対称性の観点から非等価な結晶構造のみを網羅的かつ過不足なく生成するソフトウェア「SHRY」を開発し、オープンソースとして公開
対称性の観点から非等価な結晶構造のみを網羅的かつ過不足なく生成する
ソフトウェア「SHRY」を開発し、オープンソースとして公開
ポイント
- 組み合わせ爆発[注1]を起こす固溶体/合金の原子配置パターン生成問題に対して、対称性の観点から非等価な結晶構造のみを網羅的かつ過不足なく生成するソフトウェア「SHRY(シュリー)」を開発し、GitHubにリリースした。
- 今後、電子状態計算[注2]と組み合わせた固溶体/合金の物性推算への応用が期待される。
- 本ソフトウェアは、Python3で実装されており、 インストールや実行が非常に簡単で、プラットフォームに関わらず利用可能となっている。オープンソースソフトウェアライセンスであるMITライセンスで配布されており、誰でも利用することができる。
【背景と経緯】
世の中の多くのものには「対称性[注3]」があります。対称性は、数学では群論という概念で記述され、物理学や化学の分野でも重要な役割を果たします。これは原子や分子などのミクロな世界でも同じで、特に結晶は、回転や反転などの対称性に加え、ある一定の原子構造が無限に続く並進対称性も持っています。
現在、計算機科学の発展により、結晶中の電子状態を記述するシュレーディンガー方程式を数値的に解き、材料の物性予測を行う、またはさらに進んで材料設計を行う取り組みが盛んになされています。しかし、現実の材料開発では、原子が周期的に並んだ綺麗な結晶そのものを扱うことは少なく、所望の物性を達成するため、金属元素同士を混ぜたり(合金)、一部の元素を異なる元素に置き換えたり(固溶)する操作をすることが多くあります。
材料開発の現場からのフィードバックを受けて、計算材料科学分野においても、そのような合金/固溶体を扱うことが求められてきました。しかしながら、計算機のメモリが有限である等の理由により、「異なる原子が完全にランダムに混ざっている現実の結晶構造」を計算機上で模すことは容易ではありません。そこで、結晶の元の周期構造を拡張し、その中にできるだけランダムに原子を固溶させて、現実の合金や固溶体をモデル化する「スーパーセル法」という手法が広く使われてきました。
この「スーパーセル法」において問題となるのが、結晶の対称性です。結晶には対称性が存在するため、結晶中の異なる場所の原子を置き換えたとしても、回転や並進させると実は他の置換パターンと物理的に等価である置換パターンがいくつも存在します。物理的に意味のある置換パターンは、対称性の観点からは非等価なパターンのみであるため、そのような置換パターンを簡便に求めたいというニーズが広くありました。
【研究の内容】
北陸先端科学技術大学院大学 サスティナブルイノベーション研究領域の中野 晃佑助教は、同大学のGenki I. Prayogo(博士課程学生)、前園 涼教授、本郷 研太准教授らとともに、この固溶体/合金の原子配置パターン生成の問題について、対称性の観点から非等価な結晶構造のみを網羅的かつ過不足なく生成するソフトウェア「SHRY」を開発し、ソフトウェア開発のプラットフォームであるGitHubにリリースしました。
今回研究グループは、「結晶構造中の原子置換パターン探索の問題(図1)」が「図形頂点の彩色パターン問題[注4](図2)」と同じ構造をしていることに注目しました。つまり、「結晶が属する空間群[注5]の観点から非等価な(回転や反転させても重ならない)固溶パターンはいくつあるか?」という問題は、「図形の頂点の彩色方法のうち非等価なものがいくつあるか?」という問題と対応づけることができます。
このように2つの問題を対応づけることで、図2のように探索木を作成することができ、この探索木を適当なアルゴリズムで木の根本から順番に探索していくことで、全ての非等価な彩色方法を網羅的に探索できます。ただし、単純に木構造を探索したのでは、「組合せ爆発」の問題を引き起こしてしまいます。例えば、最も単純に考えられる探索アルゴリズムは、全ての枝に対して、既出の彩色方法との等価/非等価を判定する方法です。この方法は、アルゴリズムとしては正しいのですが、「既出の彩色方法と等価か?」を判定するために、判定対象の彩色方法と、既出の彩色方法全てを比較せねばならず、問題の規模が大きくなると、全く実用的ではなくなってしまいます。この問題は情報の「非局所性[注6]」から来ています。つまり、木をより深く探索すべきかどうかの判断に、今探索している枝ではない「既に探索した他の場所の枝の情報が必要」であることが、探索を困難にしています。
そこで、本研究では、正準強化法(canonical augmentation)[注7]と呼ばれる手法を原子置換の問題に適用し、ソフトウェア開発に応用しました。この正準強化法は、「局所的な」情報のみから、この木構造をより深く探索すべきかどうかを決定することができる手法です。この方法による木構造の探索は、対称性の観点から非等価な彩色方法のみが過不足なく抽出できることが、群論における諸定理により保証されています(群論の言葉で記述すれば、空間群Gに対して、G-軌道の各代表元が過不足なく抽出できる)。今回開発したソフトウェアは、CODと呼ばれる結晶構造のデータベースから、ほぼすべての空間群(1-230)を含むように無作為に抽出した600個の結晶構造/固溶体のデータを用いてその実装に間違いがないことを確認しました。このアルゴリズムは、Python3により「SHRY」というソフトウェアとして実装され、Windows、Mac、Linux等のプラットフォームに関わらず、インストール及び利用できるようになっています。インプットは原子の固溶率の情報を含んだCIFと呼ばれる結晶構造のフォーマットファイルとしており、ソフトウェアはGitHubにてオープンソースとして公開されています。
本研究成果は、2022年6月9日(米国東部標準時間)に米国化学会の科学雑誌「Journal of Chemical Information and Modeling」のオンライン版に掲載されました。
図1 結晶構造中の原子置換の例: Ce8Pd24Sb → (Ce5,La3)Pd24Sb
空間群は221番 (Pm-3m)。結晶構造はVESTA[注8]によって描写されています。
図2 上記図1に相当する図形頂点の彩色パターン探索木の例。ここでは、立方体の頂点3つを赤色で塗る場合を示しています。p(X) は枝Xの親、C(X)は枝Xの子を示しています。立方体の対称性(点群:Oh)を考えると、[p(X)とp(Y)]、[XとY]、[ZとW]はそれぞれ同一です。
【今後の展開】
SHRYの基本的な実装は完了していますが、並列化,及びアルゴリズムのコア部分のC++言語による書き換え等によるコードの高速化や、磁気空間群(e.g., Shubnikov群)の実装など、今後も、ユーザーからのフィードバックを受けつつ、機能の拡張を実施していく計画です。
【論文情報】
掲載誌 | Journal of Chemical Information and Modeling |
論文題目 | SHRY: Application of Canonical Augmentation to the Atomic Substitution Problem (正準強化法の原子置換問題への応用) |
著者 | Genki Imam Prayogo*, Andrea Tirelli, Keishu Utimula, Kenta Hongo, Ryo Maezono, and Kousuke Nakano* |
掲載日 | 2022年6月9日(米国東部標準時間) |
DOI | 10.1021/acs.jcim.2c00389 |
【用語説明等】
*注1 組み合わせ爆発:
解の個数が組合せ(combination)的な条件で決定されるため、問題の大きさn に対して解の数が階乗オーダーで急激に大きくなってしまう問題のことをいう。
*注2 電子状態計算:
結晶、表面、クラスター、分子(高分子も含む)、原子などの系の電子状態(電子構造)を求める計算のこと。計算手法としては、密度汎関数計算、量子化学計算などがある。
*注3 対称性:
ある変換操作(たとえば、左右反転や45°回転)に関して、変換を適用しても変わらない性質のことをいう。並進対称性(平行移動に対して対称であること)や回転対称性(ある図形をある回転角で回転したときに、もとの図形に重なること)などがある。
*注4 彩色パターン問題:
一般に、図やグラフの非等価な彩色パターンがいくつあるかを探索する問題を指す。グラフ理論の分野で彩色と言った場合には、通常、隣り合う頂点は同じ色に塗らない等の制約がある。
*注5 空間群:
結晶構造の対称性を記述するのに用いられる群である。空間群は全部で230種類あり、すべての結晶はそのうちの1つに属している。
*注6 非局所性:
ある現象が、離れた場所にあっても相互に絡み合い、影響し合っているという性質のこと。
*注7 正準強化法:
より詳細には P. Kaski, P.R.J. Östergård, "Classification Algorithms for Codes and Designs (Algorithms and Computation in Mathematics)" Springer-Verlag: Berlin, Heidelberg (2005)などを参照。
*注8 VESTA:
結晶構造の3D描画ソフト。 [https://jp-minerals.org/vesta/en/]
【リンク】
- 前園研究室 (日/英) [https://www.jaist.ac.jp/is/labs/maezono-lab]
令和4年6月16日