アーリー・ミュージック・ショップ社のクラヴィコードはジョン・バーンズに よって設計された。この楽器はフレット・システムを採用しており、設計にあ たってはオランダのハーグにある Gemeentemuseum 所蔵の1740年頃の楽器を参 考にした(製作者は不明)。全体の大きさと、コンパス、全体的な設計について は元の楽器を踏襲したが、いくつかの点で変更を加えている。鍵盤の各キーの 形状をより直線的にしたこと、それからブリッジの形を高音部分ではやや変形 させて相対的な弦長をより正確なものとした。また最低音(c-c#)ではフレッ トを採用せず、それぞれに独立した弦を割り当てた。このようにして音楽的特 質について妥協することなく楽器の機構を改良した。したがって、この楽器は 伝統に厳格に則ってはいるがコピーというわけではない。
コンパスは18世紀中頃の典型的な小型クラヴィコードと同じであり、J. S. バッ ハを始めとして多くの作曲家の作品が演奏できる便利なものである。高音弦の 長さについては基本的に元の楽器に倣っている。元の楽器ではブラス弦が張ら れ、ピッチは現代の基準にして約 a' = 440Hz であったと考えられる。 それ以外にも a' = 415Hz までのピッチだったらよく響くはずである。
この楽器で採用している二重フレット・システムは、18世紀にはもっとも一般 的に採用されており、19世紀初頭までよく使われていたものである。これとは 別に、フレットされていないクラヴィコードではそれぞれの音が独立した弦に よって出され、18世紀後半に広く使われていた。コンパスも大抵の場合、低音 部で C よりも低い音を出すことができたが、小型クラヴィコードよりも大き く、高価でしかも持ち運びには重すぎるという難点があった。また(弦の本数 が多いために)調律に時間がかかるばかりでなく、フレットされたクラヴィコー ドに特有の利点を欠いていた。それは一度タンジェント(tangent) を正確に設定すれば、オ クターブを構成する12音を純粋なインターヴァルに、ほぼ完全に調律できると いうことである。
二重フレット・システムでは、高々二つの隣合った音が同じ弦を共有するだけ であり、しかも a と d の音は独立した弦を割り当てられている。特定の音を 連続して弾く場合、時には心持ち離して弾かなければならないこともあるが、 演奏時にそれが問題となることはほとんどない。Haas や Hubert など、その 時代もっとも評判の高かった製作者もフレット・システムを採用したクラヴィ コードを製作しているほどであり、フレットされていない楽器と並行して使わ れていた。これも実用上の利点からであろう。なお参考にした楽器では、 a2 とd3 には独立した弦を割り当てていない。そのお陰で二組 の弦を省略しているのだが、この楽器でもそれに倣っている。
ある楽器の製作方法を説明することは、その楽器そのものと同じくらい複雑で あり、それ自体かなり面倒な作業である。そこで、この製作マニュアルではそ れぞれの作業を順を追って細かく説明するように努め、さらにそれぞれの章の 最後には役に立つ助言を付け加えた。常に楽しい読み物というわけにはいかな いが、明確に製作方法の詳細を理解するためには確実に役立つはずである。
重要な試みを始める際には常であるが、前もって十分に準備することが賢明で ある。まず最初にこのマニュアルを読み通して製作の基本的原理を理解するこ と。それから、それぞれの作業の前にはその章を繰り返し読んで、関連する部 品の位置と機能をよく把握すること。部品を接着する前には必ず前もって組み 込みこんでみて、固定して乾かしておくこと。最後に、よく整備された道具を 使うこと。以下のような道具をお薦めする。
以下のものは必要というわけではないが、あれば便利という道具: 1
訳注:
ほかにもハンマー、分度器など必要なものがいろいろあるが、各章を読めば何 が必要かはわかるので心配することはない。細かい物や一般家庭には備え付け てあるものがほとんどなので敢えて冒頭では説明していない。
皆川 達夫著「バロック音楽」では、「フレットされている」「フレットされ ていない」という区別に対応する語として、ドイツ語の「ゲブンデン gebunden」「ヴントフライ bundfrei」という語が使われている。(山野辺 暁 彦氏の指摘による)