永井由佳里 教授
武蔵野美術大学修士(造形学)、千葉大学博士(学術)、シドニー工科大学Ph.D.。2004年にJAIST知識科学研究科に着任。現在、JAISTデザイン創造研究ユニット・リーダー、2013年ライフスタイルデザイン研究センター長を兼務し、2014年から知識科学研究科長を務める。専門は知識科学、デザイン学、認知科学、特に創造性。
今、イノベーションを生み出す方法として「デザイン思考」が注目されています。デザインは芸術や建築、グラフィックス、インタフェイスの技術として20世紀社会に浸透しましたが、21世紀は社会の未来を描くことばとして浸透してきています。世界に先んじて「デザイン創造の学」を標榜し、デザインの視点で人間の本質的な創造性の科学的な解明とデザイン知識の体系化に挑んでいる永井教授に、研究室が多角的に取り組んでいる研究活動についてうかがいました。
デザイン思考を世界の共通言語に
人間はそもそも、子どものころから絵を描いたり、手を動かして何かつくったりと、創造的な活動が好きです。その創造的な活動をつかさどるのが「デザイン」という思考だといえます。私たちの研究室では「人間はなぜデザインするのか」という深い問題に取り組んでいます。そのために、デザインを実践すると同時に、その過程を振り返ったり、ユーザの視点でデザインの意味を考えたり、多角的なアプローチを通して、デザインの視点で、これからの社会はどうあるべきか、を考えています。
目指すのは、サステイナブルな社会とウェルビーイングの実現です。21世紀に入り、世界各国がボーダレスにつながり、コミュニケーションは高まっていますが、一方で、環境問題のように地球規模の深刻な問題が増えています。この10年で、消費者はネットを通じて世界中から欲しいものを探し、手に入れることができるようになりましたが、その背景にある環境負荷について知ることはほとんどありませんでした。しかし、環境汚染につながるものづくりはもはや許されません。世界で知識を共有することで、次の10年を変えるデザインをしていかなければなりません。先端科学技術はそのデザインを実現するものだといえます。
多様なバックグラウンドを持つ研究生・学生が、学際的な視点で研究を展開
デザインの研究を進める上で、知識科学の学際的な視点は非常に重要です。たとえば、ある製品を低コストで開発したとして、それが売れることは重要です。しかし、売ることだけを目指すのではなく、ユーザの行動を変え環境負荷を減らす、文化を継承するなど、ほかの観点を見出す姿勢です。そのことが、製品の長期的な人気やブランド力の向上に関係することも少なくないのです。
研究室には、工学、情報学、経営、経済など、多彩なバックグラウンドを持つ学生が所属しています。留学生や、デザイナー・建築家として社会の第一線で活躍する研究員も在籍し、学際的、国際的な環境で毎日の研究を進めているのが当研究室の特長です。私自身は美術大学の出身ですが、作品に取り組む中で、創造するのは楽しい、でも、それだけでよいのか?芸術とは何なのか?という疑問に悶々とし、気づいたら研究者の道を歩んでいました。芸術に限らず、技術を教えて「人づくり」をすることが大学の役割ならば、「学術づくり」を進めることが、JAISTのような研究大学院の役割だと思います。学生同士で議論し、さらにはフィールドに出て世の中の人たちと一緒に考えること、つまり、共創を当たり前にできるのが、知識科学研究科で育つ学生の特徴です。
Study Case 1:ウェルビーイングの向上を目指すナビシステムのあり方を探る
誰もが健康で安全に、幸せな人生を過ごしたいと願っています。その実現に科学技術がどう貢献できるか、そのために「ウェルビーイング」がキーワードとなっています。研究室ではウェルビーイングの向上を目指し、車椅子など多様な移動手段に対応するナビゲーションシステムの研究に取り組んでいます。具体的には能美市の「いしかわ動物園」を対象にしたスマートフォンアプリの研究を行っており、園内の情報をベースに、動物や自然について学べるコンテンツだけでなく、バリアフリーのトイレの位置や、徒歩であれば気にならないスロープなどの情報をタイミングよく表示させるなど、車椅子ユーザが快適に散策を楽しめる工夫をしています。
いしかわ動物園のナビゲーションシステムについて
研究を行っている山本紘之さん(博士前期課程2年)
スマートフォンの画面
Study Case 2:職人のデザイン教育で、工芸品の付加価値を高める
「ウェルビーイング」は経済と深く関係します。インドネシア農村部の工芸職人を対象にデザイントレーニングを実施し、同地で伝統的に作られている木製サンダルの改良につなげました。新しいモデルは従来モデルのヒールの形状を上下逆にした特徴的なデザインとなっており、素材のよさ、伝統文様のよさが引き立ち、国際市場にも流通してビジネスとして成功しています。
一般的に自然素材を活用したものづくりは環境に優しいとされていますが、それだけでは環境保護にはなりません。付加価値を高めて販売する道を探ることで、資源を守りつつ新たなビジネスを生み出すのがデザイン思考です。アジアの国々ではクリエイティブ産業が台頭してきており、労働改善や、より創造的なライフスタイルが浸透すると期待されています。クリエイティブ産業においてはデジタル造形の高度な技術や用途開発のマーケティング技術が必要ですが、オリジナリティも重要になりますので、伝統や文化が無形の資源として重視されています。
インドネシアの留学生Deny Willy Junaidyさんは、
現地では教育者の立場
新デザインの木製サンダル
Study Case 3:子どもたちの創造性を育成する
自然素材を使った手工芸産業が暮らしの身近にある地域・文化から、われわれが学ぶことはたくさんあります。インドネシアでは工芸が重要な産業となっており、地域ごとに特徴のある工芸品がつくられています。現地の子どもたちは木や粘土などの自然素材を使った造形遊びに親しんでおり、このことが典型的な多文化国家であるインドネシアにおける多様な文化の継承を下支えしています。
日本の教育現場でもいま、文化の多様性や個性を認め合うことの重要性が指摘されています。当研究室では、造形遊びにおける創意工夫だけでなく、周囲の人との関わりがどう影響しているのか、共働におけるコミュニケーションを調査しています。そのために、インドネシアと日本の子どものコミュニケーションについて比較研究を行い、教育やワークショップのデザインに展開することを目指し、議論を深めています。
造形遊びでの実験での成果物
Study Case 4:3Dプリントで新たなコミュニケーションを創造
省エネ・省資源・短納期・小ロットと、従来不可能だった新たなスタイルのものづくりができるとして3Dプリント技術が注目を集めています。産業の一極集中を脱し、誰でもどこでも起業しやすくなるだけでなく、環境への負荷も少ない、次世代型のクリエイティブ産業の基盤技術だと考えてよいでしょう。
当研究室では、3Dプリントとデザイン思考が生み出す創造性について全国各地で講演を行っています。メーカーでも販売代理店でもなく、自由にデザインをする立場で、新しいコンセプトのものづくりができるのは、大学の強みです。また、人間中心設計の理論などデザイン知識の体系立った学術基盤の上に、実験でタイムリーにイメージや感性の評価ができ、新しいビジネスに関する知見を総合的に発信できるという点が、私たちの研究室の特徴です。
2013年10月には、能美市のキャラクター「のみまるくん」のフィギュア100体を、3Dプリントで製作しました。3Dプリントと能美市規模のご当地キャラのコラボは非常に相性がよく、新たなコミュニケーションデザインの提案になったと手応えを感じています。2014年2月に能美市で開催した「学びフェスタ」でのワークショップでは、本研究室で企画・運営し、インドネシアから伝統芸能のアーティストグループを招き、ものづくりや人形劇、演奏などを行い、約100人の参加者と一緒に国際的文化交流を展開することができました。その中で、子どもたちに一番人気が高かったのが「ガルーダ」というキャラクターフィギュアです。本研究室の学生(中国からの留学生)が、インドネシアの伝説から発想し、キャラクターをデザインしながら、初めての3Dモデルに挑戦し、学内の3Dプリンタで制作したものです。
創造の喜びを起点に、コミュニティのデザインに発展したよい事例だと思います。
平成26年5月掲載