Info_Know_Doc(Y.Hayashi)

ジョンスカリー, コンテクストを語る

これまでぼくは, もっぱらインストラクションを従来のヒエラルキーにもとづく コンテクストのなかでおこなってきた. つまり, 受け手はインストラクションについて 質問したりしないで, 命令は命令なのだから, 言われたことを忠実にやればいい, と いうものだ.

しかし, 世界はそんなふうには動いていない. 今じゃ人びとは自分のわからないこと には異義を申し立てる. 自分がおもしろいと思わなければ腕組みしても何もやろうと しないよ. だから, インストラクションはそれを おもしろく, わかりやすくするコンテクストを含んで いなければならないんだ. しかも受け手を動機づけるようなコンテクストがね. でもいまのところ大部分のインストラクションはそんなふうになっていない.

一番大切なのは, インストラクションは高度に個人的なコンテクストをそなえて いることだ. マニュアルを手にとったり, 誰かから言葉で何かを要求された とき, それはぼくが 関心をもっていることに関連づけて提示 されなければばらないと思う. また, その人が引きこまれるような形で表現すべきだね.

だから, コンテクストという言葉がとても重要性を帯びてくる. 従来, これはあまり優先されてこなかったと思う. 人びとは事実を伝えることに熱心 で, それらを受けとる側のコンテクストには無頓着だった.

インストラクションの生産性をあげたいと思うのなら, コンテクストを与えることが最優先課題となる. そして, わかりやすく, おもしろく, 関連性をもち, 受け手を引きつける インストラクションを与えるほうが, 事実を伝えるよりもずっと重要になる.


林 幸雄 (yhayashi@jaist.ac.jp)
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