンを置きます。」
なんて終わり方を見たもんだけど、PCで文章入力している場合はさしずめ
「‥‥することを願いつつCtrl+S → Ctrl+Qキーを押します。」
とでも書くのが正確かも。
 でも本当にやったら非パソコン人間の顰蹙を買うのであろう。

 ところで、クラシックギターを本格的に弾くには右手の爪を伸ばす必要がある。右手だけ爪が伸びている人を見たら、その人はギターを弾く人である可能性が高い。
 ということは、小説家が引退する場合の「筆を折る」に相当する言葉は、ギタリストの場合は「爪を切る」ではないだろうか、と勝手に考えたりする。

 例文:「彼は将来を期待された才能ある若いギタリストであったが、経済的な理由により止むを得ず爪を切った」

 うーん、わかってもらえないかな?

02. 10. 13 企業人、ノーベル賞をもらう
 ノーベル賞日本人ダブル受賞、おめでとうございます。
 とくに島津製作所の43歳の研究員さんが受賞したのには、ひっくりかえるほど驚いた! でも考えてみれば企業で開発された実験装置で「おお、これはすごい」と思うものはいくつもある。そのアイデアによって学問の世界が大きく進展したら、企業のエンジニアでもノーベル賞という評価が与えられて少しもおかしくはないんだな。学歴、年齢、役職は関係なく、業績だけが評価の対象になるということが改めてわかって、若い研究者たちは皆非常に元気づけられたと思う。

 ノーベル賞委員会から本人への事前情報って、ほんとうに全然ないんだね。
 野依さん、小柴さんは何年にもわたって有力候補と言われ続けていたそうだけど、白川さんや田中さんは本人もマスコミもまったく予想していなかった。
 第一報が入った文部科学省では「タナカコウイチって誰だ!?」と大騒ぎだったとか。なんだかドラマチックでいい話。

 いくら企業の一研究員でも、まったく受賞の前兆がないということは不思議な気がするが、それについての私の周囲での推測は以下のとおり。
 ノーベル賞の選考は、まず賞委員会から世界の著名な研究者に、候補者を推薦してくれという依頼が行くところから始まる。依頼された日本人研究者が誰かに「Aさんを推薦したよ」と漏らしたりすると、噂が広がってAさんが有力候補として注目される。しかし田中さんの場合はそういう過程で選ばれたのではなかった。
 今回田中氏と同時受賞したフェン氏は、田中氏と同様タンパク質の質量分析で優れた業績をあげている高名な学者だ。最初に、フェン氏に賞をあげようという話が持ち上がった。ところがその過程で、田中氏も(手法は違うが)同じ成果を挙げていることがわかり、「フェンにあげるなら田中にもあげないと」ということになった、と。
 おそらくそんなところだろうと思う。
 もちろん、だからといって田中氏の受賞の栄光が損なわれることはない。むしろ、外国ではちゃんと見ている人がいるのに、国内でこれまでほとんど彼の業績が評価されていなかった(専門外なのでよく知らないけど)ことのほうが問題だと思う。文化勲章とか、会社で役員待遇とか、突然あわてて準備しているのを見ると、なんだかなーという思いを禁じ得ない。

 何にせよ、ダブル受賞によって小中学生の目が少しでも科学に向くだろうと思うと嬉しい。
 国の「50年で30人」ノーベル賞受賞者を出すという目標も、ここにきて現実味を帯びてきた。まあその前に50年後の地球がどうなっているか非常に心配ではあるが。

02. 10. 6 スナフキンも使っている…のか?
 10月だって? うわ、もう今年も4分の3終っちゃったよ。どうするよオイ? という感じでありますね。

 9月中は名古屋と新潟に計3回の出張に出ていた。今回、間際まで宿泊先確保をサボっていたのがきっかけで、今さらだが初めてウェブサイトでホテルを探して予約してみた。私が利用したのは、ネットをさまよって偶然見つけた「宿ぷらざ」というサイト。同じようなのでスナフキンが広告している「旅の窓口」もある。
 地域、タイプ(観光かビジネスか)、宿泊日などの条件を入力すると、その日泊まれるホテルのリストが表示され、各施設の詳しい情報を見ることができるし、予約まで行なってしまえる。今まではガイドブックを手に、空いているホテルを探して片っ端から電話をかけまくっていたのだが、もうその必要がなくなったというだけでとても嬉しい。加えて、ネット予約は一般予約よりも宿泊料を割引いてくれる所もある。ホテル側にとってもネットで予約してもらうと作業量の節約になるということなのだな。

 このシステムの最も気に入った点は、なんといっても、ホテルを利用した客の感想がアップされていることだ。利用する立場からの忌憚ない感想はホテルを選ぶ上でこの上なく有益な資料で、たとえば「部屋のリネン臭が気になる」「フロントの応対が愛想悪い」「1Fのカフェの朝食はめっちゃ美味い」などという情報は市販のビジネスホテルガイド本にはまず書いてないよね。
 利用者にとっては嬉しいシステムだが、ホテル側にとっては戦々兢々、ますます競争が激しくなると思われる。とくに今までサボっていたホテルは、こうなると客サービス向上に努めざるを得なくなる。ま、いい傾向だと思うけど、建物が傷み過ぎていくら努力してもどうしようもないようなホテルは、ますます客足が遠のいて厳しい状況になりそう(そもそもそんなボロホテルは上記のサイトに最初から登録されていなかったりするし)。

 ホテルというといつも思い出すのは、10年くらい前に金沢に旅行で初めて来たときに泊まったビジネスホテル。詳しい説明は省くが、サービスが最悪で、せっかくの金沢の好印象が半減してしまったのだ。これからは上記のようなサイトがあるので、もうあの時のような思いをしなくてすむのだ、と思うと嬉しくて涙が出るよ。
 ちなみにそのホテルは私が金沢に住み始めて間もなく潰れ、今は駐車場になっている。ざまあみやがれ。

02. 9. 23 土曜8時は笑ってちょうだいね
 最近仕事が忙しくて、しばし現実逃避して『8時だョ!全員集合伝説』(居作昌果)を読み始めたら、面白くて面白くて、一気に読み終えてしまった(しょせんその程度の忙しさだったんだな)。もちろん幼少時によく見ていた番組だが、それがスタートしたいきさつとか、毎週の番組前半のコントをじっくり時間をかけて練り上げる過程とか、スタッフや出演者の「ひとつのものを作り上げる」ことによる絆や葛藤とか、知らなかった話がいっぱい。「プロジェクトX」に取り上げてもいいくらい、いろいろなドラマが舞台裏に展開していたのだ。
 以下、本の内容から印象的な部分を抜粋。

 番組開始当時はコント55号がTV界を席巻していた頃だった。彼らのアドリブ主体の新鮮な笑いに対抗するには、時間をかけて練り上げた笑いをもってくるしかない、と、社内の反対を押してドリフターズを起用した。そういえば欽ちゃんとドリフって一緒に出てるのを見たことがないな。浅草系芸人とミュージシャン出身者の笑いは流派が違うということもあるのかもしれない。このへん歴史的に掘り下げると面白そう。

 公開放送には珍しく、会場では放送の30分も前から前説が始まり、20分前には長さんが登場して出演者を紹介したり客席を盛り上げていた。終了後も客席への出演者の挨拶が続き、観客は合計1時間半のショーを観て充実した気分で帰っていくことになる。つねに客席の客を楽しませることに第一目標が置かれていたという。職人的こだわりが生きていた時代。

 番組が始まって人気が高まってきた1971年、渡辺プロの意向で、半年間だけドリフの「全員集合」を休んで、かわりに同じスタイルでクレージーキャッツの「8時だョ!出発進行」という番組を放送したとのこと。へえー。全然覚えてないな。今残っていればレア映像であろう。

 さて今年の7月だったか、TBS系列の土曜8時に新番組で『CDTVゴールド』という音楽番組が登場したのであった。深夜の『CDTV』とどう違うのかと思って初回を見てみたら、ほとんど同じだったので呆れた。やはり数回で終わったようだ。
 そのときは連想しなかったけど、考えてみればこの時間帯はかつて『全員集合』でTBSが王座に君臨していた時間ではないか。フジではこの時間帯は『欽ドン』『ひょうきん族』『めちゃイケ』と長期に渡ってお笑いでいい数字を取っているけど、TBSは一旦王座から転落したあとはすっかりやる気をなくしてしまったように見えるのだった。

02. 9. 16 笑って話すか
 昨年9月11日の夜は、折しも名古屋駅に新しくできたツインタワービルの展望台に上って夜景を見て、降りて来たところでニュースを知った。貿易センタービルと名古屋の駅ビルでは規模が違うとはいえ、TV画面の中で燃えているビルとさっきまでいたビルがダブって見えて、余計に恐ろしかった。

 翌日、重い気持ちで学会会場に出かけ、大きな食堂で昼食をとっていると、近くに座っている学会参加者二人のはしゃいだ会話が聞こえてきた。
 「ゆうべのあれ、すごかったなあ」
 「ビルに飛行機の形の穴がくっきりあいてんの、グハハハ」
 「飛行場から飛び立ったばかりだから燃料満タンだったんだな。それがぶつかったんだからよく燃える燃える。ギャハハハ」

 こういう人々とは一生、一緒に仕事をするまいと思った。

 別に理系研究者に情緒欠陥人が多いという話をしたいのではない。だが知識のある人こそ分別を持つことが要求されると思う。

 仲間にも「あのニュースを見た時、空港にいたんだ」と笑って話す人もいる。話題にするのはいいのだが、私は相槌は打っても一緒に笑うことはしない。今後もしそういう場面があったらご了承いただきたい。

 『シンドラーのリスト』が公開されて多くの人の感動を呼んでいたさなか、米国の映画館でこの映画を見ていた2人の高校生が、ナチスによるユダヤ人虐殺の場面で大声を上げて笑い、映画館の係員につまみ出されたという話があった。
 「ふざけたガキだ」「人間の心がないのか」と高校生を非難する声が強い中で、スピルバーグは同情的で「人間、度を越した恐怖を感じると、笑って逃避しようとする心理が働くものだ」という意味のコメントをしていた。どうかな。やはり自分と関係ない世界の出来事として笑っていただけだと思うな。米国の高校生も、学会にいた研究者も。

 事件から1年。現在開催中の京都国際マンガ展では、テーマの一つに「テロ」が設けられており、各国から出品された一こま漫画の一部が新聞で紹介されていた。あのテロ事件をどうやって漫画にするのか興味があったが、やはり純粋な追悼の気持ちやテロリストの恐怖を前面に出した作品が主で、ヒネリや笑いの要素のある作品は少なかった。
 中で、日本の斎藤綾子氏の作品が印象的だった。
 高層ビルの一室のオフィスで仕事をしている男が、ふと窓から外を見ると、なんと窓枠以外、自分のいたはずのビルが根元から消滅していたという絵。

 いろいろな感想があると思うが、私はこの絵を見て慰められた。
 きっと飛行機が直撃したフロアで一瞬前まで仕事をしていて、「何だ?」と思う間もなく命を奪われた人だろう。あまりに突然で、自分が死んだことにも気付いていなかったのだ。
 事件の犠牲者のほとんどは火に焼かれたり、窓から飛び下りたり、瓦礫の下敷きになったりして、地獄の苦しみの末に死んで行った。しかし、せめてその中の何人かは苦しまずに一瞬にしてみまかったとすれば。
 「笑い」にまでは到達しないにしても、事件関係の言説の中で初めて前向きなものを感じて、少し救われた気がした。

02. 9. 5 内山世代
 内山安二氏の漫画といえば、我々の世代で小学生の頃に学研の「科学」を読んでいた人にはすっかりおなじみであろう。
 私が読んでいた「6年の科学」には『炭九とドウナルノ・ダン』という科学漫画が連載されていた(なつかしいなあ、久しぶりに思い出したよこのタイトル)。永久機関に挑戦したり、錬金術で黄金をつくろうとしたり、果ては核融合エネルギーまで、今思えば学校でも教えないようなかなり自由奔放なテーマに、親しみやすいキャラクターたちが取り組んでいた。知識を得るだけでなく科学を“やってみる”という姿勢をあの漫画から学んで、理系に進んだ人も少なくないのではないか。

 その後長い年月が経ち、気がついたら「科学」の漫画は内山氏からあさりよしとお氏に替わっていた。理科系の人は内山かあさりかで世代が分かれるのかもしれない。
 数年前に某雑誌で、初対面の内山氏とあさり氏の対談記事を見た。あさり氏が「内山漫画で育った」と言い、内山氏を尊敬してやまないのに対し、内山氏にとってのあさり氏は「自分にさっぱりわからない最新科学を話題にする、まるで宇宙人」という印象だったという。確かに内山とあさりの作風にはかなりのギャップがあるのだ。内山キャラはトンカチとノコギリで不格好な装置を一生懸命作る。あさりキャラはパソコンなどの最先端機器を駆使してスマートに科学するというイメージがある。あさり氏の話についていけんという内山氏の感想を読んだ時は、内山世代として、自分も古い人間になったような寂しい思いをしたのであった。

 先頃、内山氏死去の報をアサヒコムで知って驚いたが、その見出しにも驚いた。

  「水俣出身の漫画家、内山安二さん死去 」

 なんなんだ、これは。子供たちに科学を浸透させた功績に触れもせず、出身地ごときをキーワードにもってくるとは、私には信じ難いことだ。 ああ、書いた記者はあさり世代だったのかもしれないね。かつて「キザの小円遊死去」という心ない見出しを書いたのも朝日だったな、などと余計なことまで思い出す。
 たぶん誰かが文句を言ったのだろう、数時間後にもう一度アサヒコムを見ると「学習漫画で親しまれた内山安二さん死去」に書き替わっていた。そう、そうでなけりゃ。

 ついでながら、アサヒコムのおくやみ記事では漫画家と芸能人と女性はいまだに「さん」づけ、それ以外は「氏」なんだな。毎日新聞は職業男女の区別なくすべて「さん」づけで、比較的好感が持てる。それでもまだ朝日を読んでいるんだけど。

02. 8. 30 Mac仕事に関する今日日の私
(わからない人すみません)

(1) Macのアプリケーションについて、ある工専の先生が書いておられるページを見ていたら
「使いやすいのはEGWord(ワープロソフト)、クラリスドロー(お絵かきソフト)、DeltaGraph(グラフソフト)だというのが私の結論」
とあった。まさに私の使っているアプリと同じ(ドローは古いマックドローだけど)。我が意を得たりと嬉しくなった。
 正直、私はこれら以外のソフトをよく知らないのだが、この先生はいろいろなソフトを試しているようなので言葉に重みがある。そうだよねえ、MSWordは機能を盛り込みすぎて使い勝手が悪いし、Illustratorは複雑な絵が描けるけど単純な図面引きには向かない。EGWordやクラリスドローはシンプルなところがいい。だがどのソフトにしろ、バグが完全に無いものはどうやら存在しないようで、トラブルは“あるものだ”と割り切って使うしかないようだ。ま、しゃあないか。

(2) DeltaGraph書類をPDFファイルに変換するとき、自分のMacで表示を確認してちゃんと見えればOKだとこれまでは思っていた。ところがどっこい、落とし穴があったのだ。
 PDFファイルって世界中のどんなPCでも同じように見えると思っていたけど、じつは普通に作ったPDFファイルは、その中に使われているフォントが読む側のPCにインストールされていなければ、勝手に代用フォントに置き換えてしまうらしい。
 そしてDeltaGraphではグラフ中のシンボルにDeltaSymbolというフォントを使っている。つまり、グラフの中の黒丸とか三角とかは、図形ではなくて文字なのだ。なので、DeltaGraph書類から作ったPDFファイルは、DeltaGraphを持っているPCで開けば正しく見られるが、そうでないPCで開くとグラフの中に“E E E E E…”“J J J J J…”という意味無いアルファベットがのたうち回ることになる。
 いろいろ試行錯誤の末、フォントを保持しつつ変換する方法を発見した。ファイル作成の際に「フォントデータ」→「すべてを含める」を選択すればよい。わかってしまえば簡単なこと。
 でもこの前、それを知らずに学会の予稿原稿をPDFで送ってしまった。9月下旬の応物学会で配布される予稿集に載る私のグラフは、たぶん恐ろしいことになっている。ああ…

(3) 自分には馴染み深いOsakaというフォント(ゴシックの一種)が、Mac専用のフォントだと初めて知ってびっくり。Osakaって誰が作ったの? 大阪の人? Macではほとんどのアプリでデフォルトになっているのに、Windowsとの互換性が無いなんて不思議だな。
W「なんでウチらがアップルの勝手に決めたフォントを使わなあかんのじゃ」
M「そんならこっちも意地じゃ、コイツをデフォルトにして使いまくったるわい」
というような状況なのだろうか。
 そういえばある時、他の人が作ったワープロ文書を見て「あ、Mac使ってるんですね」と言ったら「どうしてわかるんですか!?」とびっくりされたことがある。うーん、説明が難しいけど、なんか違うんだよ。書体かなあ。

02. 8. 26 トマトジュース中毒
 1ヶ月ぶりに市立図書館に行った。最近ずっとこんなペース。図書の貸出期限は2週間なのだが1ヶ月くらい借りているのが常になってしまった。ごめんなさい>泉野図書館さん
 1回に4冊前後借りるから、このペースだと年間50冊くらいしか借りていないことになる。さらに、これだけ延滞しているのだから全ての本を読了しているのかといえばさにあらず。今年に入ってから読み終えた本(活字本に限る)は図書館本・購入本を含めて今のところ17冊。うーん、少ないなあ。
「私、活字中毒なんですよ」
「本を読んでいて終わりに近付いてくると(ああ、あと少ししかないのか)と悲しくなってくるんだ」
などという台詞を聞くと、自分もそんなふうに言ってみたいものだと思うが、私の場合読書中はたいてい(ああ、早く終わんねえかなあ)という思いが片隅にある。活字中毒には程遠い。

 そんな中、いまは『トマト革命』(石黒幸雄)という本を読んで、すっかり頭の中がトマトになってしまった。「野菜不足をトマトで解消」「トマトは血をサラサラにする」「ヘビースモーカーかつドリンカーでもトマトジュースを1日10杯飲んでいる人は健康そのもの」なんていう話が載っている。じつは著者はカゴメの人なのでこれは宣伝本以外の何ものでもないわけだが、語り口が面白く内容も説得力があり、読むとトマトジュースを飲まずにいられなくなる。見事な宣伝である。
 この本でもそうだけど、雑誌やTV番組でカラダにいい食材を紹介する時の話は
 「最近の人には○○という症状がよく見られる」
→「それは△△という成分が足りないからである」
→「□□を沢山食べればただちに改善する」
という流れが多いね。重要な情報は○○と△△と□□だけなのだが、それを引き延ばして1回の番組に仕立て上げる作業は結構大変そうだ。そして□□の部分が毎日替わる。ミもフタもない言い方をしてしまえば、結局「あらゆる食材はカラダにいい」ということなんだろうな。
 なんのことはない、今トマトにハマっている私は、みのさんの番組を見てスーパーに急ぐ奥さん達と同じなのだ。でもしばらくは珈琲の代わりにトマトジュースを飲む生活が続きそう。

02. 8. 14 気分は軽薄エッセイ

忘れた頃にやってくる【似ている歌シリーズ】
『プロフィール』(倉沢淳美) ♪1967年 4月生まれ いま17才…
『Special Love』(米米CLUB) ♪もう何もいらない 濡れた唇から special love…
 いや似てるんだってば。

 『気分はだぼだぼソース』を読む。 椎名誠1981年の著書。当時エッセイ界に彗星のように現れ、その面白ふざけた文体は“昭和軽薄体”などと騒がれたと記憶している。といっても私は遅ればせながら今回初めて彼の本を読んだのだが、私が当欄に書く時などに好んで使う文体のかなりの部分が、この本に既に登場していることに驚いた。「電卓カシャカシャ人生」「勝手になんでもおやんなさい的自由競争の時代」なんていうフレーズと、たとえば02.2.28の当欄の私の文章を比べると若干の共通点が見い出せる。もちろん椎名誠のほうがはるかにエンターテイメントに徹しているけど。私の文章の嗜好というものは、この人が1980年前後に開発して世に広めたものから間接的に影響を受けている部分が大きいようだ、と認識した。
 その後20年経って、世の中にはもっと新しく、もっとふざけた文体が登場しているが、私が心地よいと感じるのはちょうど1980年前後の椎名誠くらいのおフザケ度の文章なのだな。

 ただのおふざけ文章ではない。おふざけ文体のまま怒りも見せる。
 とくに本書の3分の1を費やして論じられている、形骸化した結婚式のやり方に対する批判(お色直しやケーキカットに何の意味があるんじゃ!とか)にはうなずかされた。誰も彼もが深く意味を考えずマニュアル的に右へならえ式に他人の真似をするという現象が、彼には我慢ならないのだ。この反骨精神があればこそ、世間の目に臆することなく昭和軽薄体というものを確立することができたんだろう。
 自分も基本的に人真似が嫌いなので、そんな彼の性格に共鳴するものを感じる。だがもし本人に会ったら「オレの文体を真似してるくせに!」と怒られるかもしれない。

 シーナさん当時37歳。今の自分と近い年齢だったんだね。今は58歳か。
 ということは、自分もいつか58歳になるのか? このオレが? ハ、ハハハ…(虚ろな笑)

 いや、彼のように自由奔放な58歳になれたら言うことはないな。

02. 8. 4 終りなき旅
 早いものでもう8月ですね。ここ2週間くらいはずっと仕事で文章を書いており、ようやく昨夜完成して原稿を発送したところ。こういう仕事って、早めに終らせようと思っていても、結局締切りギリギリまで手元において手直ししてしまう。見るたびに直すところが出てくるのだからイヤになる。今回のように締切り日がある場合はまだいいけど、締切りのない仕事だとズルズルと遅れて気がついたら何年もたっていた、なんてことも。自分で「この程度できたら一応終了」という基準線を引かないとね。

 明確な最終到達目標が設定されている仕事(A)と、設定されていない仕事(B)がある。これだけやればOKというのがA、常に上をめざして努力しなければならないのがB。仕事でなくてもたとえば「大盛りラーメン3杯を30分以内に食べる」という作業はA。「30分以内に大盛りラーメンを何杯食べられるか」に挑戦するのはB。ポップチャートで1位を達成するのはA。1位を何週連続キープするかに挑戦するのはB。これを見るとわかるように、Aを達成するとさらにその先に新たにBが現われるようになっている。

 人生は究極のBであろう。自分のため、他人のために、少しでも多くのことを成し遂げようと努めるのが人生。だから死ぬ時に「自分はやるべきことをすべてやり遂げた」と満足して旅立てる人は少ないだろう。どんなに偉大な業績を成した人でも「ああ、あれができなかった」と、何かしら悔いを残して旅立つものだと思う。『シンドラーのリスト』のラストシーンで、1200人のユダヤ人の命を救ったオスカー・シンドラーが「この金バッジを売ればあと2人救えた」と泣いたように。
 それでもトータルで判断して、いい人生だったと思ったら笑って死ねる。そんなふうに生きたいのだ。

 ほかにも『千と千尋』のDVDの色調がどのくらい赤いのかなどという他愛のない話を書きたかったが、なんだか真面目な話のあとに急に話題を変えるのも不自然な感じなので、今日はこのへんで。

02. 7. 29 栗田ルパン
 久々にルパン三世の新作アニメを見た。今回は主要登場人物の出会ったきっかけが描かれるということなので見ておこうかなと思って。話自体はそれほど意外性はなかったけれど、思えばルパンの声を栗田貫一が担当するようになってから私は初めて見たわけだ。
 元祖ルパン声優の山田康雄が急逝し、ピンチヒッターを務めたのがものまね芸人の栗田貫一。それを聞いて、アニメの声ってものまね芸程度のものなのか、じゃあクリカン一人いれば他の声優はいらないじゃん、声優っていったい何?などと思っていたのが正直なところ。
 だが見てみたら、さすがに完全に山田康雄と同じというわけにはいかず、苦労しているのが伝わってくる。30秒程度の寄席芸と違って、2時間ずっとものまねし続けるのは大変だ。新作なので当然ながら台詞は新しく書かれたものなので、声の手本はない。山田康雄だったらこう言うだろうと想像して演じねばならない。
 つまり、山田康雄はルパンの声をやっていればよかったのだが、栗田貫一はルパンの声をやっている山田康雄の声をやらねばならない。単に声色だけでなく、どんなふうに抑揚をつけるか、どこはふざけてどこは真面目に、といった発想まで真似するわけだ。誰にでもできることではない。そう考えると一人のものまね芸人に4役も5役もやらせるのはやはり無茶な試みだな、と思う。

 作品ごとに変化が顕著なのはむしろ絵の方で、アニメーターが変わるとルパンの顔が変わったりするのが目につく。でも、見る側としては声が変わるとすごく気になるけど、絵柄が変わってもそれほど気にならないものらしい。キャラクターのイメージを決定付けているのは絵よりもむしろ声の効果が大きいのだな。

02. 7. 21 ふぐの子の糠漬け
 今日も暑かった。今日の時点で北陸と東北以外は梅雨明け宣言が出ているけど、北陸ももう明けたと見てもいいかもしれない。よせばいいのに昼間の炎天下を町まで自転車こいで行ったり、夕方はプールで泳いだりして、なんだか小学生の夏休みのような一日だった。昨日はほとんど何もしなかったから、その反動で動きたくなったのかな。
 夕食はよく行くラーメン屋で冷し中華。最近よくTVで紹介される、新しい工夫を加えた冷し中華ではなく、昔ながらの冷し中華がむしろ嬉しい。ちなみに、昨年の夏に冷しラーメンと銘打って冷し中華を出していた近所のラーメン屋は、その後つぶれたようである。自業自得と言えよう。

 ところで最近よく見ている番組に『人間講座』(NHK教育)がある。月・火・水と日替わりで3つのテーマが進行し、2ヶ月で新しいテーマに替わる。現在月曜日で進行中の『大好きな韓国』を見始めたのだが、あるとき偶然水曜日の『発酵は力なり』も目にしたところ、講師の先生のエンターテイナーぶりに目が釘付けになってしまい、それからは水曜日も欠かさず見ているこのごろ。
 『発酵…』の講師小泉武夫氏は東京農業大学の教授であらせられ、番組も同大学の講義室で講義するというかたちで収録されている。だがこの講義が型破りで、教卓で鰹節を削るわ、堅い鰹節をクンクン嗅いで「ああいい香りだ」と唸るわ、さまざまな発酵食品を矢次ぎ早に取り出して見せては口に含んで「んー、日本酒があったらたまらないですね」と感動するわ。後ろに黒板がなければ『食いしん坊!万才』だ。話し方もエネルギッシュでユーモラスで、聞く人を引き付けてやまない。蛇足ながら容貌もハナ肇と谷啓を足して2で割ったよう(すみません)。非常にテレビ的な大学教授である。大学でも名物先生なんだろうな。

 実は彼の名は少し前から知っていた。石川県には「ふぐの子の糠漬け」というものがあって、これは猛毒であるふぐの卵巣を数年間糠に漬けて毒を消したというおそろしい食べ物なのだが、これを以前から著書等で紹介していたのが小泉氏。もちろん今回の『人間講座』でも小泉氏は教壇の上でバクバク食べて見せていた。たまたま私も最近初めて食べたのでタイムリーだった。こういう全国番組で取り上げられると、近所の名産物が他所の人にとってどのくらい価値のあるものか、感触がつかめてありがたい。こんど実家への土産にでも買って帰ろうかな、と思う。

02. 7. 13 究極のモノづくり
 スイスの超複雑時計のドキュメンタリーをTVで見た。
 年に一度、品評会があるそうで、出品された腕時計には数千万円の値がつく。どうせ金持ちの道楽だろう、 2000円のデジタル時計してるオレとは無縁の世界だわな、と思いながら見始めたが、その第一印象はすぐに裏切られた。それは実に驚嘆すべき映像であった。

 品評会に向けて数名のグループまたは個人の時計師たちが、世界に1台の腕時計を約1年もかけて作り上げる。ある職人はたった1人で全部品を設計・加工し、組み立てる。機械式腕時計という制約のもと、これまでの時計にない美や機能をどこまで盛り込めるか、技術の極限に挑む日々。
 ふつうの腕時計も細かい部品ばかりだが、これはさらに複雑。間隔0.1mmのギヤの歯を手で研磨する、なんていう作業の連続だ。特に複雑な心臓部の組み立ては、他に人が来ない休日を選び、1人で朝から集中力を高めて臨む。組み立ての最中に視点が動かないように机の端を歯で噛んで自分の頭を固定する。自動工作機械には絶対に不可能な作業だ。
 自分も仕事で装置の設計をしたり部品を旋盤で加工したりするが、彼らの作業に比べたらコドモの積み木遊びみたいなものだ。まさに究極のモノづくり人間たち。 なおかつ自分の作りたいものだけをじっくり作り、芸術家として生きられる彼らは幸福だ。

 そんな職人の1人の経歴を見ていて、へぇと思ったことがあった。最初は大手時計メーカーに勤めていたが、あるとき日本のSEIKOがクォーツ腕時計を開発したせいで、スイスのメーカー全体が大打撃を被り、それを機に独立したとのこと。
 クォーツ腕時計については以前『プロジェクトX』で取り上げていた。この時はSEIKO側が主人公で、「時計の王国スイスという強大なライバルに対抗して、ついにニッポンの弱小時計メーカーがクォーツ腕時計の製品化に成功した」というサクセス物語。しかも同じNHK。アンタこの前はああ言うてたやん! と心の中でツッコんでしまった。いや、両方とも嘘は一言も言ってなくて、違う面から見ただけなのだ。勝者あれば、敗者あり。でもいつも思うことだけど、こういう番組では必ず主人公が決まっているから、見ていてもう一方の立場に思い至らないことも多い。

 昔、一部の間で出回ったパロディテープで、『仮面ライダーV3』のテーマ曲を切り貼りして、デストロンが主人公の歌に変えてしまったのがあった。

  ♪敵は地獄の 仮面ライダーV3

 なるほど、たしかにデストロンから見たらそうだなあ、などと妙に納得したものだった。物事は両面から見なければ。

02. 7. 7 みんなのうた・エピソード1
 夏じゃのう。梅雨はまだ明けていないが陽射しは強い。気温も連日30度を超えている。海にでも行って一日中浸かっていたいものだなあ(詠嘆)。

 以前も書いたけど石川県では『かがのと505』というローカル番組の中で、昔の『みんなのうた』が毎日2曲ずつ映像付きで放送されている。取り上げられる曲目はたいていは昭和50年代から平成にかけての曲だが、たまにはもっと古い曲もやってくれる。最近、ついに放送開始(昭和36年4月)のときのプログラムを5分間フルに流してくれた。ううう、石川県に住んでてよかった、と思ったひととき。
 もっとも、情報によればNHK岡山でも同様に昔のみんなのうたを放送していて、こちらではWebで“リクエスト可能曲”一覧表を提供している。石川でこれまで放送された曲も、この一覧表の範囲を出ていない。どうも東京局が地方局に提供している曲目がこれだけということのようだ。とすると私の好きだった『マヌエロ』『キャッツアイ・ラブ』『父さんのつくった歌』などはいくらリクエストしても永遠にかからないのか。ちょっとガッカリだな。

 みんなのうたといえばずっと前から、5分という番組枠の中で同じ長さの曲を2曲(最近は1曲のこともある)やる、と決まっていて、1曲目のタイトル→うた→2曲目のタイトル→うた、という構成がはっきりしている。つまり1曲1曲がユニットとなっている。ところが今回見た昭和36年のそれは、『みんなのうた』というタイトル文字にいきなり1曲目の『おお牧場はみどり』のイントロが重なり(番組のテーマ音楽はなし)、1曲目の映像の終り部分に2曲目の『あわて床屋』のイントロがかぶる。しかも1曲目は2分程度と短いのに対し2曲目は2分40秒と、長さに片寄りを持たせている。これは5分を一つのユニットと捉える作り方だな。番組スタート直後でいろいろ試行錯誤していたのだろう。ついでにタイトルも歌詞も全部手書き文字のテロップなのが泣かせる。

 初期の映像はいかんせん冗長でアニメも枚数が少なくて、娯楽として見ているといささかうんざりするきらいはある。だから東京局では5分フルにやることはまずしないだろう。でも資料として見ると「ああ、当時の子供たちはこれを見て育ったんだ」という感慨を味わえて、自分もいま昭和30年代の木枠の窓の家で、4本足の白黒受像機のチャンネルを“回して”これを見ているかのような気分になれる。
 タイムマシンがほしいものだなあ(詠嘆)。

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更新履歴

02. 8. 13 掲示板の背景色を、向日葵色から若草色に変えてみました。
02. 8. 7 『雑感』に『バナナ村に雨が降る』『オランガタン』をUP。
After 5