過去の【今日日の私】 01. 7 - 01. 12

01. 12. 27 メッセージ・ソング
 NHK石川ローカルの「かがのと505」という番組の中に「懐かしのみんなのうた」というコーナーがあることを最近知った。日替わりで2曲ずつ昔の曲を流してくれる、マニアにとっては夢のような企画だ! で、このあいだはピチカート・ファイヴの『メッセージ・ソング』が流れていた。平成8年放送。

もしもある日 冬のある日 この歌を聞いたら
 想い出して これは ぼくからのメッセージ


 いい歌だなぁ。アニメーション(西内としお)も暖かくて心に染みる。

 ところで、ここ1年ずっと出入りしていたある掲示板が、管理人さんの意向で書き込み不可となってしまった。突然の知らせにただ驚くばかりだった。
 子供からお年寄りまで集まってワイワイやれる、非常に良い雰囲気の掲示板だったのだが、最近、一部の人による荒らし的な書き込みが目立っていた。

 大槻ケンヂは、ファンサイトでファンに心ない非難の言葉を書き込まれたのがきっかけで、筋肉少女隊を脱退するに至ったという。ほんの少人数によるネガティブな言葉が、サイト運営者やアーティストの活動意欲を根こそぎ奪ってしまうこともあるんだな。
 ネガティブな力は浸透力が強い。ウィルスと同じで、瞬く間に大勢の心をネガティブにしてしまう。

 掲示板荒らしと一口に言っても、悪意に満ちた愉快犯もいれば、自分を荒らしだと思っていない単なる礼儀知らずもいるらしい。前者は能動的に他人に不快感を与えることを目的としているのに対し、後者は自分の言葉になぜ他人が不快感を示すのか、本当にわからないでいる、もしくは他人が不快感を示しても一向に意に介さない。彼らは現実世界でも人と話す技術を欠いているから、当然、論理的な話はできないし、相手が理詰めで問題点を指摘しても、聞く耳を持たない。
 どうして彼らはそのようになったのか。どうすれば彼らは他人と共存できるようになるのか。心の問題は年々難しくなっていくようだ。

 大手情報機器メーカーに勤めていた理科系の友人が、2年前に退職して、神父になるための学校に入学した。きっと、性能のいいパソコンを作ることよりも、迷える人の心を救うことの方が、いまの世界には重要だと考えたのだと思う。

 心の干涸らびた人々に、メッセージが届くことを願う。

01. 12. 21 どこかにいってしまったものたち

 ♪さて、クリスマスだ
  君は今年、何をした?


というJohn Lennonの歌声が頭の中を流れる今日このごろ。ううう、なんにもしませんでした、ごめんなさい、と泣き伏してしまいたい気分。あと10日で年が変わるなんてまったく実感がわかない。きっと嘘だ、オレは信じないぞ、などとたわむれに思ってみたりする。

 自分のG4 Cubeに増設するメモリを買いに久々にパソコンショップに行った。店頭を眺めていたら、新品のCubeが並んでいないことに気付いた。製造中止になったと店員から聞かされ驚く。うーむ。1年前に買った時に抱いた一抹の不安が現実となった。まあいつかこの時が来ることはわかっていたけれども、それにしてもたった1年で過去のモデルになるとは思わなんだ。ふつうのG4に比べて機能も遜色ないし、体積は約1/4とコンパクトだし、嫌われる理由はないと思うけどなあ。初期に、ボディに傷のついた製品が多数出荷されたので悪印象を与えたのだろうか。「Cubeなんて持ってんの?アハハハハ」と笑われる日も近いかも。
 パソコンの仕様もモーニング娘のメンバーもどんどん変っていくのである。今年の夏、9人の顔と名前をようやく覚えたと思ったら、また4人増えた。もうええわ。

01. 12. 15 声域
 いやーついに今年も冬が来てしまいましたねー。3日前は珍しく雲一つない快晴だったのに、昨日(12/14)から北陸特有のあられのような固い雪が猛烈な勢いでバラバラ降り始めた。今朝TVで週間予報を見たら、一週間ずっと雪のマークが並んでいて、マジかよオイと呟いてしまった。早くタイヤを替えないと。

 車を運転しながらよく歌を歌っている。カラオケに行く機会がなかなかなく、クルマという個室空間で憂さを晴してるってわけで。一応車の外には音は漏れないと思う(本当か?)のでかなりの大声を張り上げたりする。あとは大口開けて歌っている阿呆面を対向車に見られないよう注意しながら。
 さて高校時代からこのかた、私の声域は高いGが上限であった。松山千春は歌えるがクリスタルキングの歌は原調では歌えないという高さ。それが最近、ハンドル握りながら久しぶりに「大都会」を歌ってみたら、驚いたことにちゃんと出た! ここへ来て、高いBが余裕で、その上のCも一瞬だけだが出るようになったのだ。おお。水泳の効果だろうか?
 「人間の声域は、低い方に広げるのは無理だが、高い方へは練習すれば広げることができる」と大学時代の先輩が言っていた。なるほど、こういうことだったか、と納得した。だが私は一時的になら低い声を出せる方法を知っている。それは酒を飲むこと。声帯がアルコールを含んで膨張する…のかどうかは知らないが、とにかく飲んだ翌日は声が低くなり、普段歌えないようなBilly Joelの「The Longest Time」のベースパート(最低音は低いF)なども歌えるようになる。たいてい二日酔いで気分は最悪だけど。ははは。

 それにしても、山下達郎の声域の広さはすごいねぇ。あの一人多重録音アカペラにはかないませんわ。「テープ早回しなどのズルは一切してません」と本人がラジオで言ってたし。自分の肉体のみを使ってどれだけのことができるかという、極限へのストイックな追求。職人技のようでもあるし、スポーツ選手の仕事のようでもある。酒の力を借りて声域を広げているようではまだまだであろう。

01. 12. 8 ロッカーの番号
 2ヶ月ほど前から水泳を始めた。かねてよりいろいろな人から、運動不足解消には水泳がいいと勧められており、最近になってようやく重い腰を上げたのだ。何ヵ所か比べてみた結果、今年オープンしたばかりの鶴来町のクレインプールの年間パスを購入した。1回の入場料と比べると、年間40回通わないと元がとれない計算になる。おお通ってやろうじゃねえか。というわけで今のところ週に2回くらいのペースで行っている。本当は毎日行くのが理想的なんだろうけど、大学の体育の時間以来定期的に運動したことがなかったから週2回でもかなりの負荷なんだな、これが。まあ無理せず続けて、慣れてきたら頻度を増やすかも。

 プールの更衣室のロッカーの番号が所々飛んでいることに気付いた。たとえば13の次は15に、28の次は30になっている。銭湯などでよく見る、4と9を使わない縁起をかついだナンバリングだ。建物が新しくても、やっぱり田んぼの真ん中に建っているような施設は細かいところで昔風だな。客層にお年寄りが多いし、無理からぬことであろう。
 このルールでいくと38の次は50に、88の次は100になるはずだ…と思って見ていくと、なぜか38の次は40だった。4・9排除ルールが適用されているのは一の位だけで、十の位では4も9も使っている。なぜだ! 理不尽じゃないか! オレはズボラだけど几帳面なのでこういうどうでもいいことが気になってしまうのだ。ちなみに松任のCCZ温泉の下駄箱では88の次が100になっているのを発見して嬉しかった。どうせやるならここまでやらないとね。鶴来は中途半端に都会なのか、首尾一貫して縁起をかつぐ田舎よりももっと考えの浅い田舎なのか、よくわからない。まあ4や9を使おうが使うまいが運営上はまったく問題ないんだけど。

01. 12. 5 ドリフに大爆笑
 紅白出場歌手の発表を見る。私の初出場・復帰歌手の予想はあまり当たりませんでしたな。特に紅組はKiroroを除いてことごとくハズした。知らない歌手も多い。でもなんといっても画期的なのはドリフターズの出場ですね。わははははは。こりゃ予想できねえできねえ。思わずエーッと絶叫してしまった。
 全員集合が全盛の70年代ならいざ知らず、なんでこの時期に? と驚いたが、思うにこれは「平成のドリフ」SMAPの代わりではないだろうか(ドリフターズさんすみません)。もちろん現在の芸能界でSMAPとドリフが同じような位置にいるという意味ではないが、個性派集団、5人組、コントもできる音楽グループ、子供らの層からの絶対的な支持を得るなど、70年代のドリフと今のSMAPは共通点が多い。世代は違えども、SMAP出場辞退で去っていく視聴者と、ドリフの初出場で寄ってくる視聴者の数は、案外いい勝負かもしれない。久々に紅白が楽しみ。
 そうそう、発表前に某掲示板で「中島みゆきが出るらしい」という情報を目にして、まさかと思いつつもちょっと期待してしまった。で、発表された歌手は紅組が1組少なかったので、「中島みゆきへの出演交渉が難航しているのかな」などと勝手に空想していたが、実は1組少ないのはウルフルズとRe:JAPANが一緒に歌うからだった。残念。

 ドリフのヒット曲多々ある中で、思い出すのは『ドリフの早口ことば』。20年くらい前、文化放送の「決定!全日本歌謡選抜」という電リクベストテン番組で15位まで上がったのを覚えている。この勢いでテレビの「ザ・ベストテン」にも入って、ドリフの5人がファンファーレとともにあの回転ミラードアから登場することを当時夢みていたが、こちらの番組では20位にも入らなかった。どうも集計の対象になっていなかったような節がある。たしかにこの作品が歌といえるかどうかは意見が分かれるところであろう。ま、今こうして紅白出場決定を見られたので、溜飲が下がった私だった。

01. 11. 29 飛行機は高くありませんでした
 漫画週刊誌の号数が52とかになると、今年ももうすぐ終りだなあと思いますね。それはそれとして、何だか知らないが街ではもう樅の木に雪や星の飾りつけがなされて「もろびとこぞりて」なんかが流れているぞ。まだ11月じゃん。1年のうち12分の1、いや10分の1ぐらいの期間をクリスマスと称して騒いでいる。昔からこうだったかな。不況だから尚更早くからクリスマス商戦が始まっているのか。

 研究所訪問と帰省を兼ねて、11月21日から25日まで関東にいた。行きは飛行機、帰りは電車で移動した。驚いたことに運賃はほとんど変わらなかった。今回JASの特便割得というのを予約したら、小松→羽田間の航空運賃が13000円(プラス保険料)。帰りは大宮→越後湯沢間を新幹線自由席、越後湯沢→金沢間をはくたかの指定席で帰ったが、合計12000円した。1000円しか違わない。今まで航空運賃の割引制度についてあまり知らなかったのだ。以前この欄でJR運賃は△、飛行機運賃は××などと書いたけど、認識不足でしたね。もちろんテロの影響で最近特に安くなったのかもしれないけど。これからは東京近郊の浜松町以南に用事があるときは飛行機で行ってもいいと思った。

 飛行機では窓側の席だったのでガキのように外を見て過ごした。非常にいい天気で、富士山が綺麗だった。あと5分程度で着陸という頃、海から陸地に入るのが見えた。空から見た陸地には「ここは静岡県です」などと書いてあるわけではないので、地形の詳しい知識がないとどこを飛んでいるのか見当もつかない。迷子になった子供のようなちょっと新鮮な感覚。海辺にプールが見えたので大磯かなと思っていたら、再び陸から海に出てやがて羽田に着地した。大磯でなくて外房だったらしい。地図では空港と空港が青い直線で結ばれているけど、実際に通るコースはかなり大きく回り込んでいるのだと知った。そりゃそうか、小松発でも札幌発でも那覇発でも、羽田に着く飛行機はすべて東京湾側から滑り込まねばならないのだから。今度乗るときは国土地理院の20万分の1の地図でも持って、飛んだ(と思われる)コースを記入してみよう。


01. 11. 20 NHK、何かを振っ切る!?
 秋も終りに近付き、遅ればせながらようやく10・11月のみんなのうた新曲4曲をチェックした私であった。中では『天下無敵のゴーヤーマン』が断然お気に入り。『ちゅらさん』から出た企画ものの歌ということで全然期待していなかったのだが、一度耳にしたらもう頭を離れない。沖縄音楽の能天気さ、スローとアップテンポを繰り返す緩急自在のぶっとんだメロディ、ゴリさんの野太い声が一体となって迫ってくる。「♪ゴーヤ、ゴーヤ…」のフレーズはあの「♪だんご、だんご…」という往年のヒット曲を思い起こさせる。こういう頭をカラッポにして聴けるバカソング、好きだなぁ。他の曲はこれほど心をとらえなかった。えなりかずき君の歌はうまいけど曲自体が作為的な感じがしてあまり好きになれない。手を抜いたな>つんく。

 紅白歌合戦の司会者が決まったけれども、今年は紅白両軍ともNHKのアナウンサーで、きわめて地味な人選となった。白組に至っては私の知らない人だし。まあ久保純子アナも初めて選ばれたときは「誰、それ?」だったわけだけど、どうもここに来てNHKは派手な人選や話題作りで高視聴率を目指すことをついに放棄したように見える。いったいどんな番組になるのか、興味を引く。中高年の人が落ち着いて見られるような番組になるのなら、それはそれでいいと思う。
 あまり歌番組を見ないからかも知れないけど、今年は歌謡界・J-POP界の動きもあまり活発でなかった気がする。そんな中で初出場・復帰歌手の予想をしてみる。可能性が高いと思う順に並べた。

【紅組】
 1. 矢井田瞳(本命。平成の日吉ミミ)
 2. Kiroro(「ちゅらさん」主題歌で復帰。代わりに花*花は落選するとみた)
 3. 木村弓(「千と千尋」主題歌。こういう歌謡曲畑以外の人に出てほしい)
 4. 鬼束ちひろ
 5. 島谷ひとみ
 6. フェイ・ウォン(個人的希望)

【白組】
 1. CHEMISTRY(本命。いまやASAYANなくして歌謡界は成り立たないのだな)
 2. ゴスペラーズ(代わりに平井堅は落選するとみた)
 3. 三木道三(しかしTVで歌うの見たことないな)
 4. Re:Japan(「明日があるさ」。ウルフルズの線もあるが個人的には吉本総登場を期待する)
 5. 山崎まさよし(個人的希望)
 6. 池畑慎之介(演歌デビューしたとのこと。「北条時宗」「夢伝説」でNHKに貢献)

 でも実際の出場歌手には、こちらが全く予想しないような、思わずエーッと絶叫するような顔ぶれが入っているのかな。中島みゆきがプロジェクトXのテーマを歌うとか。(それはないだろう)

01. 11. 16 忘れ物を取りに行く
 『千と千尋の神隠し』の興行収入が日本記録を樹立したそうです。観客動員数はしばらく前に記録更新したのに興行収入記録達成が遅れたのは、『タイタニック』と違って観客の中に子供が多かったからだね。天の邪鬼なので、通常なら皆が見るものは意地でも見るもんかと思うタチだけど、この映画は見てみようかなと少し思う。理由は宮崎監督が(ほとんど)初めて美少女でない少女を主人公にした作品で、一見の価値があると思うから。

 近況。先月、富山の大学に出かけて実験させてもらった時、うっかり資料などを置き忘れて帰って来てしまった。郵送して下さるとの申し出もあったのだが、先方に迷惑もかかるので、後日取りに行った。高速に乗って行くと下道よりも2時間ほど短縮できるが4000ナンボ払わなければならない。自分の時間あたりの給料を考えると、4000円払って2時間を節約するのは割に合わないと結論し、往復4時間かけて下道を運転して行ってきた。でも帰ったら疲れて仕事にならなかったので意味ないか。

 ここで学生時代のある後輩のエピソードを思い出す。休みに東京の実家に帰省し、また大学のある仙台に戻ってきた時、彼はミスに気付いた。アパートの部屋の鍵を実家に忘れて来たのだ。普通ならこういう時は実家の家族に鍵を郵送でもしてもらって、それが届くまで友人の部屋にでも泊めてもらうところだろうが、彼はプライドが高かったのか、その足でもう一度新幹線に乗って東京まで鍵を取りに戻ったという。なんてバカなやつだ、とその時は思ったけれども、金と時間を払うことで自分の失策を無かったことにしたい気持ちは今なら少しわかるな。もし彼が私の立場なら富山まで高速に乗るのも厭わないに違いない。アホなことをしてしまった時は、もっとアホなことをした奴を思い出して心の平静を保つに限る、というわけでここにネタとして使わせていただく次第です(器の小さいオレ)。

01. 11. 9 カケンヒ
 毎年この時期になると我々はカケンヒという書類を書く。昨年までは用紙が手渡しで配布されていたが、今年からは各自がWebからダウンロードするように変わった。それはいいのだが、用意された書式はPDF、Word、一太郎の3種類。またか、と思う。Wordも一太郎も持ってないっちゅうんじゃ! Wordは、貴方のやりたいことはこれですか?あれですか?と先回りして聞いてくるのがうっとうしくてキライなんだよ。べつに皆がWordを使うべしという規則や条例があるわけでもないのに、確認もせず添付ファイルでWord文書を送ってくる人はいるし、論文の電子投稿をWord形式でしか受け付けない雑誌もあるしで、Wordを使っていない人はダメという雰囲気にいつの間にか世界中がなってしまった。EGWord(上記のWordとは別のワープロソフト)を使っていると同僚に言ったら呆れたように「そんなの使ってるんですか?」と言われたし。腹立つなあ。VHSが幅をきかせ始めた頃のβユーザーってこういう気持ちだったのかと改めて感じる。
 というわけでその書類はPDFファイルをプリントした用紙に、いまどき切り貼りで作成した。意地でもWordは使わない。まあ、ワープロソフトにおけるWordの世界シェアが95%を超えたら買ってやってもいいぞ(えらそうに)。ちなみにPowerPointも使っていない。Excelだけは使うけど。もちろんPCはMacだ。

 カケンヒが完了したので、中断していた論文執筆に再び着手した。実は最近通販で自然科学用語の和英辞典のCD-ROMを購入したのだ。和英辞典といっても和英対訳の語句・例文がたくさん並んでいるだけのもので、これを検索して使うのだが、機能はこれで十分。紙の辞書を引いていた時に比べて確かに断然楽だ。そのうえ、日本語でも英語でも検索できるから、英和辞典としても使える(同じメーカーから英和辞典のCD-ROMも発売されているが、和英だけ買えば十分であろう)。おかげで作業がはかどって一応最後まで英文の第1稿が書け、充実した気分になれた。まだまだ先は長いけど。

01. 10. 29 かぼちゃ大王ワルツ
 突然、昔TVで見たピーナツのアニメ「スヌーピーとかぼちゃ大王」(原題:"It's the Great Pumpkin, Charlie Brown")をもう一度見たくなって、レンタルビデオ屋で借りてきた。ピーナツはたくさんビデオが出ていていいなあ。
 ピーナツのTVアニメシリーズは1968年くらいから米国で製作されていて、初期の作品はヴィンス・ガラルディが音楽を担当していた。彼がピーナツ用に作った曲を最近になってジョージ・ウィンストンがカバーしたのがアルバム「Linus and Lucy」。それを聴いた時に私の心をとらえたのが「The Great Pumpkin Waltz」という曲だった。子供の頃アニメで流れていたのを聴いたはずなのに、申し訳ないがその曲の印象は全く残っていなかったのだ。で、どんな感じで使われていたのかなと思ってビデオを再見したわけだ。

 ウィンストンのカバーでは4分音符=100くらいのスローバラードとして演奏されていて、その寂寥感がなんとも心に染みたのだが、オリジナルは4分音符=140くらいの軽快な曲だった。ちょっと意外。「耳コピ」で書いたように、「Linus and Lucy」という曲は子供の頃から印象に残っていた。これは一つには「Linus and Lucy」が流れているときには台詞が少なくて曲の音量が大きいなど、音楽が前面に出るように作られていたからだということもわかった。「The Great Pumpkin Waltz」が流れているときは台詞が前面に出ていて曲は完全にバックグラウンドだった。だから印象に残らなかったんだな。

 アニメ作品そのものはなにせ33年も前の作品だし、今の日本人の感覚で見るとやや冗長だったりするが、絵本のような美しい色彩の映像とジャズのBGMが不思議にマッチして、アメリカ郊外の閑静な住宅街の雰囲気が良く伝わってくる。自分の作った作品世界にこんないい曲をつけてもらえた原作者シュルツは幸福だったなあと思う。もちろんガラルディもピーナツシリーズに曲を提供したことでそのメロディが長く人々の心に残ったのだから幸福だったろう。

01. 10. 20 プロジェクトX
 今週の『プロジェクトX』はカップラーメン誕生物語であった。この話は結構有名で、新聞雑誌などで何度も紹介されていたから、それらとNHKの扱い方の違いがわかって面白かった。

 以前読んだ記事によると、日清食品の社長(当時)の安藤百福氏がアメリカにチキンラーメンを売り込みに行ったが、現地にドンブリが無かったので途方に暮れた。すると交渉相手のアメリカ人がカップにラーメンを割り入れてお湯を注いで食べ始めた。それを見た安藤氏は驚き、これだ!とひらめいて帰国後カップヌードルを開発した…ということだったと思う。
 さてプロXではどう描かれていたかというと、「アメリカにはドンブリが無かった」話から突然「カップラーメンを作れと安藤が部下に命じた」ところへ飛んだ。一番の鍵である、「アメリカ人がラーメンをカップに入れた」部分は描かれなかったのだ。
 これを見ると、良し悪しは別として、やはりプロXは「ニッポンのお父さんたちは頑張ってきたんです」というコンセプトの番組なのだなぁと感じる。アメリカ人が重要な役割を演じるようなストーリーにしたくなかったようだ。この番組のファンは多いけど、こういう「美談にならないところをあえて描かない」製作方針が好きでないという人もいる。

 それはわからなくもない。以前『知ってるつもり!?』についても似た感想を持った。一人の人間といえどもいろいろな面を持っているが、その一生をたったの55分間で紹介する以上、「コロンブスは名誉に目がくらんだ極悪人だ」というように、どうしても一つの側面だけを語って単純明快な結論を示さざるを得ない。余談だがこの番組は、新作の映画とか始まったばかりの大河ドラマの主人公の人物をいち早く取り上げて、その映画やドラマとは反対のストーリーを作ってぶつけてくることが多い。なんかホームルームで反対意見ばっかり発言するひねくれ者の生徒に似ていなくもないな。

 まあプロXの場合、起きた出来事のごく一部しか見せてくれないにしろ、その断片を繋いだ物語を見て自分が感動して元気になれればそれでいいのではないかと。
 ちなみに私はあの番組の、言葉をぎりぎりまでそぎ落したナレーション台本と、わきあがる感情を抑えこんだような田口トモロヲ氏のナレーションが好きです。

01. 10. 8 FF
 連休中は当地はいい天気で結構。しかしついにアメリカがタリバーンへの攻撃を開始したと聞いてあまり浮かれていられなくなった。結局「勝った方が善」となる不毛な戦いだ。早く終って欲しい。

 さて、映画『ファイナルファンタジー』(FF)がさんざんな興行成績で、製作のスクウェアは映画事業から撤退するとのこと。米国での興行収入は、目標の100億円に対して1/3程度だったそうだ。でっかい花火を打ち上げて華々しく散っていったな。公開当初にTVのニュース番組で映像を一部見た時には、実写と見紛うばかりの人物に、正直、度肝を抜かれ、CGもここまで来たかと素直に敬服したものだけど、それでもヒットしなかったんだね。オレ? 映画館では見てない。ビデオが出たら見るよ。そうか、こういう奴ばかりだからコケたのか(笑)。

 古い話だが倉本聰脚本、とんねるず主演という異色の組み合わせの『火の用心』というドラマがあった。倉本ファンととんねるずファンの両方を取り込もうとしたのだろうが、結果は視聴率一桁台に終った。おそらく倉本ファンにとってはとんねるずの存在は猛烈な違和感だったろうし、とんねるずファンには倉本脚本が堅苦しく馴染めなかったのではないか。
 FFの場合も「普通のラブストーリー映画を見る大人」と「ゲームやCGが好きな子供(含・成人)」の和集合が見に来ると踏んでいたのに、実際には両者の積集合だけが客として来たというところか。

 手塚眞氏は「絵はリアルだが、人物の演技は無声映画時代なみ」と評した。映画がすべてCGで作られ、俳優がみんな失業する時代はまだ先になりそうだ。
 こんどやってくる『シュレック』も画像の陰影のきめ細かさ、人物や構図の動きの激しさという点では『FF』と同じく、コンピュータゲームを映画にしたような作品だ。ただ登場人物はデフォルメが施されていてコミカルだ。子供にターゲットを定めたからこそ全米でヒットしたのだと思う。現状ではまだCGは生身の人間の代用品にはなれずに、現実に存在しないキャラクタを造形する手段にとどまっている。

01. 10. 1 突発性書籍収集症
 土日の2日間に突発性書籍収集症が発症し、複数の図書館を駆け回って計8冊借り、書店で1冊買う。集めるだけで満足するのがこの症例の特徴。一度でいいから図書館で借りたものを全部読んでみろ>オレ。

 借りた中の1冊は韓国カルチャー解説本。みこ半別館で北朝鮮のルポ漫画を描いていた松田洋子氏がここでは韓国ルポ漫画を描いている。韓国のほうが先に書かれたものだが、韓国編ではおちゃめで明るい自画像が、北朝鮮編ではアングラ女優ふうになっていた。サイバラを思わせる変貌ぶり。そんなことを考えながら執筆者紹介を見ると、音楽ページ担当の執筆者に佐藤行衛という名があった。なんと、高校で1年先輩だった行衛さんじゃないですか! 紹介文によると日本人による韓国ロックのバンドを結成して日韓両国で活動しておられるとのこと。へえー、すごいな、本物のミュージシャンになったんだ。高校時代からギター持たせれば日本一のお祭り男だったからなあ(すみません>行衛さん)。でもよく知っている人がやりたいことをやって活躍しておられるのを見つけたのは嬉しかった。

 購入したのは漫画で、「月刊イブニング」で途中から読んでメチャクチャ面白かった『サトラレ』(佐藤マコト)の第1巻。ようやく最初から通読した。メチャクチャ面白い。この設定だけで半分勝ったも同然だなあ。あとの半分は物語だが、これも秀逸。人間肯定の姿勢が貫かれていて、掛け値なしに感動する。雑誌に発表されてからアッというまに映画化されたのも故なしとしない。しかもこれは作者の初めての連載作品だという。なんというか、漫画界における代打逆転サヨナラ満塁優勝ホームランのような快挙だと思ったりした(それほどでもないか)。

01. 9. 16 同時多発テロ
 名古屋に出張中の夜、炎上している世界貿易センタービルのTV映像が視界に飛び込んできた。最初は事故かと思ったが、2機たて続けに衝突したと聞いて、故意に突っ込んだ組織的な犯行とわかり、背筋が凍った。
 まったく、何ということをするのだろう。ビルのオフィスで一瞬にして命を奪われた人々、目前に迫るビルを前に為す術もない飛行機の乗客、崩壊したビルの下敷きになった消防士。犠牲者の味わった恐怖を考えると、自分も胸を刃物で貫かれたような気分だ。

 その晩は3時ごろまでTVから目が離せず、いろいろな思いが頭をぐるぐる回っていた。一番気がかりなのは、米軍による報復が行なわれるのかどうかだ。
 アメリカでは今度の事態を「パールハーバーの再来」と呼んでいるという。映画の『パールハーバー』は、日本軍の真珠湾攻撃にやられた主人公の米軍パイロットが、東京空襲で仕返しをしてハッピーエンドという筋らしい。それを聞いただけでこの映画を映画館で見る気が失せるのだが、まさに「やられたらやりかえす」というアメリカの体質を如実に表しているラストだ。今度のテロが「パールハーバーの再来」であるなら、同様に報復が行なわれて然るべきだと多くのアメリカ人が考えているのだろう。

 「これは善と悪の戦いだ。善は必ず勝つ」とブッシュ大統領は述べた。
 だが大量殺人に善も悪もないのだ。
 飛行機によるビル破壊も、東京空襲も、パールハーバーも、アウシュビッツ、南京、ソンミ村の虐殺も、どれが善でどれが悪だなどと言えるものか。言わせてもらえば、すべて悪に決まっている。手を下した側の人間は善だと思ってやっているのかもしれないが。
 もしアメリカがテロ組織への武力による報復を行なったら、アメリカも同じ穴のムジナとなるだけではないか。悪循環以外の何ものでもない。テロと戦争は別だって? 数多くの人の命が失われるという事態の前で、そのような区別をすることに何の意味があるだろう。

 今こんなことを書くべきではないかもしれないが、「原爆投下は第二次大戦を早く終らせるために必要なことだった」と考えている(一部の)アメリカ人には、今回のテロの犠牲となった人々も原爆で犠牲になった広島・長崎の人々も同じ一般市民だったのだということを認識してほしいと思う。
 もちろんテロ犯人のやったことを許すことは到底できない。しかし「アメリカだけが常に正しい」「やられたらやりかえす」とアメリカのトップが考えている限り、テロやテロまがいの武力行使の連鎖が途切れることはない。

01. 9. 7 メンバー
 来週の学会の準備で、今週は職場に2晩泊まるなどして追い込みモードだった。職場のPCは複数の人間で取り合いになるので、一時的に自宅のマックを職場に持ってきて使う。おかげさまで自分の発表の準備はだいたいできた。そんなわけで日記の更新などを。

 稲垣吾郎容疑者をTVが「稲垣吾郎スマップメンバー」と奇妙な呼称をつけて呼び始めたのは、ジャニーズ事務所がTV局に圧力をかけたからだという噂。何考えてんだか。容疑者は容疑者じゃろうが。連合赤軍メンバーじゃあるまいし。
 以前ネプチューンの名倉が暴行の疑いかなんかで書類送検かなんかされたことがあったけど、その時の記事での呼称がたしか「ネプチューンの名倉潤リーダー」というものだった。もし当事者がリーダーでなかったらどう呼ばれるのかと思った。「原田泰造ネプチューンメンバー」か。じゃあもしソロのタレントだったらどうなるんだ。「武豊騎手」という呼び方をするのだから「氷川きよし歌手」という言い方もアリか。「徳光和夫司会者」「デーモン小暮悪魔」最後のはないだろうけど。

 そもそも昔は、逮捕者はTV・新聞で呼び捨てにされていた。子供の頃に何かで「新聞ではふつう犯罪者には敬称をつけない」という文章を読んだ記憶がある。その直後に「森昌子、紅白初出場」という記事を目にした時には「森昌子って犯罪者?」と変に思ったのを覚えている。
 いまでもTV欄・文化欄で芸能人は相変わらず呼び捨てだが、ある時から逮捕者には「容疑者」なる呼称をつけるようになった。芸能人とは犯罪者以下の存在なのか? 稲垣吾郎も、逮捕されたことで呼び捨てにされなくなり、かえって扱いが丁寧になってる。おもしろいね。

【応用問題】「プロジェクトX」の物語の登場人物が、本編中では敬称なしなのにエピローグでは敬称つきで呼ばれるのはなぜか。(20点)

01. 8. 29 蒜
 ニンニクを食べた後、リンゴ一切れ食べれば口が臭わないんだって(「伊東家の食卓」より)。すげえ! こんな簡単なことで良かったのか。今まで見たこの番組の裏技の中で一番感動したぜ。こんど「花月」でニンニク生しぼりラーメンを食べたら試してみよう。番組でも言ってたけど、これからは焼肉屋や餃子屋には食後にサービスでリンゴの一切れも出してくれるよう期待したい。

 さて「よく噛む」ダイエット続報。3週間で7kg痩せたという松尾貴史氏の文章に触発されて、食物をしゃにむに噛むことを始めて3週間経った。
 その結果はというと…ほとんど減量していない!
 始めた頃は順調で、3日後には開始時に比べ-2.2kg減った。このスピードでいけば10日で7kg痩せることになるが、そうはいかず、それ以後は微増減を繰り返す。そんな折に帰省したりなんかして、寝たり食ったり遊んだりという数日間を過ごしてしまい、帰ってきたころには開始時+1.9kgと、それまでの苦労が水の泡。今はようやく開始時-0.7kgにまで戻ってきた。(絶対値は…70と80の間、とだけ言っておこう)
 食べ物をよく噛むと満腹中枢(?)が刺激されて、むやみに食べたいと思わなくなるからダイエットに効果的だということなのだろう。だが手持ちぶさたになってついアイスなど食べてしまったりして、実際食べる量はあまり減っていない。もちろんよく噛むのは良いことで、今後も一口30噛みは続けようと思うが、やはり体重を大きく左右する要因は緊張感の有無なのでは?
 あと、日によって1-2kgの増減は誤差の範囲内なのだということがわかった。私くらいの体重の持ち主が「2kg減った♪」と喜ぶのは、TV局の人が「視聴率2%上がった♪」と喜ぶのと同じであまり意味がないことなのだ。視聴率についてはいつかまた書こう。

01. 8. 22 赤い四角に白い文字
 帰省していたので更新が遅れてしまった。

 先週、ダイエーの安売り服ブランドのロゴマークが盗作だといってユニクロに訴えられた話がありましたね。こういうのって有罪になるかどうかは微妙なところだが、似た話で、ちょっと前にSOTECかどっかがiMacに酷似したデザインのパソコンを売り出した時には「情けない、お前らにはプライドってもんがないのか」と思ったものだ。自分がMac使いであることから来る思い入れも少しはあったが、実際それはパチモンと呼んでもいいくらいよく似ていて、iMacと間違えて買う人もいるかもしれないと考えられたからだ。
 でも今回の問題のダイエーの「PAS」というロゴをTVニュースで見たときの印象は、なんだ、そんなに似てないじゃないか、というものだった。そりゃ赤い四角の地に白い文字という点は同じだけど、字体は細長いタイムズふうの字体だし、太くてずんぐりしたヘルベチカふうの「UNIQLO」とはまず間違える人はいないと思われる。そんなこと言ったら無印良品だって赤っぽい四角に白いヘルベチカ体で「MUJI」と書いてあるじゃん。MUJIとUNIQLOの赤いマークはどっちが先だったのか知らないが、いまや小売業でセブンイレブンに次いで売上2位なんだからもっとユニクロはどっしり構えてりゃいいのに、と今回は感じた。

 売り出し中の頃のユニクロの広告は、このシャツは安いけど縫製がしっかりしてるしスペアボタンもついてるし…といった特長を丹念に説明していたのを覚えているけど、今は「ユニクロのポロシャツ××円」と一言だけ書いてあるようなものに変わり、チャンピオンの余裕をいやが上にも感じさせられる。一方、無印はすっかりユニクロに客を奪われてしまったみたいだね。2〜3年前は休日の午後ともなれば無印の衣料品コーナーのレジには長蛇の列ができていたのに、今は数えるほどの客しかいないのだ。まあユニクロの今の進撃があと何年続くかはわからないし、うまく住み分けることで無印にも生き延びてほしいと思う。

01. 8. 13 冷し中華と冷しラーメン
 昨日もけっこうな暑さでやや夏バテ気味。しかも一昨日に飲みに行ったあとだったので、スープ系でかつスキッとするものが食べたくなった。そこで思い出したのが、ちょっと前に新聞で存在を知った「冷しラーメン」。山形あたりで始まって全国に広がりつつあるらしい。まだ現物は見たことがなく、記事を読んでも「冷しラーメンとはこういうものである」という概念がよくわからなかったけど、少なくとも「冷し中華」とは別モノ扱いだった。冷し中華は麺と具にタレがかかっているものだが、冷しラーメンは普通のラーメンのようにたっぷりのスープのなかに麺と具が浮かんでいるものらしいと理解した。盛岡冷麺のラーメン版かな。

 そこで冷しラーメンを求めて近くのラーメン屋に入った。メニューに冷しラーメンとあったので、喜んで注文した。ところが出てきたのは、あろうことか冷し中華である。「ちがーう、これは冷しラーメンではなーい!」と内心で叫び声をあげたものの、たぶん店員にクレームをつけてもわかってもらえないので、しかたなく冷し中華として食べた。
 メニューを見直すと、どうやらもともと冷し中華と書いてあった箇所に上から冷しラーメンというシールを貼ったらしいことがわかる。「中身は同じ冷し中華でも、冷しラーメンという今っぽい名前にすれば客が飛びつくだろう」という安易な発想で呼び方だけ変えたように思えてイヤな感じだった(by 飛びついた客)。
 たしかに言語学的に「冷し中華」と「冷しラーメン」の違いを説明するのは難しいし、「これがウチの冷しラーメンじゃ!」と言われてしまえばそれまでなのだが、これからは本来の意味での冷しラーメンがますます人々の間に浸透していくと思うので、そうなったときに上のような安直な商売をやっていては馬鹿にされるぞ>寶龍。

 ところで油そばって今でも人気あるのかな。

01. 8. 6 体重計を買いました
 昨日は街へ出て本5冊と体重計を買った。もともと太っているほうだけど、ここ1年くらいでとみに体重が増えだしたのだ。運動不足でもあるし、考えなしに食べるし。あと年齢とともに新陳代謝が衰えていることもあるようだ。努力しないと体型が維持できなくなっているのを実感する。いわゆる中年太りってやつ?
 買った体重計は100g単位で数値が表示される機種。早速乗ってみる。うう、1日4食食べていた受験生時代の自己最高記録に迫りそうな勢いだ。さすがにちょっと焦るぞ。いろいろ試しているうちにささいな発見をする。Gパンを履いた時と脱いだ時では1kg違う。水を200ml飲むと体重も200g増える。あたりまえだって。でも精度がいいだけにちょっとした体重差も目に見えるから、減量する上で励みになるのは確かであるな。
 松尾貴史が書いていたけど、某ダイエット本に「よく噛め」と書いてあったので、牛のように食べ物を徹底的に噛むようにしたら、3週間で7kg減ったそうだ。よし、オレも今日から食事のときは一心不乱に噛んで噛んで噛みまくってやる。ということで結果は3週間後に(笑)。

01. 7. 29 Web上の歌詞は音楽著作権を侵害するか?
 いつも利用しているたずね歌掲示板が、ついに歌詞書き込み禁止になってしまった。残念だ。JASRACから掲示板のあり方について指示が来るとは聞いていたのだが、やはり歌詞はダメというお達しが来てしまったそうで。なつかしい歌の歌詞を思いきり書き込んで、他の人々とカタルシスを共有することはもうできないのか。

 正直に言って私は著作権法というものを「欝陶しいなぁ」と感じる者である。音楽も小説も映画も、気軽に安価に楽しむことができれば幸福だ。もちろん法は法なので背くことはしないが、それにしても歌詞の取り扱いに対するJASRACの反応はちょっと過敏すぎるのではないかと思う。漫画の登場人物が鼻歌をほんの1行歌っただけでJASRACの許諾を得なければならないのはご存知の通り。
 こと歌に関しては、歌詞とメロディーが一体になってひとつの歌曲となるのだから、歌詞のみを流布したところで歌曲の権利を侵害していると言えるかどうか疑問だ。実際、Web上で歌詞を見た人がその歌に俄然興味を持ち、CDを買いに行くというケースもあるわけで、その場合はむしろ歌詞を公開したことが権利者(作者や出版者)に利益をもたらしたとすら言える。特にこの掲示板に書き込まれる歌詞は、ほとんどの場合、CDもLPも入手困難な昔のマイナーな曲ばかりだ。歌詞を書いたところで権利者に損害が生じるとは思えない。

 何事でも、法による取締りが厳しくなるのは、たいてい一部の不届き者が度を越した悪辣な行為をした結果だ。「泥棒のいない村には錠前屋もいない」のである。最近になってJASRACが規制の目を光らせ始めたのは、無料で音楽をダウンロードできるサイトがはびこってきたからなのかもしれない。ナップスターめ〜!

01. 7. 23 告別
 暑いっすね。暑くて朝早くに目が覚めてしまうので、昨日は珍しく『題名のない音楽会21』など見てみたり。今回は掟破りの音楽特集ということで、タイプライターを楽器として使った曲や、ピアノ用の曲をバイオリンで弾いた演奏などが登場した。最後の曲はハイドンの『告別』。フルオーケストラで始まるのだが、演奏される楽器がだんだん減っていき、自分のパートの演奏を終えた奏者は次々と舞台袖に退場していくという曲。曲が終ったときには指揮者とバイオリン2人だけ残してみんないなくなっている。
 あっ、これは『オーケストラがやってきた』の最終回で最後に演奏された曲では? 私は見なかったけど、最後をそういう曲で締めくくり、ステージ上が無人になって静かに番組が終るということはTV欄で読んで、あたかもひとつの命が消えていくときのようなしんみりした気持ちになったのを覚えている。それに比べて昨日の番組は変な曲特集(?)だからハネケンさんの紹介も冗談混じりで、曲の途中で奏者が退場するときには客席から笑い声すら起こっていた。紹介の仕方、状況によって同じ曲でもこうも受け取られ方が違うのか。

 この曲の次第に失われる感じ、何かに似ていると思ったら『残像に口紅を』(筒井康隆)だった。これは使われる五十音文字がひとつずつ減っていく小説。似たようなことを漫画でやるとしたらどうするかな。まずスクリーントーンが消える。次に擬音文字が消え、フキダシの線が消え、コマの枠線が消え、背景が消え、写植が消え、ベタが消え、ついに人物も消える…とか。漫画って技法のオーケストラだなぁ。

01. 7. 16 梅雨明け、って今さらかい
 昨年9月に1週間ほどアメリカに滞在していた間、TVの天気予報を見ていたら「今週の金曜日から秋になります」という言い方をしていて面白かった。米国人一流のジョークかと思ったら、どうやら公式情報のようだった(誰が決めるのかは知らないけど)。で、その金曜日のTVニュースでは「秋の初日のきょう、公園では家族連れが…」なんて言っている。日本では秋はある日を境に始まるものではなく、いつのまにか空が高くなったり日が短くなったりしていて「あぁ、もう秋なんだなぁ」となんとなく気付くものだけど、アチラでは秋はいきなりやってくるものらしい。気候の違いでしょうな。
 20年くらい前のNHK『音楽の広場』で芥川也寸志氏がスイスかどこかの気候について語っていた。「冬から春への移り変わりがすごく急です。昨日まで地面が雪に覆われていたのが、ある日突然花が一面に咲き揃って『今日から春!』という感じなのです」
 日本で、大きな気候の節目が公式発表される時期といえば、それは梅雨明け。

 北陸では15日に梅雨が明けたらしい。だがしかし、昨年も書いたけど、今年も梅雨明け宣言の前後で目立った気候の変化はなかった。「梅雨」のあいだから真夏日が続いていたし、梅雨明け宣言した日の夕方に夕立ちがあったし(これは梅雨の雨とは違うか)。この日、私にしては非常に珍しくザブトンと枕を洗って、いい天気だと思って外に干したまま外出したら、雨にやられてしまった。慣れないことをするものではない。
 空梅雨でしたね。水不足がちょっと心配だな。

01. 7. 12 「マネをしないでください」
 昨日の『ちゅらさん』の文也と恵文の泡盛飲み比べシーン、やっぱり抗議が来ちゃいましたか。私もこのシーンを見ながら、ああ、また誰かが文句をつけて来そうだなあ、最後におばぁのナレーションで「皆さんは真似しては駄目であるよ」とかなんとか言うのかなあと思っていたけど、もしそんなこと言われたらせっかくのいい場面が台なしだし。抗議者に言わせれば、問題はイッキ飲みした後の2人の身体的苦悶が全く描かれていないことなのであろう。ドラマでは文也は翌日「おばぁのスペシャルドリンク」を飲んで二日酔いを治したことになっている。つまり、一般の人はおばぁのスペシャルドリンクを飲みたくても飲めないのだから、真似しては駄目だというメッセージともとれる。とれないか。
 たしかにイッキ飲みで病院に運びこまれたり、不幸にして命を落した人は大勢いるわけで、イッキ飲みの危険性は誰もが知っておくべきだと思う。そしてそれはもう世間に浸透しているとドラマ制作者側は考えている。だからこそ飲み比べは命を賭した勝負となり、文也の想いの強さが浮き彫りになるのだ。過剰なまでに「危険ですので真似しないで下さい」のテロップを表示したがる日本のTV界にあって、今回のドラマに注意書きを一切入れなかったことは視聴者を信頼した態度であり、むしろ立派だと思う。いったいいつまで「電子レンジに濡れた猫を入れてはいけません」的なバカバカしい警告を発し続けなければならないのか?

 漫画の『夏子の酒』(尾瀬あきら)のラスト近くで夏子と草壁が日本酒の飲み比べをするシーンがあった。2人とも酒豪なので強烈な飲みっぷりだったが、いいシーンだったし、その描写にクレームがついたという話は聞かない。『ボーダー』(狩撫麻礼+たなか亜希夫)にも主人公たち男3人がウィスキー1ケースを3日3晩飲みまくってゲロ吐きまくるすごいシーンがある。その後3人が銭湯に行って風呂につかるだけで完全に酔いから復活するあたりは、件の抗議者が見たら問題にしていたかもしれない。
 やはり、朝ドラと漫画とでは見る人の数が違いすぎるのか? だがどんなジャンルであれ、時が経つにつれ表現に対する規制が厳しくなっていくのを感じる。

 それはさておき、私もおばぁのスペシャルドリンクが欲しいなぁ。

01. 7. 7 サブカル科学ボード
 わたくし、薄膜とかセラミックスをつくる仕事をしてるんですが、ネット世界にそういう情報を交換できる掲示板がないかと思って探してみたら、「2ちゃんねる」に材料・物性掲示板がちゃんとあるんだね。2ちゃんねるというものの全貌を今まではよく知らなくて、漫画とか下ネタのようなサブカルチャー専門かと思っていたら、科学技術から芸術まであらゆるジャンルの掲示板の集合体だったのだ。遅ればせながら初めて知った。
 材料・物性は比較的世界が狭いようで、我が母校の近所にある喫茶店の名前とか、よく知っている先生の名前などがポンポン話題に上っているのが面白い。とはいえ、そこは2ちゃんねるだから書き込み内容はお行儀が悪いものが多く(全部ではないが)、研究者が学会で討論するような内容を「ゴルァ」とか「うぜー」などという言葉使いで綴った文を見るのはちょっとしたカルチャーショックだった。中には個人の中傷に近いような、科学からかけ離れた発言もあり、ほとんど無政府状態。
 しかしそうしたむきだしの言葉のやりとりの中に、心に響いてくる言説があったことも事実だ。マナーやルールが弱い世界は危険だけれども、そうした場所でこそ正直な言葉を吐ける場合もあるのだな。「週刊大衆」のようなサブカル雑誌の編集部に実は気骨の社会派ライターがいて、メジャーな新聞雑誌には書けないような面白い論陣を張るという状況と少し似ている。ぬるま湯からは何も生まれず、緊張感の中でこそ本当に創造的な仕事ができるということか。
 今後もこの掲示板は時々見るだろう。でもここからはリンクは張りません。ええ張りませんとも。(探せばすぐ見つかるし。)

01. 7. 3 (笑)
 メールや書き込みなど、ネット上の文章に(笑)という表記を使い始めたのはいつだったろう。(^ ^;)などの顔文字はあまり好きではないけれども、雑誌の対談やインタビュー記事で昔からおなじみの(笑)は比較的抵抗なく使えた。応用で(大笑)(苦笑)(冷笑)(泣)(号泣)なんてのも使ったりして。「わははは」と書くこともありますね。なんか新井素子か中島梓みたいだけど。
 (笑)という表記は読者に笑うことを強要しているので嫌いだ、と言う人が時々いるが、これはもともと筆者が笑っているムードを示すもので、読者に笑えと言っているわけではない。(泣)と書いてあっても泣く読者はいないのと同じ。とはいうものの(笑)と書いてあるとこちらも笑わなければいけないような気に少しなるね。でもこれは現実世界でも同じで、会話している時に話し手が冗談を言いながら自分で笑ったら、聞き手は一緒に笑わなければ悪いような気がしてつい笑ってしまうという場面は多々ある。「冗談を言って自分で笑う」のもやりすぎるとオヤジ臭いのでほどほどにしたいとは思う。逆に聞き手側も、おつきあいで笑ってばかりいると話し手のためにならないんだよね。
 要はネット社会でも現実社会でも、読者(聞き手)は筆者(話し手)と一緒に笑いたければ笑えばいいし、笑いたくなければ笑わなければいい。泣きたければ泣けばいい。爆発したければすればいい。(しつこい)

 ひところ、いしいひさいちが3つの週刊誌でほぼ同じタイトルの連載してましたね。
・『なんでもあります(笑)いしい商店 音羽町店』週刊現代
・『なんでもあります(笑)いしい商店 紀尾井町店』週刊文春
・『なんでもあります(笑)いしい商店 神楽坂店』Weekly漫画アクション(←今はこれだけ継続中)
 (笑)は(株)のパロディだと思うが、どうせ内容は書き分けてないし、という作者のそこはかとない自嘲が(笑)に感じられた。

00. 6 - 12   01. 1 - 6   01. 7 - 12   02. 1 - 6   02. 7 - 12  
更新履歴

01. 12. 25 『耳コピ』の「ライナスとルーシー」を改訂。
01. 10. 4 『メディア雑感』に『サトラレ』をUP。
01. 8. 26 『耳コピ紀行』に「ライナスとルーシー」をUP。
01. 8. 8 『耳コピ紀行』に「オン・マイ・オウン」をUP。ついでに耳コピのトップページをなくしてホームから曲へ直に飛ぶようにした。レイアウトのバランス悪いなあ…
01. 7. 22 『米国見聞メモ』のうち3記事に写真UP。あとプロフィールにちょっと追加。
01. 7. 16 アクセスカウンタようやく復活しました。中断していた間のアクセスは1日5アクセスと仮定して、1900から再開します。
01. 7. 6 リンク大幅増量。
After 5