学長対談[旭化成株式会社 名誉フェロー 吉野 彰先生]
創立30周年を迎えた本学は、これまで幅広い分野での研究成果と8000人を超える人材育成により社会貢献を果たしてきました。この30年、世界では情報・通信をはじめ様々な分野に新たな科学技術が普及し、産業や暮らしを一変させています。その変化を象徴するモバイルIT機器の開発を支えたリチウムイオン電池を発明し、2019年にノーベル化学賞を受賞された吉野彰先生をお迎えし、今後の基礎研究のあり方や次代を担う研究者の育成についてお話をうかがいました。
社会の大きな変わり目に、若い人たちへのメッセージを
寺野 私も分野が化学ということもあり、本日は吉野先生とお会いできるということでとても嬉しく思っています。ノーベル化学賞の受賞からもう1年となりますが、落ち着かれた頃でしょうか?
吉野 昨年の10月に発表があり、それからいろいろと忙しい日程で12月にストックホルムでの授賞式、年明けぐらいには少し落ち着くかなと思っていたら、今度はコロナ騒動で何やかやと…。
寺野 そんな中で本日はご無理を言ってこの後、地元の中学生、さらに本学に向けてと、2本立てでのご講演をいただけるとのことで、大変感謝しております。今回、コロナの関係で聴講できる人数が限られてしまったのですが、先生にお許しいただいて市内の中学校に同時配信させていただきます。これをどうしてもやりたかったのは、子どもたちがお話を聞いて家に帰れば、親が「今日は吉野先生がどんな話をしたんだ」と、親子で理科の話が始まる。1500人ほどの中学生が家庭で理科の話をするという、得がたい機会になると思うのです。
吉野 私自身の思いとともに、ノーベル化学賞を受賞された白川英樹先生も受賞後に子どもさんに対する活動を積極的にされていたのを見て、もし私もそうなったら、白川先生のなさろうとしていることをやらないといかんな、というのが前々からありました。また、大学生や大学院生の皆さんにも社会が大きな変わり目を迎えようとしている今、私が感じていることをメッセージし、伝わればいいとも思っています。
大学の基礎研究には2つのミッションがある
寺野 今日、ぜひお聞きしたいと思っていたのが吉野先生の基礎研究の捉え方です。私は学位をいただいたテーマで企業に入社いたしました。ポリプロピレンに関するものでしたが、かなりはっきりと実用化への指向性をもった基礎研究を大学で行っていたわけです。いっぽうで、さほど目的にフォーカスしない、研究者の知的な興味に基づくような基礎研究もあります。先生は、このどちらも大切にしなさいとおっしゃっていますね。
吉野 まず、同じ基礎研究という言葉でも、企業とアカデミアではその位置づけが全く違うと思います。基本的に本来の基礎研究とはまさに真理の探究であって、何かの役に立つという以前に学者の個人的な好奇心に基づくもの、それが一つあるべきです。さらに、そこで生まれた新しいセオリーや概念を使って実社会に役立つ方向性を示唆するような研究が始まる。これもまた一つの基礎研究であり、これら2つがアカデミアの大きなミッションだと思います。リチウムイオン電池のルートをさかのぼっていきますと、おおもとは福井謙一先生のフロンティア軌道理論であり、これは何かの役に立つという以前の、実験をしなくても答が出るという発想で、今でいう計算化学あるいはマテリアルインフォマティクスのまさに原点ですね。この業績により日本で初めてのノーベル化学賞受賞となりました。私自身も福井先生の門下生でしたが、この話の流れの中に先ほどの白川先生が登場するのです。福井先生のセオリーからするとアセチレンをきれいに重合したら金属光沢のフィルムになり、かつ電気が流れるはずだと予測された。しかし、その後誰もこれに該当するものを合成できなかったのですが、白川先生が一つの偶然をきっかけに予測を証明するポリアセチレンという新素材を発見されました。真理の探究として福井先生のような研究があり、その延長線上の成果として白川先生がポリアセチレンを発見された。まさにアカデミアの2つのミッションを表したものといえるでしょう。
寺野 白川先生には私も大学院の時にご指導いただき、当時は横の実験台でポリアセチレンの合成をされていましたので、個人的にとても感慨深いお話です。そういったアカデミアでの流れに対して企業の基礎研究はまた別のものであるということですね。
吉野 何に使えるかわからないが機能性に富んだポリアセチレンという新素材が発見されました。そこから先が企業の研究であり、これを取り上げるところからリチウムイオン電池の研究が始まっています。アカデミアからのアウトプットをどのように具体的な製品に結びつけていけるかが、企業における基礎研究といえるでしょう。
真に社会で生かされることを指向しているか
寺野 日本の基礎研究について、現状の問題が指摘されています。企業から提出される論文の減少がマスコミなどでよく取り上げられるなど、その衰退がいわれていますが、私は企業においては論文を書くことはさほど重要ではなく、これを基礎研究の低迷と捉えるのは少し次元の違う話かと考えています。しかし、同様の傾向が指摘される大学については、少し遠くを見て真理を追究するような研究の状況、あるいは新しい社会に向けた製品や産業に関わる幅広い領域を日本がしっかりカバーしているかどうかなど、我々大学人はしっかりと考えていかなくてはいけないという気がいたします。
吉野 大学での研究に対しては産業界からも危惧されているのですが、要するに役に立つ研究をやりなさいという風潮が強くなっていて、それは間違ってはいないと思いますが、その捉え方として大学の先生に対して研究を製品に繋げなさい、というのは絶対にあり得ないし、不可能だと思います。先ほど申し上げたように企業にバトンタッチできる成果を出すのが一つのミッションだと思います。一番良くないのは真理の探究をするでもなく、徹底的に役に立つ研究をやるのでもない。その真ん中でウロウロしているという状況です。これをきれいに分けてあげた方がよほどスッキリする。私は真理の探究に徹します、役に立つものは一切考えませんという先生、そういう発想に立たないと世界をひっくり返すような新しいものはなかなか出てきません。かたや本当に役に立つ研究をしたいという先生も当然いらっしゃるわけです。後者ではどこまでがアカデミアでの研究かを考え、企業と両輪となって動いていくのが理想ではないでしょうか。
寺野 いまのお話は、私の中でもやもやしていたものにピタッと合致するようで、胸のすく思いです。私たちはプラスティック関連の研究をしていますが、これも本当に社会で使われることをが可能か、という点で考えないといけません。延々と研究して凄いものができたといっても、既存の製品に叶わないことも多いものです。これは非常にもったいないことであり、実際に社会で使われることを考え、産学連携なども活用しながら研究を進めていかないと、やはり中途半端ではないかと思います。
35歳からの挑戦に向け、10年間、安心して研究できる環境を
吉野 大学の基礎研究に力を入れないと、この先日本からイノベーションが出ない、歴代のノーベル賞受賞者の方々はだいたいそう言われています。私も同じ危惧をもっておりますが、これに対して国の方でも動き出していますね。若手研究者が10年間は安心して研究できる環境をつくろうという支援策などが始められたようですので、これに期待したいです。
寺野 やはり、若い人にもっと活躍の場を与えて、あまり目先だけにとらわれず思い切って自分の発想で研究ができる場を用意する。特に大学は、そうでないと20年30年先は危なくなってくると思います。本学では私が学長を拝命してから、人事では基本的に教授は採用せず若手の准教授を採用するという方向を打ち出しました。若い人の将来を考えてポストを用意し、精一杯頑張って教授になってもらおうという考えからです。このたび本学は創立30周年を迎えましたが、初代学長の慶伊富長先生はノーベル賞学者を次々に輩出するような大学にするぞとおっしゃっていました。しかし、なかなかそこにはたどり着けておりません。本学が、世界のトップレベルではなく、トップになるために、大化けしてくれる可能性のある若手にフォーカスをあてたいと考えています。
吉野 私も同じ意見です。よく申しますのは35歳という年齢です。歴代ノーベル賞受賞者に、あなたはこの研究を何歳から始めましたかと尋ねると、平均が35、6歳なんです。私自身は33歳ですが、このあたりの年代は企業やアカデミアを問わず、社会に出てだいたい10年目くらいですね。それなりに社会の仕組みもわかり、そこそこの権限を与えられてある程度の範囲で自分の裁量で仕事ができる年代です。いっぽうで、万が一チャレンジャブルなことに取り組んで失敗しても、もう1回くらいはリカバリーのチャンスがある。これらの条件が揃うのは35歳くらいしかないですね。結果としてノーベル賞に至るような研究がその頃から始まっている、ということはそのスタート前の10年間くらいがいわゆる勉強の期間、エネルギーをため込む時間ということでしょう。ドクターを出た人は10年くらいさらに自分を磨くために安心して研究に励みなさい、蓄積しなさい、そして35、6歳になって一気に吐き出して何か大きなことをやりなさい、ということです。もちろん全員が全員、大きな成果を収めるのは無理ですが、10人に1人でも出れば十分国益にも叶うことになります。
寺野 学位をとってから10年に限って思い切り研究に取り組んでもらう。そこで芽が出た人には、例えば准教授のポストを用意してさらに継続してもらう。そうでない人は、アカデミアにこだわらず、より間口の広い企業などに入って経験を生かす道を選んでもらう。これも大切だと考えます。
必ずゴールがあるという確信こそ研究を前に進める力
寺野 企業へ進む道もあると言いましたが、私の下で34人の日本人ドクターが育ち、うち33人が企業へ進みました。彼らは企業で楽しく研究を続けていますし、後にアカデミアに戻った人もいます。私が企業企業と言い続けるのは、吉野先生には遙かに及びませんが、自分が研究開発した製品が世の中に受け容れられ使ってもらえたという経験があり、その手応えが論文を1つ2つ書くよりもよほど大きかったものですから、学生にもそんな体験をさせたいという思いがあります。学位を取った後に、企業という活躍の場を設けることで、学生が信念をもって研究に打ち込んでもらえるとも考えています。
吉野 研究開発にあたって、モチベーションを持ち続けるために大事な点が2つありまして、1つは自分の知識、経験によって何か新しい独創的な発想を生み出そうという意識。もう1つは未来に向かって進める作業ですから、10年15年先に社会が何を求めているかという確信。この2つをしっかり持っていないといけないわけです。よく例えるのがマラソンで、選手は途中で苦しいときがあっても最後まで頑張りきれますね。あれは42.195km先に間違いなくゴールがあると決まっているからです。必ずゴールがあるという信念さえ持てれば、それをどうやって実現するかの問題であり、その間で様々な壁にぶつかってもなんとか頑張れるのではないでしょうか。15年先にどんなゴールが待っているかを自分で考えるのは非常に難しいけれど、必ずそれは見いだせるものです。
リチウムイオン電池は1995年に始まったIT革命とともに生まれ育ってきたものですが、当時は一気に世界が変わるような凄まじさがありました。ただし、振り返ればそれ以前の15年間くらいに様々な技術の準備期間があり、それらが一通り揃って、じゃあ進みましょうというのが95年だったと思います。その目で現在を見てみると、AIやIoT、5Gなどの新しい技術は2010年頃から準備され、ピタッとフォーカスが合いそうなのが15年後の2025年あたりではないかと考えています。IT革命からちょうど30年後。その時へ向けて、地球環境問題やSDGsなどの課題を含め、いま世界全体が動きかけようとしていると感じます。
寺野 吉野先生のお言葉から、ゴールがあるという信念を持たせられる大学運営をすべきという、とても大切なサゼッションをいただいた気がいたします。社会が大きな変革を迎えるであろう未来に向けて、JAISTも高度な基礎研究や人材の育成に奮起しなければならないという思いを新たにいたしました。本日はまことにありがとうございました。
令和2年12月掲載