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「長い記憶」を有する河川流量に対する新たな評価手法の開発に成功 -石川県を流れる一級河川手取川への応用-

「長い記憶」を有する河川流量に対する新たな評価手法の開発に成功
-石川県を流れる一級河川手取川への応用-

ポイント

  • 河川流量は時間とともにダイナミックかつランダムに変化することが知られています。特に、洪水や渇水は、あらゆる人間の営みに重大な影響を与える環境変動であり、その適切な評価には河川流量に基づいた詳細な分析が重要です。
  • 多くの既往研究では、過去の流量が現在の流量に与える影響、すなわち「河川の記憶」が実データと比較して素早く消失してしまう仮定が用いられているという問題があります。河川の記憶は洪水や渇水がどの程度持続するかを左右するため、より現実と整合する理論の構築が望まれています。
  • 本研究では「オーリッチリスク」と呼ばれる、保険数理という環境とは一見して無関係な分野における数理概念を活用することで、上述した記憶の問題を克服できる河川流量の評価手法を開発しました。さらに、本手法を石川県を流れる一級河川手取川に応用しました。
 北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)(学長・寺野稔、石川県能美市)トランスフォーマティブ知識経営研究領域の吉岡秀和准教授、東京工業大学環境・社会理工学院の友部遼助教、および島根大学学術研究院環境システム科学系の吉岡有美助教は、「長い記憶」を有する河川の流量を分析するための新しい数理的方法論の構築に成功しました。これにより、洪水や渇水の規模や影響について、より実データと整合する理論に基づく分析を行うことが可能になったといえます。本研究の成果は、様々な水資源利用計画の策定に貢献すると考えられます。

【研究の背景】

■既往研究における課題と解決に向けた着眼点
 河川は人間に限らず地球上の多様な生物の生活に不可欠な、ダイナミックに変動する環境です。河川の水は農業用水や工業用水、飲料水として用いられ、河川周辺の水辺はレクリエーションの場として機能しています。また、河川には魚類や昆虫、両生類や爬虫類等、多様な生物が生息しています。
 水はありすぎてもなさすぎても困るものです。河川の水量が多すぎる洪水や逆に水量が少なすぎる渇水は、あらゆる人間の営みに重大な影響を与える環境変動です。近年、全国各地で豪雨による洪水災害や降水不足による渇水被害が頻発するようになってきており、河川流量の数理的理解に対する必要性が高まっています。既往研究では、河川流量[用語説明]の様々な数理モデルが提案されていますが、分析を簡単にするために、洪水や渇水の影響が指数関数的に(素早く)減衰するという仮定が一般的に用いられてきました。しかしながら、現実の河川では洪水や渇水の影響は代数的に(ゆっくりと)減衰しています。このことは、現実の河川は既往の理論よりも「長い記憶」を持つ、と言い換えられます。
 こうしたことから、より現実と整合し「長い記憶」を再現できる数理モデルに基づく洪水や渇水のリスク評価手法の開発が望まれています。しかし、そのようなモデルは数学的に複雑であることを一因として、十分な検討がなされてはきませんでした。他方、保険や金融の分野では金融商品や資産価格の時間変動が複雑な確率過程[用語説明]として解釈されており、確率過程に対する高度な数理的手法が発展してきました。こうした環境以外の分野の先端的知見を活用すれば、確率過程の見地から河川流量への理解が深まる可能性があります。

■手取川を研究対象とする意義

 世界中には数多くの河川が存在します。石川県能美市に位置するJAISTに最寄りの一級河川は、白山に源流を持つ手取川(てどりがわ)です(図1上段)。手取川には、アユやイワナなどの水産資源が生息しています。手取川の水は地域の貴重な水資源です。手取川に関わる既往研究の多くは農業や河川・海岸の土砂動態に着目し、比較的標高が低い手取川扇状地を流れる下流部を主な対象としてきました。しかし、河川は標高が高いところから低いところに流れていることから、下流部の流れを決定づける上・中流部を対象とした研究にも大きな意義があります。特に手取川周辺は2023年5月にユネスコ世界ジオパークに認定されており(https://hakusan-geo.jp/area/)、上・中流部に関わる研究がより一層重要性を増してきています。

【研究の内容】

 吉岡准教授らの研究グループは、ごく最近保険数理の分野で提案されたフレキシブルなリスク指標である「オーリッチリスク(Orlicz risk)」[用語説明]に基づき、「長い記憶」を有する河川流量の分析が可能な理論を構築しました。特に、不確実性下における流量の平均値や分散などの統計量の評価や、自己相関関数[用語説明]に基づく洪水や渇水の評価が可能であることを示した点が重要です。例えば、気候変動による不確実性の大きさがどの程度であるかを見積もることができれば、河川流量の各種統計量の上・下限がどの程度になるか、さらにはその際に洪水や渇水の期間はどの程度継続するか、等を分析することができます。また、オーリッチリスクそのものに関する数理構造を詳細に数学解析しています。数学解析によって、どのような河川に対してどのようなオーリッチリスクを適用することが可能または適切であるか、という応用上も重要な基準を見出しました。このような解析は、保険や金融の分野の知見を取り入れて研究を進めている著者達ならではのものです。オーリッチリスクは手計算で算出することが難しいため、独自の数値計算アルゴリズムの提案も行いました。
 以上に加えて、オーリッチリスクに基づく評価手法を手取川本川にある風嵐(かざらし)地点と支川の大日川にある下野(しもの)地点に適用しました(図1上・中段)。まず自己相関関数の分析から、河川流量について風嵐の方が下野よりも長い記憶を有していることを確認しました(図1下段)。これは、風嵐地点の上流にはダムがない一方、下野地点の上流にはダムがあり人為的影響をより強く受けていることが一因と考えられます。図2は、風嵐地点におけるオーリッチリスクの計算結果です。不確実性を大きく見積もるほど、河川流量の平均値を何倍に少なく見積もるべきかという下限を算出しています。同様の分析を分散等の他統計量に対しても行うことができ、下限ではなく上限の算出も可能です。こうした研究結果は、地域の水資源利用計画を策定する際に応用できると考えられます。

 本研究成果は、2023年10月4日に学術雑誌「Stochastic Environmental Research and Risk Assessment」(Springer Nature社発行)のオンライン版で公開されました。

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図1.上段:手取川周辺の地図(JAISTは本学)。
中段:風嵐地点ならびに下野地点の河川流量(赤:風嵐地点、青:下野地点、国土交通省の水文水質データベース(http://www1.river.go.jp/)による)。
下段:(a):風嵐地点の自己相関関数(ACF)、下段(b):下野地点のACF。黒線が実データ、青線が理論。理論は指数関数より遅いACFの減衰を示唆。(元論文の図を改変)

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図2.風嵐地点でのオーリッチリスクの計算結果。横軸は不確実性の大きさD、縦軸は対応するオーリッチリスクO(不確実性Dを鑑みて平均流量を何倍に小さく見積もるべきか)。不確実性はツァリスダイバージェンスという指標で数値化。(元論文の図を改変)

【今後の展開】

 オーリッチリスクはその数理構造の普遍性から、河川流量に限らず幅広い確率過程に応用できると考えられ、今後の更なる理論の発展が期待されます。吉岡准教授らは、再生エネルギーによる発電や水草の刈り取りなど、様々な現象に対するオーリッチリスクの応用について研究を進めています。また、本研究で対象とした下野地点や風嵐地点以外の地点についても河川流量の分析を進めています。
 本研究では、研究当時は最新データであった2021年末までの4年間の河川流量データを使用しました。その後、手取川周辺は2022年8月に記録的な豪雨ならびに洪水、2023年8月には逆に手取川の周辺地域は記録的な少雨ならびに渇水に見舞われました(写真1)。今後も、この地域が極端気象に遭遇することが懸念されます。継続的なデータ分析とモデリングにより、環境と人類の持続的な共存を導く研究がさらに進展することが期待されます。

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写真1.風嵐地点にある風嵐堰堤(左:平水時の2023年5月31日、右:記録的少雨に見舞われていた2023年8月30日)。堰堤の水量が全く異なります。特に、各写真右端にある水門について、左の写真では水門が開いている一方、右の写真では完全に閉じています。(撮影:吉岡秀和)

【論文情報】

掲載誌 Stochastic Environmental Research and Risk Assessment
論文題目 Orlicz risks for assessing stochastic streamflow environments: a static optimization approach
(確率論的に変動する河川環境を評価するためのオーリッチリスク:静的最適化からのアプローチ)
著者 Hidekazu Yoshioka、 Haruka Tomobe、 Yumi Yoshioka
掲載日 2023年10月4日
DOI 10.1007/s00477-023-02561-7

【研究助成】

 本研究は、日本学術振興会(JSPS)科研費基盤研究(B)(22H02456)および若手研究(22K14441)の助成を受けて実施しました。

【用語説明】

河川流量(Streamflow discharge):
単位時間あたりに河川を流下する水の量であり、単位はm3/s等。河川流量が「長い記憶」を有することは、降雨に端を発する水が地面に浸透してゆっくりと河川に到達することが一因と考えられます。

確率過程(Stochastic process):
ランダムに変動する時系列データのこと。本研究では河川流量を確率過程と捉えています。

オーリッチ空間(Orlicz space):
関数の形状や増大度を数学的に分析するための数理概念である「関数空間(Function space)」のひとつ。オーリッチリスクは、このオーリッチ空間の考え方に基づきます。

自己相関関数(Autocorrelation function):
時間の経過とともに時系列が持つ過去の情報が失われていく速さの指標です。本研究では自己相関関数の形状の分析を通して河川流量の長記憶性を論じました。

令和5年10月5日

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