『キッズ・リターン2』を読んで

マサルはヤクザに、シンジはボクシングに。 再び3年前の道へと帰った二人。その後は映画『キッズ・リターン』の展開を なぞるように進んで行く。しかし、なにか、つねに不安を抱かせながら。

読みながらずっと頭にあったのは、とあるところで読んだ 『TRAINSPOTTING』の評。その評では「主人公が死ぬ時代は終った」とし て、これまでの青春もののくささを批判し、いろいろあ りながら、死ぬほどのことは無く生きて行く若者の姿を描いている 『TRAINSPOTTING』を評価している。僕も実際そのように思う。死んで退場 することで幕を引くことなんてしないんだよ、めったにない。日常を生きるん だよ。

シンジはかなり強いチャンピオンとのタイトル 戦。普通に考えたら勝ち目は無いし、実際に追い込まれる。マサルは組どうし の抗争に巻き込まれ兄貴分を殺され復讐に向かう。 ほぼ前作(映画)の展開をなぞりながら、たけしはいったいどういうラストに持っ て行くのか。再びこけるのか。 『キッズ・リターン2』を読み進めながら感じていた不安感は、シンジはとも かくマサルは死んでしまうのではないか、というものだろう。

しかし、マサルは深手を負いながらも相手の組の幹部のたまを取り、シンジの 応援に駆けつける。それまで、完全にチャンピオンのペースで試合が進み、ほ ぼ戦意を喪失していたシンジは、マサルの応援する声で甦りラッキーパンチに ちかいものでチャンピオンを倒してしまう。そのとき試合会場に二人の男が入っ て来る。「マサルを殺しに来たのか!?、やはり死ぬのか?」と思うが、その二 人は警察でマサルは逮捕されるのだが、それはつまり、身柄が安全に拘束され て、死ぬ危険がなくなったということ。

死にはしなかった。こけもしなかった。 マサルは逮捕されるが復讐に成功し、シンジはチャンピオンになる。 それでいいんだろうか。映画では最後に二人はこけたんだが、それゆえに 「まだ始まってもいない」という言葉が重みを持ち、うまく行かない「生」 を感じさせる。この小説では最後、

「マーちゃん、まだ終わっちゃいない」
「いや、もう終わったよ」
「そんなことはない。まだ終わっちゃいないんだ」

と締めくくるが「まだ終っちゃいない」ということばもあまり重みは無い。 やはり『キッズ・リターン』は映画で完結すべきだったのでは。続編で同じ事 を言ってもしょうがないし、この展開ではなにも言うことはできない。

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Takashi Hashimoto
Last modified: Sun Dec 7 19:51:20 1997