アユ資源の回遊や管理に向けたシンプルな数理モデリングに成功 -人と環境の持続可能な共存に資する新たな基礎理論構築-
アユ資源の回遊や管理に向けたシンプルな数理モデリングに成功
-人と環境の持続可能な共存に資する新たな基礎理論構築-
ポイント
- 水産資源が古来より人類の重要な食糧源のひとつであることは、論を俟ちません。
- 昨今の環境破壊や乱獲により、様々な水産資源の漁獲量が著しい減少傾向にあります。そのため、持続可能な資源管理手法の確立が切望されています。
- とりわけ、日本人になじみ深い回遊魚であるアユ (学名: Plecoglossus altivelis altivelis) は、生物学や生態学、土木工学など、多様な研究分野の視点から研究されてきています。しかしながら、どのようにすればアユを持続可能な水産資源と成すことができるか、という理論は未だに少ないのが現状です。とくに、資源管理のカギを担うであろうアユ遡上のダイナミックスに関する理論構築が未踏破となっています。
- 本研究では、春季における海域から河川へのアユ稚魚の遡上をダイナミックに記述する新しい数理モデルを提示するとともに、「遡上するアユ稚魚を漁獲したうえで河川の別地点に放流する」、という実際に行われている資源管理手法の数値最適化事例を示しました。
北陸先端科学技術大学院大学(学長・寺野稔、石川県能美市)トランスフォーマティブ知識経営研究領域の吉岡秀和准教授、同志社大学商学研究科の辻村元男教授、ならびに島根大学学術研究院環境システム科学系の吉岡有美助教は、日本人になじみ深い回遊魚であるアユのダイナミックな遡上をあらわす数理モデルを提案するとともに、「遡上するアユ稚魚を漁獲したうえで河川の別地点に放流する」という実際に行われている資源管理手法の数値最適化事例を得ました。これにより、持続的なアユ資源管理に資する新たな数理的方法論を与えることができたといえます。 |
【研究の背景】
数多くの魚介類は人類の重要な食糧源、すなわち水産資源としての役割を担っています。いま、河川における水利構造物の建造や取水といった人間活動による環境改変、ならびに乱獲等に起因して、様々な水産資源の漁獲量が著しく減少しています。人間社会が環境と持続的に共存しながら将来にわたり水産資源の恩恵を享受していくためには、環境や資源の管理のあり方を改めて見つめなおす必要があります。
漁獲量の減少は、日本の主要な内水面[用語説明]水産資源であるアユ (学名: Plecoglossus altivelis altivelis)[用語説明]についても全く例外ではありません。アユについては、河川におけるダムや堰堤等が回遊経路を物理的に分断してしまっていることが、漁獲量減少の原因のひとつであると考えられています。もしアユの資源動態を記述できる何らかの理論を構築することで課題解決に取り組む方法論、すなわち数理モデリングを実現することができれば、アユの持続的な資源管理に大きく貢献できる可能性があります。とりわけ、数理科学の普遍性に依拠した理論構築を行うことで、アユ以外の水産資源管理についても高度化させることができるかもしれません。
アユに限らず、野外で生物データを取得することには膨大な時間と労力を必要とします。加えて、実験室内のように制御可能な条件下と比較して、得られるデータの質や量には限界があります。さらには、魚類回遊等の自然界で生じる生物群集の移動はダイナミックな現象であるとともに大きなランダムネスを伴うことが知られており、確率過程[用語説明]として取り扱うことが有力な数理モデリング手法であると考えられています。こうした課題背景から、アユを対象とした資源管理の数理モデリングを行う場合には、その回遊を不確実な(誤差を伴う)確率過程として記述することが合理的であると考えられます。しかしながら、これまでそのようなアプローチはなされてきませんでした。
【研究の内容】
以上の問題背景のもと吉岡准教授らはまず、多様な時間スケールで変動するランダムな現象を記述できるシンプルな数理モデル「重ね合わせオルンシュタイン=ウーレンベック過程」によって、単位時間当たりのアユ遡上量(例:1日や1時間などの決められた時間の間に河川を遡上するアユの量)を表現することを、初めて提案しました。さらに、実河川に設置されている堰堤において2010年代の各年に観測された1日あたりアユ遡上量の時系列データからモデルパラメータを推定できることを示しました。以上に加えて、各年のアユ遡上量が20倍以上異なるなど、アユの遡上はランダムネスが極めて大きい現象であり確率過程の応用が本質的であることを指摘しました。また、各年のアユ遡上量は互いに異なる時間スケールを持つ確率過程であることを定量化し、アユ回遊が実際に複雑かつダイナミックな生物現象であることを示しました。
吉岡准教授らはつぎに、「遡上するアユ稚魚を漁獲したうえで河川の別地点に放流する」という河川の中・下流域の双方でのアユ資源の存続を目指す実務に着目し、分布の不確実性に堅牢な最適化[用語説明]の定式化を行いました。これは推定した確率過程モデルが必ずしも正しくはないために誤差を含むという仮定に基づいており、本研究で用いる「一般化相対エントロピー」という誤差の汎用的な数値指標を用いた定式化によって大小様々な誤差を考慮することが可能となります。定式化した最適化問題については、最適解が存在するための十分条件を検討しました。さらに数値計算によって、「どの程度のモデル誤差が見込まれどの程度の量の稚アユ遡上が観測された場合、そのうち何%を漁獲すべきか」を理論的に算出できることを示しました(図1)。
本研究で得られた成果は萌芽的ではあるものの、内水面水産資源管理の高度化に資する新しい数理・数値的アプローチを提案できたといえます。
本研究成果は、2023年7月4日に計算科学の国際会議「INTERNATIONAL CONFERENCE ON COMPUTATIONAL SCIENCE 2023」(チェコのプラハでの対面ならびにオンラインのハイブリッド開催)において、吉岡准教授によりオンライン口頭発表されるとともに、Springer社からの書籍チャプターとしての出版がなされました。
図1:縦軸を見込まれるモデル誤差の大きさの指標 λ 、横軸を1日あたりの遡上量 X とした場合における、(左)アユ遡上量の確率分布 r(常用対数表示)および(右)最適漁獲率 h の数値計算結果例。モデル誤差および遡上量は適当に正規化している。最適漁獲率は0と1の間の数値をとり、0(白色)が漁獲すべきではない場合、1が全て漁獲すべき場合をあらわす。なお、図1右の X=0では h=1であるが、このときの漁獲量は0となる。これは漁獲コストが十分に小さいと仮定したモデル化の帰結であるが、解析結果を左右するものではない。 図1左から、想定されるモデル誤差の大きさに応じて、1日あたりの遡上量がしたがう確率分布を予測できる。例えば、不確実性が大きくなるほど「どの程度遡上量を小さく見積もるべきであるか」がわかる。そのうえで、図1右から「どの程度のモデル誤差が見込まれどの程度の量の稚アユ遡上が観測された場合、そのうち何%を漁獲すべきか」を算出できる。 |
【今後の展開】
アユに限らず、魚類回遊の数理モデリングは完成には程遠い現状にあります。とくに、回遊する個体同士がどのようなコミュニケーションをとりながら河川を遡上しているのか、またその具体的な様相はどのような数理モデルで記述できるのかが未解明です。本研究で提案するモデルではこのような未解明の部分を不確実性として扱っているため、生物・生態学的な課題がまだ山積しています。今後は、この欠点を克服できる数理モデリングの探求が行われていく予定です。
【会議情報】
会議名 | INTERNATIONAL CONFERENCE ON COMPUTATIONAL SCIENCE 2023 |
発表題目 | Distributionally-Robust Optimization for Sustainable Exploitation of the Infinite-dimensional Superposition of Affine Processes with an Application to Fish Migration (重ね合わせアフィン過程の持続的搾取を対象とした分布の不確実性に堅牢な最適化手法、ならびにその魚類回遊への応用) |
発表者 | Hidekazu Yoshioka, Motoh Tsujimura, and Yumi Yoshioka |
発表日 | 2023年7月4日 |
DOI | 10.1007/978-3-031-36030-5_45 |
【研究助成】
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科研費基盤研究(B)(22H02456)および若手研究(22K14441)、ならびに国土交通省受託研究(B4R202002)の助成を受けて実施しました。
【用語説明】
河川や湖沼等、地球上における海以外の水域のこと。
清流の女王や香魚、年魚など、様々な呼び名で日本人に親しまれている回遊魚。河川(春、夏)と海域(秋、冬)を回遊し、一般に1年の寿命を有する、日本のみではなく東アジアにも生息する。親魚は秋に河川下流域で産卵したのちに死亡する。孵化した幼魚は河川を下り、海域で越冬する。春になると幼魚が河川を中流域まで遡上し、産卵までの夏を過ごす。ごくまれに1年より長い寿命を有する個体が存在することも確認されている。また、海域ではなく湖沼で越冬する陸封型と呼ばれるアユも存在する。
ランダムに変動する時系列データのこと。
データに基づいてモデル化した確率分布が無視できない誤差を含む、という前提の下での確率最適化手法。水産資源管理の問題に限らず実データの質や量には限界があり、誤差がないモデルを得ることが難しい。分布の不確実性に堅牢な最適化は、誤差が最適化において望ましくない方向に作用するという仮定に基づいている。
令和5年7月5日