過去の【今日日の私】 02. 1 - 6

02. 6. 28 エッセイコミック
 仕事のほうで懸案だった事案が1つ片付いたと思ったら、今度はいつも使っている装置が故障して作業ができなくなってしまった。一難去ってまた一難。仕事のことは仕事ページに書くのが筋だが、あちらの近況に「装置が壊れました」なんて書くのは非常に憚られるので、こちらの趣味ページに書いて気を紛らわしているわけである。まあ、装置が直るまでは今できることをやるしかない。

 で、ちょっと意気消沈してしまったので、いっときマンガに逃避していた。『純情ももいろ日記』(中田雅喜)。旧版は持っているが連載途中までしか収録されていなかったので、最後まで載っている廣済堂文庫の新版を購入。作者はお目目キラキラのレディースコミックを描く女性マンガ家だが、この本のエッセイコミックは描きなぐったような描線の力の抜け具合が私好み。デッサン力ある人が描きなぐる絵が好きなのだ。内容も自由奔放な生きざまとピュアな物の見方がイイ。
 作中に登場する作者のダンナは誰か、というのが以前から私の中で謎だったが、今回読んでみて「○山」という姓、SF関係の受賞歴あるマンガ家というヒントから、もしや横山えいじ氏ではないか、とひらめいた。検索かけてみたら当たりだった。おお、そうだったのか!
 横山氏といえばSFファンで知らない人はいない、寡作ながら独自の地位を確立しているマンガ家兼イラストレーター。私は別にSFファンではないけど以前から『マンスリー・プラネット』などは読んでいた。いやー、横山氏のコロコロした可愛らしい作風と、奔放な奥さんとの私生活の対比が面白いわ。『純情…』にも再三にわたって「オレのことは描くな!」と叫ぶダンナが描かれている。無理もないと思う。

 今日は梅雨の合間の晴天。ずぶるるるると珈琲を啜りつつデスクワーク。うーん、また空梅雨かな?

02. 6. 19 グローバルスタンダードっていったい…
 書店で『電脳なをさん(4)』(唐沢なをき)を立ち読みしていたら、G4キューブを発売したせいでアップルの株価が大幅に下がったという話がネタになっていた。ふーん、やっぱり評判悪かったのか、キューブ。なんだかまた世間から一歩ずれたような気がするな…。でもMac派でありながら先日出た電気スタンドみたいなiMacには思わずのけぞってしまった。買った人、ぜひ感想聞かせて下さい。

 アップルのサイトの『ようこそ、Windowsユーザの皆様』と題した広告ページを見ると、アメリカでは教育機関のパソコンの半数がMacだとか、Macユーザーは世界に2500万人いるとか、現大統領と前大統領もMac使いだとかいう情報が書いてある。
 ひと昔前のコカコーラに対抗したペプシコーラの比較CMにちょっと似ているな。街角で通行人に銘柄を隠した2種類のコーラを飲ませて美味しいと思う方を選ばせて「半数近くの人がペプシを選びました」というCM。「半数近く」ということはペプシ以外を選んだ人の方が多かったってことじゃん、というツッコミも当時さかんに聞こえてきたが[1]、このCMでペプシが言いたかったことは「その割には売れ行きがコカコーラとあまりにかけ離れているのが我々は不満だ」ということだったのだろう[2]。
 VTRの市場ではβはあっという間にVHSにやられてしまったけど、パソコンにおけるMacやコーラにおけるペプシは、手を替え品を替え人々の気を引く努力をして、潰れずによく頑張っていると思う。

 さて、先日聴いた講演会で、講師の方が「これからはグローバルスタンダード化が進んでいく。好む好まざるにかかわらず、OSはWindowsに一本化していかねばならない」ということを話されていて、驚いた。
 グローバルスタンダードってそういうことなのですか?
 これは例えて言えば、世界中の人が日常的に英語を話すべきだ、というのと同じではないか?

 いま世界共通語は英語だと言われる。これは国際会議など多数の国から人が集まる場所ではたいてい英語が使用されるということ。だからそういう場に赴く人々は、英語は身につけねばならない。しかし、だからといって普段の生活でも英語だけを話すべきだとは言えない。
 自分たちの言葉を守りつつ、共通語としての英語も話せるように勉強する。こういうのがグローバルスタンダードではないのだろうか。(日本語における“標準語”と“方言”にも同じことが言えるな)

 またWordネタで申し訳ないが、Word形式の書類を送られてくると、Wordユーザー以外は読むことができない。読むだけの書類なら、PDF形式に変換して配布すれば誰が作った書類を誰が読むこともできる。すべての人にWordを使わせるというような方針ではなく、Wordユーザーも一太郎ユーザーもPDF変換をより簡便に行える環境を整えるような方向。すべての人にWindowsを使わせるのではなく、市販のアプリやCD-ROMは常にWin/Mac両用にするよう努力する方向。こういうのが正しいグローバルスタンダードのあり方だと思うのだがどうだろう。技術的に可能かどうか知らずに勝手なことを書いているけど。
 天の邪鬼で「人と同じ」が嫌いなので、こういう話にはつい熱くなってしまうのだった。

【注】

[1] しかし今検索していたら、ある方の日記に「じつはあの味比べではペプシを選んだ人のほうが多かった。が、CMでそう言うとあまりに嘘臭くなるから、あえて控えめに「半数近く」と言ったのだ」という記述があってびっくり。そうか、47%でも53%でも“半数近く”には違いないし。

[2] もっともCMでは味比べのもう片方がコカコーラだとは明言していなかったと思う。もしかしたらジョルトやブラックシュウェップスと比べていたなんてことは……ないか。

02. 6. 6 違いのわからないリサイクルゴールドブレンド

しつこく【似ている歌シリーズ】
『悲しみがとまらない』(杏里) ♪あなたに彼女 会わせたことを わたし今も…
『今宵の月のように』(エレファントカシマシ) ♪夕暮れ過ぎて きらめく町の灯りは…

 結局ネスレのインスタントコーヒーの再利用の件は、全然問題にならなかったようですな。
 概要は、ネスレが実はこれまでずっと(1960年代から)、瓶に詰めたが出荷されずに倉庫に残ったインスタントコーヒーの中身を、再び生産ラインに戻して新品に混ぜていたという話。5月5日付の朝日の記事で読んだ。ネスレ幹部へのインタビューも載っていたが、「どうしてこんなことをしたのか」とあたかも犯罪者に問い正すような朝日と、全く問題ないと確信しているネスレの立場は完全に平行線だった。
 これを読んだとき、再利用についてはネスレの言い分が正しいと思った。ラーメン屋が客の残したラーメンを次の客に出すのとはわけが違うのだ。未開封の製品、しかもフリーズドライ製品だから腐るわけでもない。事実、再利用コーヒーは30年以上も消費者の舌を満足させてきた。リサイクルだ省資源だと声高に言われているけど、人の口に入るものについてはまだ、科学的な理由もなくイメージだけでリサイクルを否定的に見る立場があるようだ。
 記事ではむしろ自分の正義をふりかざす朝日の嫌な面が目立っただけであった。前後の読売・毎日を見てみたが、この件に関する記事は見当たらなかった。

 とりあえず気になるのは、他のインスタントコーヒーメーカーではどうなのかということ。そこでAGFのサイトに行ったら、件の報道を受けた説明文が載っていて、2001年1月から再利用を中止したという。それまではAGFでも再利用していたということだ! そしてやはり、本当は再利用したいんだけれどもイメージ上しかたなく中止を決めた、という事情のようだ。朝日の記事ではネスレのみが問題にされていたから、おそらくネスレのコーヒーの売り上げには影響が出たがAGFはほぼ無傷だったと思う。こうなると特定企業への特定新聞によるイジメだな。

 この間の牛肉ラベル偽装事件は、たしか朝日が最初に雪印の行為を指差して「あーっ、いけないんだ!」と声を上げた。この時はみんな虚を突かれて、瞬く間に「♪いーけないんだ、いけないんだ」の大合唱になった。しかし今回のネスレのように「あーっ、いけないんだ!」と声を上げたのに「なんで?」「いいじゃん、別に」と誰からも賛同を得られない、というケースも朝日には結構多い。

02. 5. 30 『早春賦』と『知床旅情』は有名だが

【歌っている途中で別の歌に変わるシリーズ】
  ♪赤城おろしの 笛が鳴る
   ヒュルルジンジン からっ風
   ニッセイのおばちゃん自転車で
   笑顔を運ぶ ふるさとよ

  
(と書いたものの、この両方の歌を知っている人が読者さんの中に何人いるか…)

 似ている歌の組み合わせを見つけるのは楽しい。以前も書いたが、パクリだとあげつらっているわけではなく、単純に面白がっているだけなのだ。鈴木宗男と坂田利夫の顔が似ていると言って面白がるのと同じである。そこで今回は「似ている歌」特集。

(1)
『おんまはみんな』 ♪どうしてなのか 誰も知らない…
『こんにちは赤ちゃん』 ♪その小さな手 つぶらな瞳…
 ここのメロディは重ねて歌うと区別がつかないくらい似ている。冒頭の部分も似ているし。2曲ともあまりにも幼少時から耳になじんでいるので、似ていることを意識したことがなかった。

(2)
『赤い花白い花』 ♪赤い花摘んで あの人にあげよ…
『星うらないキラキラ』 ♪男だったら牡羊座 いつも元気で力持ち…
 これらも昔から知っている歌だけど、コード進行と節回しが非常に近いことに最近気付いた。絶対影響を受けているな>みなみらんぼう

(3)
『マリア』(T-BORAN) ♪泣かないで僕のマリア…
『Piece of my wish』(今井美樹) ♪どうしてもっと自分に…
 似てるどころか、まったく同じじゃん! たぶん多くの人がそう思っていると思うんだけど、指摘されているのを見たことがない。

 さて最近の盗作騒ぎといえば、「さんま先生」シリーズのために作られた『記念樹』という歌が、昔流行った『どこまでも行こう』のパクリだとして、後者の作曲家が前者の作曲家を訴えた。一審は被告側が勝訴して、今でも『記念樹』は「あっぱれさんま大先生」のエンディングで流れている(追記:その後二審では原告の逆転勝訴となり、被告は上告。まだやってたんかい。02. 9. 9記)。
 言われてみれば確かにメロディの構成が似てるなと思うけど、訴訟のことを知らずに『記念樹』を番組で聴いた時には特に『どこまでも…』を連想はしなかった。なので、これらの曲の似ている度は上に書いた組み合わせと同じ程度で、パクリと呼ぶほどのものではないと個人的には思う。広い心で見てあげたら? グランパ!

02. 5. 24 木漏れ日の村にて
 3日は夜10時頃に安曇野界隈に到着。ここで一晩泊まるつもりだが宿を予約していないので、飛び込みで何軒か訪ねる。もしだめなら車中泊だ。幸いルートイン安曇野という豪華なホテル…の隣にある古いホテルが空いていた。なんとシングル一泊3500円! すばらしい! 建物はオンボロ、温泉も娯楽施設もないけど、ベッドと屋根があれば私には十分。ベッドは清潔だったので問題なし。いつかまた行きますから隣に負けずに頑張って下さい“ビジネスホテルにし”さん。

 安曇野の朝はすがすがしい。しかもちょうど初夏の穏やかな気候で、カラリと晴れて気持ちがいい。一年で一番いい時期に来ちゃったかな。アハハハハ…とか笑いながら陽光キラキラ降り注ぐ森の中を駆けていく(嘘)。
 ここは学者村というところ。国道を走っていたら道路案内標識にその地名を見つけたのだ。なんじゃ、学者村って。学者がたくさん住んでいてあーでもないこーでもないと森羅万象を論じているのか。シェルジェ自治領みたいなもんか。
 来てみたら、軽井沢に似た雰囲気の別荘地だった。40年ほど前に、主に大学教授や文化人を対象に開発された。学者村って正式な住所なんだね。ここに別荘を作ったら手紙の宛先は「長野県南安曇郡穂高町大字○○○学者村」になるのだ。なんだかなあ。「私は学者です」と主張しているみたいでイヤだな。森の中を散歩する人を見るたびに「あ、学者が歩いているぞ」という目で見たりして(もっとも最近は学者以外の入居者も増えたらしいが)。まあ余暇を過ごす土地としてはこの上ない環境である。

 学者村だけあって、美術館やミュージアムが多い。「有明美術館」「安曇野絵本館」を見て回る。GWにもかかわらずさほど混んでなくて快適。最後に「大王わさび農園」に行こうとしたら、これが大渋滞。クルマ進まない進まない。そうか、芸術よりもわさびか>観光客。
 夕方までに実家に着かねばならなかったので、わさびソフトクリームはまたの機会にする。高速ぶっとばして東京へ。
 
 その夜、重大な法則を発見してしまった。それは
『車をぶっとばした後に酒を飲むと必ず沈没する!』
ということである。以前にも同じようなことが何度もあったのだ。約束の時刻に間に合うようにドキドキしながら猛スピードで車を運転すると神経は興奮するわ血圧は高くなるわで、アルコールを血中に過剰にとりこんでしまうのか。と、沈没した頭で考えてみるが苦しみが和らぐわけでもなく。
 こんな失敗をくり返すことで、酒とうまく付き合えるようになっていくんだなあ。(←酒呑みの自己弁護)

02. 5. 15 足裏健康法
 何を今さらとお思いだろうが、5月3日〜6日の連休の間の行状について書くことにする。今回は車で長野と東京を回った。

 初日、私は少し疲れていた。前日は深夜3時頃までかかってHPに韓国ネタをUPしたので若干睡眠不足。疲れている時は足の周りの靴さえ鬱陶しい。北陸自動車道を運転しながら、靴を脱ぎたい、と痛切に感じた。なので初めての経験だが、途中の有磯海SAで休憩したのを機に、靴と靴下を脱いで裸足で運転することにした。
 これは意外に具合がいい。靴の場合はアクセルを単純に押したり引いたりしかできないが、裸足でアクセルを踏むと足裏のちょっとした曲げ加減でアクセルペダルの踏み込み方を微妙に調節できる。肌の触覚で直にペダルを認識するので、踏み間違いも少ないだろう。加えてペダルが青竹のように足裏にほどよい刺激を与え、快適で眠気ざましにもなる。多くの点で、靴を履いた場合よりも安全運転に寄与すると思う。教習所の教本には「下駄やサンダルで運転するな」と書いてあったけど「裸足で運転するな」とは書いてなかったね。
 高速の糸魚川出口で料金を払う時も裸足。係員には見えないはずだとはいえちょっとドキドキする。

 安曇野へ向かい、国道148号線を南下。小谷(おたり)の道の駅で停車、靴を履いてレストランへ。オリジナルメニューの温泉玉子カツ丼、略して温玉カツ丼を食う。なるほど、とろとろの温泉玉子がカツ丼に合っているな。
 ここの道の駅には温泉が併設されているので、ついでに入って、汚れた足を洗った。
 出た所に足裏マッサージ機。これも初めて見た。”旅先浪費効果”も手伝ってトライしてみる。巨大なスリッパのような機械に足を入れて100円投入すると、それは私の足の甲をむんずと掴み、続いて足裏を踵から爪先にかけて少しずつ位置をずらしながらぎゅーっと押してくる。おおう!
 実は私はイボイボのついた健康サンダルを履いても苦しいくらい足裏が弱いのだ。内臓が悪いということか。ともあれこの体感はすこぶる強烈であった。続ければ体にいいのかもしれない。10万円弱で売っているという。買おうかな、と2秒ほど考えたけど、やめた。
 温泉とマッサージ機が効いたのか、足の疲れもとれ、その後は靴を履いて運転を続けたのだった。つづく。

02. 5. 3 そうだったのか!
 春になったと思ったらいきなり夏がきた。さっき道路の気温が30度を示していてびっくり。絶好の行楽日和ですな。私もこれからクルマで旅に出るのだが、途中ちょっと職場に立ち寄っているところ。
 連休前になんとか公開するべく頑張ってきた韓国ネタを、昨夜遅くにようやく3章までUPした。いやー、締切り前の漫画家のような気分だった。編集者に原稿を渡してホッと一息というような状況。続きはいつになるかわからないけど、全部で5章くらいになると思う。ご感想などいただけると幸いです。

 今回、当サイトの記事としては初めて壁紙を導入。これにあたり、以前からの疑問に直面することになった。つまり、他のサイトで時々見る、「左端だけ模様の帯が縦に伸びていて右側は空白」という壁紙はどうやって作るのかということ。通常、壁紙というものは基本パターン画像を上下左右にウィンドウの領域いっぱい繰り返すことになっている。ところが、帯の場合は下には繰り返すが右は空白で、繰り返していないようだ。右には繰り返すな、というコマンドがあるのだろうか。HP作者の世界では常識なのだろうが、一人で考えていろいろ試行錯誤もしたがわからなかった。

「それなら、素材屋さんに行けば何かわかるかもよ」とある人に言われる。なるほど、その手があったか、と思って行ってみた。
 実に簡単なことだった。右側の空白も含めて基本パターンなのだ。帯と呼ばれるパターンは左右が900ピクセルほどもあって、通常のウィンドウの幅がすっぽり入るほど広いのだ。頓智クイズに騙された子供みたいに笑ってしまった。
 あともう一つの昔からの疑問、背景が透明な画像はどうやって作るのかも、その素材屋で解決。gifファイルにするんだね。その作り方も調べた。これを覚えておくといろいろ遊べそう。たとえばさりげなくはさんでみるとか。

 うーん、やってみるとあまりさりげなくないね。もっと頑張ろう。

 まだWeb素人なので、こんなささいな発見にも感動してしまうのでした。
 それじゃ、また!

02. 4. 24 掃除の心理
 それで思い出したけど(掲示板参照)、先週末にちょっと気合いを入れて部屋の整理整頓清掃をしたわけです。畳の上に散乱していたブツをとりあえず高いところに上げて、床の露出度を50%からほぼ100%にまで高めた。あちこちに積み上げられていた本はサイズ別に分類して、なんとか棚に収納。読まない雑誌を大量に処分。炬燵布団はクリーニングへ。ファンヒーターは灯油を抜いて押し入れへ。掃除機をかけた畳は水拭き。まだ物の多い部屋ではあるが、努力の甲斐あって見違えるようになった。まあ作業前がひどかったせいもあるけどね。
 気分がいいので、僭越ながら今回だけ掃除について偉そうに語ってみる。

 以前「ためしてガッテン」の掃除の回で山瀬まみが言っていた。「部屋がきれいだと自分もきれいになる。片付いた部屋を見ると『じゃあお紅茶でも入れようかしら、お花でも生けようかしら』、散らかっていると『わあ汚ねえ、見ないことにして寝てしまえ』となる。」 うんうん(同意)。
 掲示板に書いたように、何事でも「やらないとマズイぞ」という心境ではやる気が起きず、「やるとイイぞ」という心境ならやる気が出る。片付け前はこれからやるべき膨大な作業に絶望し、天を仰いで嘆息したあげくいつまでも作業開始できずにいたりするが、片付け始めると少しずつキレイになっていくので次第に「よしもっとキレイにしてやろう」とやる気が出て、片付け終わったあとも勢いは止まらずに料理など作ったりする。とにかく作業を始めることが大事なのだ。始めさえすればその作業は半分終わったも同然、という言葉もある。

 実は今回作業をしている時に常に頭にあったのが、整理整頓について京極夏彦氏が語っていた鉄則だった。曰く、完璧に整理整頓された状態ってのは長期に渡って崩れずに秩序を保つけど、ツメが甘くてちょっとでも乱れが残っているとすぐに乱雑な状態に戻ってしまうとのこと。私は普段は70-80%くらい片付いたら「ま、こんなもんでいいか」と放り出してしまう癖があるのだが、今回は京極先生の教えを肝に銘じて徹底的に片付けるようにした。
 まさにその通りです。今は散らかしたあとにすぐ片付ける自分がいる。「ツメが甘いとすぐ崩れる」…考えてみれば物事は何でもそうだなあ。

02. 4. 18 韓国関係テレビメディア雑感
 韓国から帰ったあとも、韓国関係の番組はちょくちょく見ている。16日には「とっさのハングル」(NHK教育)と「味わいパスポート」(NHK総合)を見たけど、前者では阿部美穂子が、後者では大八木淳史が、同じようにソウルの漢方薬屋の店先でムカデの束に驚いていた。おかしかった。
 阿部美穂子嬢は3月まで「ハングル講座」に出演していた人。ちなみに井川遥って3月まで「フランス語講座」に出ていたんだってね。売れてから出始めたのか、出てから売れ始めたのか知らないけど、語学講座からスターが出るのはジローラモさん以来ではないか(笑)。「ハングル講座」視聴者としては、阿部ちゃんももっと売れるといいな、と密かに思ったり。

 韓国滞在中はあまりテレビを見なかったが、見たかった「女人天下」は1回だけ見ることができた。韓国の大河ドラマ。NHK大河のファンとしてはチェックしておかないとね。といっても「女人天下」とNHK大河の類似点は歴史物であるということぐらいだった。形式的なことではあるが、NHK大河と違う点を挙げると
 (1) 平日に放送する。
 (2) CMが入る。
 (3) すでに放映話数は120話以上を数える。金正日総書記は80話まで見たらしい。
 (4) 1話の放送時間は1時間10分。
そして最も驚いたことには、
 (5) 週2話ずつ、月曜と火曜に放送する。つまり毎週2時間20分ずつ話が進むわけだ。日本の週1のドラマと比べると驚くべきハイペースだ。いったいどうやって撮影しているのかと思う。
 他の掲示板で教えてもらったところによると(こればっかりですみません)、韓国のドラマは週2回が普通なんだそうだ! したがって撮影はかなりハードスケジュールだという。それで最高視聴率40%取っている(局の数が少ないので数字は直接比べられないけど)のだから、韓国の視聴者は日本よりずっとドラマに熱中しているんだなあ。NHK大河のスタッフはさぞうらやましいことだろう。大きなお世話か。

 漫画でも、月に1500ページ描くというとんでもない漫画家が韓国にはいるそうだ。週2回ドラマを作るのも月に1500ページ描くのも、良し悪しは別として、韓国人のムチャクチャなエネルギーのなせるわざだと感じずにはおれない。

02. 4. 10 動き始めた汽車に飛び乗れ!
 FM番組でちあきなおみの『喝采』を久々に耳にした。昭和47年のレコード大賞受賞曲。歌中に「♪動き始めた汽車に 一人飛び乗った」というくだりがある。デッキ部分がオープンになっている古い型の車両であろう。昔聴いたときは気にもとめなかったが、列車がほぼ100%自動ドア車両となった今、改めて聴くと「ああ、昔は自動ドアじゃなかったんだなあ」としみじみ感じる。そもそも、歌詞に「汽車」という言葉が出てくることも、今ではまずないよ。
 このオープンデッキの旧型車両関係の場面というと、『喝采』のような涙の別れのシーンももちろん多いのだが、私などは「いなかっぺ大将」やバスター・キートンなどのスラップスティックコメディのほうを思い出してしまう。汽車に乗り遅れた人が線路を走って追いつくとか、疾走する汽車から落ちそうになってコイノボリのように必死でデッキの手すりをつかんでいる場面とか。まさにカラダを張ったギャグ。そんなわけで子供の頃、一度でいいから動き始めた汽車に飛び乗ってみたいと思っていたものだが、それを実行できる旧型車両には実はまだ遭遇したことがない。

 そこで、この型の車両はいつ頃まで走っていたのか(もしくは、今でもどこかで走っているのか)、よく行く掲示板で”鉄道好き”兼”歌好き”の常連さんに教えてもらった。昭和50年代後半から徐々に姿を消し、平成2年神戸市内の兵庫-和田岬線に走っていた車両が引退したのを最後に、公式には旧型客車は全廃となったとのこと。意外と最近まで走っていたんだな。ただし静岡の大井川鉄道では、現在でも不定期ながらSL牽引の列車に古い客車列車が使われているという情報をいただいた。いつか機会があれば、動き始めた大井川鉄道に一人飛び乗ってみたい。

 鉄道好きの人は、B5判の時刻表を毎月買って飽かず眺めるらしい。私もたまに時刻表の口絵の風景写真など見ることがあるけど、たいていは新型車両の走る路線、新築の娯楽施設が紹介されるのみで、自分はそういうものにはあまり食指が動かないことを認識する。私が旅して身を置いてみたいのは「省電」と呼ばれたころのチョコレート色の山手線車両だったり、一面の野原に囲まれていたころの瓦屋根の金沢駅舎だったりするのだ。もちろんそれは決して実現することのない旅。行けないからこそ思いが募るんだなあ。

02. 4. 2 阪神とビスコ(両者の間に関連はなし)
(1) 『ミスター・ルーキー』という映画の予告編は面白そうだった。覆面をかぶってマウンドに上がる謎の投手の活躍で、阪神タイガースが優勝に向かって快進撃を遂げる話。企画がうまいなあ。こんな映画を作ったら阪神ファンは全員見に行くしかあるまい。映像にも引きこまれた。「昼は平凡なサラリーマン、夜は正体不明のスーパーヒーロー」という昔ながらのマンガのような設定が、リアルな試合シーンで生き生きしたものになっている(と思う。本編見てないけど)。
 そうこうしているうちに、現実に阪神が巨人相手に開幕2連勝したらしい。ペナントレースの勝敗ってのはチームの投手力打撃力守備力よりも、「気運」「雰囲気」「流れ」「ノリ」のほうに強く左右される傾向がある。もし本当にこのまま阪神が優勝したら、その30%くらいはこの映画の功績なのではなかろうか。さて。

(2) コンビニで食糧を物色していたら「ビスコパン」「グリコパン」というパンが目に入った。4月29日までの限定販売だって。袋はおなじみの箱の絵を踏襲したデザイン。心をくすぐられ、つい2つとも買ってしまった。中身は、普通のパンにビスコのクリームのような味のクリームが、もしくは黒糖パンにグリコキャラメルのような味のクリームがはさまっているものである。袋から出してしまえばあまり感動はしない(笑)。慣れ親しんだある銘柄が別のジャンルの製品に姿を変えて登場すると、結構物欲をそそるもんなんだね。「レゴ手帳」「ボスジャンパー」などもそうだった。
 突然話が飛ぶが、酸化物高温超伝導体で、Bi-Sr-Ca-Cu-Oという化合物がある。正式に読むと「ビスマス・ストロンチウム・カルシウム・カッパー・オキサイド」などという長ったらしい名称なので、たいてい省略して呼ばれる。日本の研究者は「ビスマス系」と呼ぶ人が多いけど、欧米ではBiSCCOと書いて「ビスコ」と呼ぶのが普通。「ビスコの層状構造が…」などという講演を学会で聞くと、いまだにビスケットと乳酸菌入りクリームの3層構造を思い浮かべてしまう自分は、研究者としてどうなんだろう。

02. 3. 26 木と水とフィルムとビデオ
 ああ、やっとサーバーが復旧したか。職場全域停電の影響で2日ほどつながりにくい状況でした。私のせいではありませんが、どうもすいません。そろそろウチのサイトも民間のサーバーに引っ越すことを考えよう。

 『ほんまもん』もいよいよ最終週。私はこのドラマは結構好きだった。美味しいものを食べさせることであらゆる難題を解決してしまうというパターンはマンガなどでは古典的な筋立てだが、その背景にあるのがヒロインやその家族たちの、自然と共存するという姿勢。これは「木」と「水」の物語であった。ヒロインの名(木葉)、娘の名(雪枝)、店の内装の床柱といったあからさまなシンボルから、木葉が高校時代に吹いていたファゴット(木管楽器)まで、全編が木と水に彩られていた。
 一時期、多摩川の近くに住んだことがある。空気のキレイさは熊野には到底かなわないけど、大きな川があるというだけで嬉しく、よく川べりを自転車で走った。今は田んぼの中に住んでいるので4〜5月はまわりじゅう水田。水のあるところは心が和む。

 熊野の木葉の店は、外観だけ実在の公民館を使い、内部は渡り廊下も含めてすべてスタジオセットで撮影したそうだ。店の大きな窓から見える山や木や夕日の風景がきわめてリアルで、作り物だとはわからなかった。最近のセットや照明技術は優れ物だなぁと感じた。「木」「大自然」にこだわったスタッフの心意気がこんなところにも見える。
 昔のドラマの場合、ロケのシーンとスタジオセットのシーンは明確に判別できた。セットが安っぽかったという要因もあるが、何よりも、ロケ撮影にはフィルム、スタジオ撮影にはVTRと使い分けていたからだ(オールフィルムのドラマは除く)。室内のシーンではVTRなので人の肌などもテカテカ光沢を放っているのに、一歩おもてに出ると突然フィルムに変わってザラついた感じの画面になるのが普通だった。昔はVTRカメラが重くて外に持ち出せなかったためらしい。ロケにもVTRを使い始めたのは、朝の連ドラでは『鳩子の海』(74年)からだったかな。
 だが見る側からすると、フィルムの粒子の粗さは現実のアウトドアの光線感覚と妙にマッチしていて、けがの功名というか、「中ではビデオ、外ではフィルム」もむしろ効果的な選択肢なのではないかとも思う。いまのドラマはたいていオールVTRだから、ときどき懐古番組で当時のドラマを見ると懐かしくなったりする。

02. 3. 18 老マエストロ
 日本ゴールドディスク大賞授賞式をTVで見た。私はCDをあまり買わないので、この番組のライブを見て一年分の音楽を(以下略)。これに出るために来日したマエストロ小澤征爾が、ステージ上で浜崎あゆみと並んで語り合っている様はなかなかレアな映像でしたね。
 オープニングはポルノグラフィティの『アゲハ蝶』。じつはこの歌は練習したことがあるが、難しいのでついぞ人前で歌ったことはない。今回も「難しい歌だな」と改めて思いつつ聴いていたら、本人も間違えてたよ(笑)。やっぱり難しい歌なのだ! 1コーラス終わったところでVo.のアキヒトが「どうもありがとうございましたあ!」とでも言うような調子で「歌詞を間違えましたあ!」と高らかに宣言していたのがいっそ清々しい。20数年前、生番組で歌詞を忘れて40秒間立ち往生した某人気歌手を思い出し、世代が変わったなあと感慨にふける30代男であった。

 たまにはCDでも買うか、と『ハリーポッターと賢者の石』のサントラを買った。部屋の掃除をする時につい手が止まってしまうので、何かBGMが流れていれば時間の経つのを忘れることもなくなると思って。とはいえこの音楽が流れていると、棒をサッと振るだけで一瞬にして部屋が片付くような気もしてくるのだが、さすがに試しはしない。
 ジョン・ウィリアムスの音楽は絢爛たる音色に満ちていて鮮やかだ。『ジョーズ』『スターウォーズ』『スーパーマン』『E.T.』『ジュラシックパーク』『シンドラーのリスト』等々そうそうたる大作を手がけている、言わずと知れた映画音楽のトップランナー。なんと、今年で70歳だそうだ。いかりや長介と同じ(だから何?)。ここにも、若手の追随を許さない老練の仕事を見せてくれるマエストロ(職人)がいる。

02. 3. 12 日本アカデミー賞
 韓国に行ってきました。いろいろ見聞きして、いろいろ飲み食いして、充実した日々でした。いずれまとめて書きます。でも、こう韓国ガイド番組や韓国特集雑誌記事が山のように出回ってると、オリジナリティのある紀行文を書くのが難しい…。

 日本アカデミー賞授賞式をTVで見た。私は映画館で見ることが少ないので、この番組で紹介される映画の断片を見て一年分の映画を見た気分になるのが例年のならわし。しかしついこの間見たばかりだと思ったらもう一年経ってしまった。この調子でいくとアッという間にじじいになってしまうな。
 それはともかく、『陰陽師』の野村萬斎にハマった。飛んだり跳ねたり術をつかったりの部分は興味ないけど、ニヤリと笑った不敵な微笑。ライブで聞けば肩こりも治りそうな、張りのある低音の発声。観客が映画から受け取るメッセージはストーリーや音楽だけでは決してなく、出演者の一挙手一投足、しゃべり方などを享受するという部分も重要なのだな。

 そして最優秀作品賞は『千と千尋の神隠し』、まあ記録的ヒット作品だし、この賞を運営してるのが日テレ系だし、さもありなん。そういえばまだ観てなかった。たまたま近所のワーナーマイカルでレイトショーにプログラムされていたので、今更だが1200円払って観た。
 うーん、ハリーポッターを観た時にも思ったけど、この非現実世界のルールがわからないのがもどかしい。なんで”汚れ神”の体内に山のような粗大ゴミが? なんで一晩明けたら草原が海に変わってるんだ? 電車はどこからどこへ行くのか? 町をうろついてる黒い影たちは何者?
 「自然を汚すな」「カネに踊らされるな」等々のメッセージはわかりやすすぎるくらいだが、豊富な不思議アイテムに”物のコトワリ”の裏付けがないと作品世界に入り込めない、こんなオレはファンタジー映画の観客には向いていないのであろうか(かといって全部説明するような映画も勘弁してほしいと思うが)。ただ、宮崎監督の繰り出すイマジネーションはたしかに圧倒的だ。ハリポタより圧倒的だ。想像力において宮崎駿を超える若手アニメ作家は当分登場しないかもしれない。
 3月から再び拡大ロードショーだそうだ。すごいなあ。ふぅ。

02. 2. 28 いいか?金沢
 いまメディア上で最もホットな地域は、国外では韓国、国内では金沢といってよいであろう。数年前に石川県の政財界人らが「大河ドラマの舞台を石川に」という運動を始めて、NHKに陳情したりもしたらしいけど、それがアッというまに実現してしまったので驚いた。おそらく森前首相が陰で動いたんだろうな。まあ何にせよ自分の住んでいる町が脚光を浴びるのはまんざらでもない気分。
 先日も奥田瑛二とリサ・ステッグマイヤーが金沢近辺のうまいものを食べて歩くという、石川ローカル局が制作して全国ネットで放映された特番があったので、見てみた。

 うーん、やっぱり金沢を紹介するとどうしても、豪華絢爛、すばらしい伝統文化をさあ見なさい的な金沢ホメホメ番組になってしまうね。もちろん安っぽいグルメ番組とは一線を画した、文化や歴史にも踏み込んで深みのある番組だったけど、それだけに金沢の鼻高々な性質がにじみ出ていたことも否めない。
 これはこの番組だけではなく、金沢という町を歩いているとしばしば感じることである。たとえば、金沢市の観光用キャッチフレーズはこんなの。

   いいね金沢

 何がいいというのだろう。ヒネリなさい(←「な」にアクセント)とツッコミたくなる工夫のなさ。金沢の人にとっては金沢が良いということは当たり前であって、もういちいち説明するのもうんざりだから、とにかく来いよ、という感じだろうか。これと非常に似たセンスの文でよく見かけるのは、某有名和菓子メーカーの宣伝文句。

   金沢のお菓子は いいですね

 だから、どこがイイのか説明せえちゅうんじゃ!
 『利家とまつ』にも、私は今一つ乗りきれずにいる。視聴率は関東地区で20%台半ばで、なかなか善戦していると思う。ここで悪口を書いても視聴率が下がることはないと思うので書くけど、見ていてドラマ世界に入り込めない。画面で喋っているのは唐沢であって利家ではなく、松嶋であってまつではなく、反町であって信長ではない。そもそも大河の面白さは、映画、舞台、歌舞伎、狂言など、いろんなジャンルの役者が顔を合わせて、真剣勝負で新鮮な演技を生むところにあったと思うわけで。今回のような若いもん向け人気ドラマ一本槍の人選では、大河ならではの魅力を半減させているし、そのため脚本家も執筆にかなりの制約を受けていると聞く(誰々の見せ場をもっと作ってください、などとスタッフが要請してくるらしい)。そんなこんなで、開始2ヶ月にして見るのをやめた。はっはっは。でも利家が金沢城に入城したらまた見る予定。
 まあもともと観光資源には恵まれているから、もしドラマがコケても金沢に観光客が来なくなることはないでしょう。ええ、実際町並みは綺麗だし、兼六園も意表を突いた面白さがあるし、来て損はないですよ(フォロー)。

 というわけで、金沢に見切りをつけて(嘘)もう一つのアツいスポットの韓国に1週間ほど旅に出てくる。じゃあまた。

02. 2. 21 睡眠のリズム
 5時間寝た時よりも、4時間しか寝なかった時のほうがスッキリ目が覚める。休日には10時間とか13時間といった惰眠をむさぼることもあるが、9時間とか11時間寝た後に起き出すことは少ない気がする。スッキリ目覚めるための睡眠時間には規則性がある。わたくしの場合は 3n+1 時間(n:0以上の整数)寝ると目覚めがいいようだ、という結論に達したのが学生の頃。

 後で知ったのだが、人の睡眠には浅い眠りのレム睡眠と深い眠りのノンレム睡眠があり、眠り始めてから1時間半後、3時間後、4時間半後…というように約90分周期でレム睡眠がやってくるんだそうな。レム睡眠の時に起きると目覚めがいいというわけ。私の 3n+1 時間という法則と比べると「3n」のところはまあ矛盾しないが「1」だけずれているのがちょっと気になっていた。
 で最近思い当たったんだけど、眠り始めてから90分ごとにきれいな周期の睡眠リズムを描くのは、完全な覚醒状態から眠り始める場合でしょう。風呂に入って、歯を磨いて、パジャマに着替えて、電気を消して、布団に入ってさあ寝よう、というふうな、健康な生活を送っている人にとってはごく普通の寝方をしていれば、本来の周期で最初のレム睡眠がやってくる。だが私のように、本を読んでいたら眠くてどうしようもなくなったのでそのまま布団に潜り込み、電灯を消すのも忘れて寝入るという寝方をしていると、しょっぱなから深い眠りに入ってしまって上記の睡眠リズムにずれが生じるのではないか。我ながら、なんで普通の寝方ができないんだろうと思う。たぶん起きている間の過ごし方が不完全燃焼気味なので、やり残したことがあるような気がしていさぎよく寝る準備をしたくないんだろうな。

 ということを書いてみたのは、1日6時間から7時間寝る人がもっとも死亡率が低いという記事を新聞で読んだから。アメリカの研究グループが110万人の人を6年間追跡調査した結果だ。8時間寝る人は、6〜7時間の人に比べて死亡率が1割ほど高かった。つまり長く眠るほど健康にいいわけではないという結論。なぜそうなるかの理由はわからないとのこと。年齢などの要因も考慮しているらしいから、8時間寝る人に爺婆が多かったから大勢死んだというようなことではない。単純に考えるに、8時間という睡眠時間は自然な睡眠リズムに反した寝方であって、そういう人はえてして深いノンレム睡眠にいる時に起きなければならなかったりしてストレスがたまるのではないか。
 眠りの深さを各家庭で簡単に計れる装置があればいいなぁ。目覚ましアラームと連動していて、何度目かのレム睡眠を認識したら起こすようにする。さわやかに一日を始められ、寿命も延びる。三大欲求の一つであるくらいだから我々は睡眠にはもっとこだわりを持ってもいいと思うがどうだろう。(じゃあまずパジャマに着替えて寝ることから始めろ>オレ)

02. 2. 13 ソウレチャンガ
 晴れの週と雪の週が交互にやってくるのな>石川県。
 先週はわりと穏やかな気候で、もう春かと一瞬思ったけど、そんなわきゃない。週末からまた雪になった。今回は今週の金曜日まで約1週間雪マーク。この冬はまだ一日に50cm積もるような事態にはなっていないので、せめてもだ。ケンチャナヨ(ま、いっか)。

 懸案であった韓国への旅の日程がついに決まった。いやワールドカップを見に行くわけではなく、一応仕事で行くのである。それに向けて最近、韓国関連の本や映画やTV番組を手広く見たり読んだりしている。今日日、W杯のせいで韓国ブームなのでそのようなタイトルはいくらでもある。
 そんな中、NHKで正月に放送された『韓国のおばちゃんはえらい』というドラマを見ていたら、BGMになんだか聞き覚えのあるマーチ調の曲が流れていた。昔なつかしい『スター誕生!』のオープニングテーマによく似たメロディだ。
 いったい、この曲の正体は何なのか? なぜスタ誕と似ているのか?
 真相究明への、長い闘いの、始まりだった。(プロジェクトX調)

(ステップ1)ドラマへの使われ方から推測して、どうもオリジナル曲ではなく一般に知られている曲らしいと思い、まずはいつも利用しているたずね歌掲示板でメロディを提示して情報を乞うてみた。すると韓国のラジオ放送で聞いたことがあるとのお返事。やはり韓国に存在する曲だとわかる。

(ステップ2)今度は韓国人の同僚に飲み会の席で聞いてみた。メロディを口ずさむと、彼はすぐさま合唱してくれた。有名な曲なのだと確信した。しかし「題名は何ていうの?」「そんなことはいいから、飲もう」…教えてもらえなかった。

(ステップ3)何日か経って、NHKハングル講座のウェブページを見ていた。この番組には毎月1曲韓国の曲を取り上げて神野美伽が歌うコーナーがある。そこで歌われた歌の中に「ソウル讚歌(ソウレチャンガ)」というのがあったことを知る。マーチ調の軽快な曲だという。これではないかと直感した。しかし、惜しいことに放送日はとうに過ぎていて、TVでは聴けない。

(ステップ4)ついにCDを購入して聴いてみることにした。目当ての「ソウル讚歌」が始まる。スピーカーから軽快なドラムの連打が響いてくる。まさにあのドラマのBGMだった。やった、と叫んだ。(ちょっとオーバー)

 私以外にも「ソウル讚歌」とスタ誕のテーマがそっくりだと指摘している個人ウェブページがあった。まあ、あのドラマを見た30代半ば〜40代半ばの人は全員同じことを思ったかもしれない。その頁によれば「ソウル讚歌」のほうが古いらしい。スタ誕の音楽担当が誰だったのか知らないけど、パクリか? 偶然か? それとも、特に韓国系の人々に向けた芸能界をめざせというメッセージか? うーむ。♪旅はまだ終わらない…(ていうか始まってもいない)。

・追記:その後、この歌が聴ける頁を発見。「讚歌」でなく「賛歌」で検索すればよかったのだ。ちぇっ。

02. 1. 30 Googleで知る生きた日本語
 今週はまた大雪の当地であります。石川県に住んで8回目の冬を迎え、だいたい一冬に何日くらい雪掻きをするかわかってきた。雪の日は多いけど、一度にドカッと降らずに小分けにして降ってさえくれれば、積もる前に駐車場から出し入れするので何とか掻かずに済むのだね。もちろん除雪車には大変お世話になっているけど。そんな雪の季節の終りが見えてくるまで、あと1ヶ月ちょいの辛抱。

 職場では学生が博士論文と修士論文の執筆に追われる季節であります。ちなみに自分はずっと博士論文は「D論」、修士論文は「修論」という略称で呼んでいるが、考えてみればこれは奇妙なことだ。「D論」とくれば「M論」だし、「修論」に対しては「博論」と言わなければ系統的でない。おそらく「ハクロン」より「ディーロン」のほうが、「エムロン」より「シューロン」のほうが発音しやすいためにこんなちぐはぐな呼称が定着してしまったのだろう。
 もっともGoogle検索してみたら、世の中に博論やM論という言葉はちゃんと存在し、「博論・修論」「D論・M論」と系統的な用語を使っているところも多い。だが「D論・修論」という流儀の研究室も少なくなく、自分だけがヘンなのではないことがわかった。ちなみに卒業論文は「卒論」であって「B論」と言ったことはない。D論とまぎらわしいからかな。

 ところで『ほんまもん』で、愛川欽也が自分の負った怪我を説明するときに「十針(とはり)も縫ったんだよ!」という台詞を言っていた。十針を「とはり」と読むことを初めて知った。たしかに、ひとはり、ふたはりと数えると10は「とはり」になるね。でもそのルールでいくと五針、六針は「いつはり」「むはり」になるはずだが普通は「ごはり」「ろくはり」と言ったほうが通りが良いのではないだろうか。正しい読み方はどうなんだろうと思ってGoogle検索したところ、「外科の専門用語ではイッシン、ニシンと数える」という記述に出会ってそれ以上は追求しないことにした。

02. 1. 12 ドリフターズってすごいねぇ
 ちょっと話題にするのが遅くなってしまったが、このあいだの紅白は、SMAPがいなくてもやっていけるとわかった点で意義があったと思う。稲垣吾郎が年明け早々復帰することになったのはこのことにショックを受けたからだったりして。

 紅白の番組構成そのものは相変わらずである。とくに曲の合間の持たせ方にはほとんど進歩がない。白組のお笑い系出演者が紅組にやってきて和田アキ子の悪口を言うと後ろに本人が立っているとか、白組の中堅演歌歌手軍団が寒いギャグをかますとか。20年くらい同じことをやっているように思う。水戸黄門の印篭のような偉大なるマンネリズム(偉大かどうかは意見が分かれるだろうけど)。

 さてそんな十年一日のごとき紅白であったが、終わってみると、今回はドリフターズとえなりかずきで持っていた、というのが私の感想だ。

 紅白ではよく、世間で流行った定番ギャグをここぞというときに使うけれども、「オジサンは怒ってるんだぞー」「ガチョーン」など過去のそういうシーンでは、台本が安直なせいもあって、たいてい客の反応は冷ややかだった。ところが今回、いかりや長介が「8時4分過ぎだよ、全員集合!」と叫ぶと、会場は割れんばかりの大拍手。この客の心の掴み方はどうだ。お馴染みの聖歌隊も、歌手との掛け合いなど、アドリブ満載で盛り上げる。16年もの間、全員集合という生番組で培われた、客席を湧かせる技術がいかんなく発揮されていると感じた。これこそ紅白が必要としていたものだったのかも。

 えなり君も、カツゼツが良いし、歌もうまい(キーボードまで弾くとは知らなかった)。そして一番印象に残っているのは「紅組にビシッと言ってやってくれ」と言われたのにモー娘に「ファンなんです〜」と相好を崩す小コント。これもまた古典的なネタの1つではあるが、笑いをとったあとツッコまれるまでアドリブで間を持たす、その演技がなんともおかしかったなー。もちろん天然ボケではなく計算された演技である。若いのに歌もしゃべりもコントもすべて完璧にやってのける、恐るべき才能の持ち主。

 多くの出演者が半分嫌がりながら(?)ギャグをやっていた中で、70歳の長さんと17歳のえなり君は、マンネリ紅白で与えられた役割をキッチリ演じきっていた。もし紅白がこの先もずっとこのスタイルで行くなら、やはりこういう芸達者な人々が必要不可欠なのだろう。

 さて私事であるが、紅白の翌日、元旦に妹夫婦に子供が生まれた。幸い私も実家にいたので、生まれて1時間後の赤ん坊に対面することができた。これからが大変だと思うけど頑張ってほしい。
 そんな年末年始でした。

 本年もどうぞよろしく。

00. 6 - 12   01. 1 - 6   01. 7 - 12   02. 1 - 6   02. 7 - 12  
更新履歴

02. 5. 2 『韓国漂泊綴』3件UP。
02. 1. 5 『雑感』に「視聴率を考える(2)」をUP。
After 5