

北陸先端科学技術大学院大学 教授
西村拓一(にしむらたくいち)
1967年生まれ、東京都出身。東京大学工学部卒。産業技術総合研究所に20年在籍し、ユーザーインターフェースやサービス工学の研究を推進。2022年より北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)に着任し、トランスフォーマティブ知識経営研究領域にて、知識の構造化・創発に関する研究を主導している。また、ダンサーとしての顔も持ち、知識構造化の観点から日本の競技ダンスの活性化にも貢献している。
熟練者の暗黙知を解き明かし、未来につなぐ
西村(拓)研究室のメインテーマについて教えてください
熟練者の持つ暗黙知(経験や感覚的な知識)をどのようにして形式知(明文化された知識)へと変換し、社会や組織で活用できる形にするかというテーマに取り組んでいます。
昨今のAIの進化は目覚ましいものがありますが、これからの時代に必要なのは、「AIに頼るだけではなく、人間の直感や創発力を生かして、新しい知を生み出すこと」だと考えています。そこで西村研究室では、AIを活用しながら、人間の持つ直感や野生の力を引き出し、身の回りの出来事を深く掘り下げ、知識を構造化することで、新たな価値を共創することを目指しています。
そのためにカギとなるのが「データ知識の構造化」です。たとえば、職人やスポーツ選手が長年の経験で培った技術やコツは、言葉だけでは伝えにくいものがあります。そこで、暗黙知や身体知を体系的に整理し、過去の事例データと組み合わせることで、次世代の人々が視覚的・感覚的に理解しやすい形にする。そうした仕組を研究しています。
具体的にどのような研究をしていますか?
西村(拓)研究室では、企業や地域など現場での実践を通して、以下の3つのサービスを対象とした研究を進めています。
こころのサービス(心)
人の心の課題を解決し、心理的な支援を行うサービスです。西村研究室では、脳科学や医学の知見を生かし、心理療法、音楽療法、認知行動療法、精神ケア、認知症ケア、さらに働く人のストレス低減など、心理面の支援に関する技術を研究しています。特に、心理支援の専門家が持つ膨大な暗黙知を解き明かし、体系化することで、より効果的な支援が可能になる仕組みを探求しています。
作業知のサービス(技)
製造業や介護、地域コミュニティ支援などの現場で、作業者がスムーズに業務を進め、価値を提供できるよう支援するサービスです。特に、熟練者ならではの判断や知見を見える化し、適切に記述・活用する仕組みをデザインすることが重要です。そのため、各現場の作業手順や知識を構造化し、状況に応じて分かりやすく提供する技術の開発に取り組んでいます。
身体動作のサービス(体)
人の身体動作に関する課題を解決することを目的とした支援サービスです。複雑な身体の状態や動きを含む身体知をもとに、健康増進や障害予防、介護予防に役立つスポーツ科学や運動指導技術を研究します。さらに、データ知識の構造化を活用し、データと知識の両面から身体知の解明を目指すことで、より効果的な身体動作の支援を実現します。
研究成果はどのような形で応用されていますか?
私たちの研究は、教育・スポーツ・作業現場といった実社会のさまざまなシーンで、実践的に応用されています。
こころのサービス(心)
精神科医やメンタルトレーナーが持つ専門知識を、小中学校の教師が活用できる形に整理し、児童・生徒のメンタルケアを支援しています。具体的には、地域の小学校と連携し、教師が思春期の子どもの問題を早期発見し、自己解決できる力を育めるようなプログラムの導入を進めています。また、CBTセンターの認知行動療法専門家と連携し、教科書には書かれていない知識や、日本の現場に適した形の知識構造を再編成。教育委員会と協力しながら、実際の教育現場で活用できる形で展開しています。
作業知のサービス(技)
競技ダンスの世界チャンピオンやオリンピック選手のコーチングを行う専門家と連携し、動作の効率化や身体の最適な使い方をデータ化。たとえば、スクワットの動きを見ただけで「右肩甲骨の動きが悪い」と判断できるような知識を、AIやセンサーを用いたシステムに落とし込む研究を進めています。また、体の動きをデータでとらえ、無理なく効率的に動けるような指導方法を開発。社交ダンスのインストラクターや理学療法士が持つ知識を体系化し、一般の指導者やアスリートにも活用できる形にしていきます。
身体動作のサービス(体)
熟練者の持つ判断基準や作業のコツを可視化し、次世代の作業者がスムーズに手順を理解し、実行できるよう支援します。具体的には、ベテランの経験や判断基準を体系的に整理し、映像・センサー・AI技術を活用して作業の流れを可視化することで、次世代の作業者が学びやすい環境を整えます。単なるマニュアル作成ではなく、リアルな作業の背景やコツを含めた知識継承の仕組みをデザインし、実際の現場で活用できるような形に落とし込んでいきます。


論文だけでは終わらせない、実践で活きる研究を
西村(拓)研究室の特徴は?
西村(拓)研究室では、企業や地域と連携し、実際の現場で研究成果を試しながら進めるスタイルを採用しています。これにより、リアルな課題を反映した、より実践的な研究が可能になります。大学の研究は論文や学会発表で終わることも少なくありませんが、企業や地域と協力することで、研究成果を直接現場に適用し、実用化につなげられるのが大きな利点です。
また、学生それぞれの「個性」や「強み」を生かせる環境づくりにも力を入れています。たとえば、文章を書くのが苦手な学生がいた場合、無理に一人で論文を書かせるのではなく、他の学生と協力しながら取り組める仕組みを取り入れています。「全員がオールマイティである必要はなく、チームで補い合うことが大事」。そうした考えのもと、自分の持ち味を生かしながら成長できる環境を提供していきます。
研究を始めるのに、必要な知識や経験はありますか?
一番大事なのは「熱意」です。 最初から明確に「これをやりたい!」と決まっている必要はなく、多くの学生は入学時点で模索中です。逆に、「これしかやらない」と固執しすぎると、将来の選択肢が狭まることもあります。大切なのは、幅広く興味を持ち、自分が熱意を持てるものを見つける姿勢。 研究室での議論や実践を通じて、自分の適性や興味に気づくこともあります。
些細なことでも感動する心、ものづくり能力、プログラミング能力、身体能力、人を笑わせる力、共感力、文章力、構想力、鈍感力、チャレンジ力…どんなことでも構いません。自分の強みをひとつでも発見し、それを伸ばしながら研究を楽しみましょう。
研究で学べること、身につくことは?
研究室では、「知識の構造化」を大きなテーマとしています。そのため、自分の思考を振り返り、「なぜこう考えたのか?」を整理する習慣を身につけることで、論理的思考や多角的な視点を養うことができます。また、知識の分類方法を考えることで、新たな発想を生み出し、より深い理解につながります。 こうした知識の整理・構造化を習慣化することで、どんな職種でも成長し続け、AIに使われるのではなく、AIを使いこなす力を身につけることができます。
主体的に学ぶ姿勢が、創発的な知を生み出す
学生を指導する上で大切にしていることはありますか?
学生が主体的に学び、考え、行動することを重視しています。教授が一方的に教えるのではなく、「学生自身が課題を見つけ、研究を深めていくプロセス」を優先し、ゼミや合宿、オンラインの知識共有システムを活用しながら、学生同士が議論しながら学べる環境を整えています。
また、知識の創発を促すため、「クリティカルシンキング(批判的思考)」を取り入れ、単に指導されたことをこなすのではなく、自分の意見を持ち、主体的に研究を進める姿勢も大切にしています。これにより、受け身ではなく、能動的に研究に取り組めるような環境が自然と生まれるのです。

学生の就職先は?
人と直接関わることで新しい知識や経験が生まれる業種。たとえば、製造業、サービス業、農水産業、コンサルなど、幅広い分野で活躍できます。ただし、私たちの研究室では大企業への就職をゴールとは考えておらず、何よりも「自分が納得できる生き方を見つけること」を大切にしています。
卒業生の進路はさまざまで、大手コンサルやゲーム企業、知識を構造化する企業、さらには転職を経て自分に合った道を見つける人もいます。だからこそ、博士前期課程からインターンシップに参加し、自分で選択肢を広げることを推奨しています。今の時代、一つの会社に縛られる必要はありません。どんな環境でも学び続ける力を養い、時代の変化に対応し、新しい価値を生み出せる人材になってほしいと考えています。
西村(拓)研究室の今後の目標は?
人とAIの知識を融合し、創発的な価値を生み出す研究をさらに発展させ、社会に実装していくことを目標としています。熟練者の暗黙知や身体知をより効果的にデータ化し、製造業や介護、教育、農業、スポーツなど幅広い分野で活用できる仕組みを構築し、企業や地域と連携しながら現場で実際に使える知識の可視化や継承の技術を開発していきます。また、学生が主体的に学び、成長できる環境を強化し、AI時代に対応できる直感や創発力を持った人材を育成することも大切にしています。最終的には、知識を生み出し、共有し、活用することで、より多くの人が感動し、価値を共創できる社会を実現することを目指しています。
教えて!西村教授のプライベートな話
JAISTを赴任先に選んだ理由は?
知識科学の最先端の研究ができる環境が整っており、優れた研究者たちと議論しながら、新しい価値を生み出せる場だと感じたからです。前職の産業技術総合研究所で大きなプロジェクトを担当していたため、すぐに移るのは難しいと思っていましたが、JAISTの先生方からの熱心なお誘いや、産業技術総合研究所との連携も続けられる環境が整っていたこともあり、研究の幅を広げる絶好のチャンスだと考えました。
また、知識の構造化や創発的な研究を、社会実装までつなげられる可能性があるという点も大きな魅力でした。JAISTでは、学生と共に新しい知の在り方を探求し、AIと人の知識を融合する研究を深めながら、実社会で役立つ形に落とし込んでいけると確信しています。
知識構造化の研究をはじめたきっかけは?
介護現場の研究を通して、熟練者の暗黙知が次世代に伝わりにくい課題に気づいたことです。ベテランの介護職員が持つ知識や判断基準が、新人には言葉だけでは伝わらず、申し送りでも十分に共有されない。この問題は製造業や教育など幅広い分野で共通していて、熟練者の知識を可視化し、次世代へ継承する仕組みが必要だと考えました。
大学時代の思い出は?
印象に残っているのは、機械体操部での活動ですね。週5日の練習に打ち込んで、研究よりも体操に熱中していた時期もありました(笑)。実は1年は相撲部に入って、2年から体操に転向したんです。研究面では、論文執筆の際に「理論的な背景をしっかり理解しているか?」と指摘されたことが大きな学びでした。研究はアイデアだけでなく、既存の知識を深く理解し、新しい価値を生み出すことが重要だと実感し、これが後の知識構造化の研究にもつながっています。
休日のリフレッシュ方法を教えてください
休日は家族と過ごす時間を大切にしています。自宅のある東京に戻って、ミセス・グリーン・アップルのライブに行ったり、妻が弾くピアノやバイオリンの演奏を楽しんだりしていますね。社交ダンスもリフレッシュの一つ。競技ダンスは年齢を重ねても上達できる点が魅力で、身体の使い方や相手との呼吸を感じる楽しさがあります。2人で四つ足の生命体のように動く感覚は、普段の研究とは違った発見があって面白いですね。