著者:ジョン・ホーガン
出版社:徳間書店
出版年度:1997
著者の主張はだいたい以下のようなもの。
相対性理論、量子力学、ダーウィンの進化論のような我々の基 本的な自然の理解を変化させる、いわば、パラダイムを変えるような大きな科 学的発見はもうなく、現在のそしてこれからの研究は細かいところを詰める、 パラダイムを補強するようなものだけだ。
著者は、物理学、宇宙論、進化生物学、複雑系、科学哲学など の分野における主要な研究者にインタビューし、これを主張していく。
著者の科学観を受け入れるならば、それはほぼ正しいのかもしれない。その科 学観とは、僕には、客観主義的で、進歩史観にのっとったものであるように思 える。つまり、「客観的な真実が存在し、科学を続けていくと、漸進的にそこ へ到達する(あるいは、すべき)」というわけだ。
たしかに今世紀前半の物理学は、すごい精度で実験に合う理論 を作り上げ、予測し、またそれが工学的応用をももたらすという「成功」を納 めた。しかし、それは非常に狭い科学観ではないだろうか。
また、一部非常に極端というか誤った議論を展開している部分 もある。研究者の話のちょっとした部分の拡大解釈といった、ジャーナリズム、 マスコミがよく批判されるような点も見受けられる。ま、それはそれでいいの だが。
しかし、客観的な真実なんてあるのか?科学的活動とはそんな 真実を発見するものではなく、世界の、ものの、ことの見方を作ってきたので はないか。それは、実は主観的で、客観的と思えるところまで受け入れられた 部分も、実は社会的政治的に成立しているということさえある。
冒頭には、ある会議のテーマが書かれている。「統一的、普遍的、客観的な努 力としての科学は終わった」
そうであろう。しかしそれは科学が終わったのではなく、そういった科学観が 再考を迫られているのである。だからこその、複雑系でしょう。複雑系といっ ても、「人生はカオスだ!」などと言ってる手合いには死んでもらって、なん かいっぱいあってごちゃごちゃしてるのが複雑系、とか言ってる人はブームが されば言わなくなるだろう。津田、池上、郡司といった人たちの複雑系、認識 の根本を問い、それを数理科学として実践するということをきちんと考えない といけないのですよ。
実は、最後の章は、著者自身が彼の科学観の揺らぐような 体験を告白している。ここがあるために、 「それまであんたが言って来たことって…?」 となるが、僕はけっこうここがすき。 正直な、不安な心持ちの告白。
最後に、僕が素晴らしいと思った発言をいくつか抜き出してみます。
○ファイヤーアーベント (科学哲学)
コイサンマンが幸せだが無知だということにたいして、
「知識のどこがいったいそんなにえらいんだい?」
○ギアーツ (文化人類学)
著書"After the Fact"の意味について、
「経験的実在論に対するポスト実証主義的な批判。
すなわち、単純な真実と知識の一致理論からの脱却が、
まさに<事実>という意味を微妙なものにしている。
無限の探究のすえ、多種多様な人々に囲まれて、
多様な時代を経た後に、いったい正確には何を
追い求めていたのかさえ判然とせず、確信もなく、終わりもない。
しかし、時に興味深く、時に幻滅し、有益で、
しかも楽しい人生を過ごすのは、素晴らしいことだと思う。」
○チャイティン (計算論)
ステントの科学の終焉の論旨を聞いて、
「そいつも肝臓を患ってたんじゃないの」
そして、もっとも素晴らしいのは、レスラーである。
ランダウアが、人間がもっと多くの知識をえるために
自分たちの頭脳を変えることができると思うか、
と尋ねたのに対して、
「それは、正気を失うことです」
やっぱりレスラー、悟ってる! いや、やっぱり狂ってるのかなー?
ところで、訳についてですが、非常に読みやすいものになっています。 これだけの広い範囲にわたるものを訳すのは、調べものが大変でしょうね。 しかし、訳注はあまり良くない。とんちんかんな、注になってへんやん! っていうのがよくある。
その後、友人と僕のこの本の感想についてメールで少しやりとり
を行なったのですが、そのメールを友人の許可を得てここに転載します。
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著者:ミッシェル・ジュヴェ、
出版社:
紀伊國屋書店
出版年度:1997
とある古道具屋で18世紀初頭の箱を見つけてた「私」は。 明けてみると、中には日記が。それは、当時の貴族の研究者ユーグ・ ラ・セーヴが行なった「夢」についての研究をつづったものである。
自分の夢について夢日記をつけ、夢の内容と日中の体験の間の 法則を見つけようとするところから、 動物の睡眠の観察、さらには、実験もおこなう。 当時は電磁気がもっとも最先端の学問で、電子が発見された頃 なのかな。セーヴも、夢をになう物質、粒子、みたいなものがあ るはずだと推測し、そしてそれは電子の様に陰陽の対をなすも のだと考えます。じゃあ夢と対になるものって? 動物や人間観察から、夢を見ているときは勃起しているという 事実を知っていたセーヴは、オルガスムこそ夢と対をなす ものに違いない!そしてそれを担う粒子の名前はオルガスモン だ!ということで、実験します。
まあ、それはいいとして、なんで、なんでも最終的に物質へと 還元することを欲するのでしょうね。素粒子論でも、相互作用 をになう物質を見つけて、ってわけだし、分子生物学では、 ある生体内の反応にかかわる分子、そしてそれをコードしている遺伝子 を見つけたら、なんかわかったような気になってる。
ちなみに、著者は睡眠の研究者。小説の中で問題になっている点の 現在の説についての参考文献もついてたりする。 いったいどこまで史的事実なのでしょうか。主人公以外は 実在の人物?すくなくとも、主人公以外の人が唱える学説は 実際にあったものなんでしょうね。