[概要] 折り紙は,そのままOrigamiで通用するほど世界的な知名度があります. 数学をはじめとするさまざまな科学の対象として,世界中で研究されています. でも日本では「子どもの遊び」と受け取られているためか, 逆に真面目な研究対象として取り上げられる機会が少ないように思います. 本ページではコンピュータサイエンスの観点からみた折り紙の現状と可能性を紹介します.
[キーワード] 折り紙,アルゴリズム,計算量の理論,計算幾何学.
[お断り] このページは,電子情報通信学会の学会誌2008年6月号に掲載された同名の 解説論文を加筆修正したものです.せっかく書いたので, より広く公開して,かつ,ときどきは更新して行こうかと思っています. リンクも少しずつ充実させるつもりです.(最終変更日:2008年6月7日)
国立情報学研究所の宇野毅明氏が「大人でも折れない折り紙って,知ってます?」と 私に悪魔のささやきをしたのは,忘れもしないスイスのチューリッヒでのできごとでした. 日本に戻った私は早速その「川崎ローズ」と呼ばれるバラを制覇すべく, 折り図の載った本[Kawasaki1998]を買いました. このバラ(右図)は確かに折るのが難しく,最初の1つを折るのに1週間くらいかかったと記憶しています.
そこから私の折り紙遍歴が始まりました. もう1つ有名な「大人でも折れない」折り紙に「前川デビル」と呼ばれる悪魔の折り紙があります. (左図;左下は手の拡大図.指が5本あるところがポイントです.) この作品は長らく折り図が入手困難でしたが, 最近出た本[Maekawa2007]に折り図が掲載されていて,本当に喜ばしい限りです. これらの折り紙は,もちろん正方形1枚から糊もハサミも使わずに,折るだけで作ることができます. こうした折り紙は『折り紙なんて子供の遊び』という日本人の平均的な思い込みを根本的に叩きのめしてくれます. 「そんなに難しいのか?」と思った人は,是非挑戦して下さい.
さて,折り紙の「難しさ」とはなんでしょう.前川デビルは確かに難しいです. かなり慣れても,やっぱり折るのに1時間くらいはかかります. 一方,川崎ローズは,慣れれば折るのはそれほど難しくありません. 私は今では15分くらいで折ることができます. ごく個人的な感覚では,この2つの折り紙の「難しさ」は,質が違うように思います. 前川デビルは手数が多く,いわば計算量的な複雑さが高いのに対し, 川崎ローズは,求められる折り方そのものが難しいように思います. 川崎ローズの場合,途中からは平面的でなく,立体的なまま折る必要があり, その途中でこれまで見たこともないような折り方を求められます. 折れるようになってから本の図を見ると,他に描きようがないのですが, 図だけ見て折り方を想像するのはなかなか大変です.
こうした折り紙の「難しさ」を解析することは可能でしょうか. コンピュータサイエンスの対象としては,どのように扱えばいいのでしょう. そもそも紙を「折る」行為や,あるいは折られる「紙」を,どのようにモデル化すればいいのでしょう.
近年,諸外国での折り紙の認知度は極めて高いです.ヨーロッパでも北米でもアジアでも, 本屋に行けば「Origami」を扱った本は必ずあります. また折り紙に関する国際会議OSME (Origami in Science, Mathematics, and Education) も開催されています. (4回目の会議である4OSMEは 2006年9月にロサンゼルスで開催されました.4OSMEの会議録は2008年6月現在, まだ発行されていませんが,3OSMEの会議録の一部は和訳[Hull2005]も簡単に入手できます.) この会議では,名前の示す通り,折り紙が科学や数学の対象として捉えられていて,教育への応用も盛んに行なわれています. 私も4OSMEに参加しましたが,150人を越える参加者は(子供も含めた)一般の折り紙の愛好者から, (他分野も含めた)専門家までとても幅広く,これまで参加した多くの国際会議の中でも,屈指の楽しさでした. 内容も親しみやすいものから高度なものまで充実していて,非常に盛況でした.
この会議の名前には Science と Mathematics が入っていますが, その中での「Computer Science」の占める割合は決して少ないものではありませんでした. そして会議の熱気からも,今後はさらに拡大するだろうというのが私の個人的な実感です. では,コンピュータサイエンスとしての折り紙とはどのようなものでしょうか. それを紹介するのがこのページの目的です.
ご多分の例にもれず,折り紙でも理論的側面と,実際の折り紙とでは, いくぶん隔たりがあって,そこで生まれる問題にも違いがあります. ここでも2つを分けて考えましょう.
「理想的な折り紙」と言えば,紙は厚みがなく,与えられた線できっちりと折ることができて, 折り目は安定するものだ,と考えるのが自然です. 「そんな理想的な状態の折り紙なら,折るのは簡単じゃないの?」と思う人も多いでしょう. しかし驚いたことに,「折り紙と折り線が与えられたとき,これを平らに折りたたむことができるか?」という 問題は,NP困難問題であることが証明されています[BernHayes1996].
つまり『折り紙を与えられた折線に沿って平らに折りたためるか?』という判定問題は, 理論的には計算機でも解くことができない超難問なのです. ちなみに山折りや谷折りが指定されたとしても,本質的な助けにはなりません. 興味のある人のために補足しておくと,ポイントは,折る手順と紙の重なり順序にあります. どこからどんな具合に折っていき,紙をどう重ねるか,で,折れたり折れなかったりするのです. そしてその適切な順序を決めることが,一般には非常に困難なのです.
逆に言えば,折り紙では「許される基本的な折り方」「実際の折り線」「折る手順」の組合せによって, まさに千差万別のバリエーションが生まれるとも言えます. このバリエーションの多さこそが,折り紙をアートたらしめているのだ,という人もいます. 例えば川崎敏和氏の博士論文でもある「折り鶴変形理論」[Kawasaki1999]や, 目黒俊幸氏の「領域円分子法」[Meguro1994], Robert Lang氏のソフトウェア TreeMaker と,それによって生まれた作品群[Lang2003]など, 折り紙の設計技法に関して,いくつかの研究や実装が行なわれていますが, この豊富なバリエーションの中ではごく一部にすぎません.
こうした折り紙の「アート」な部分と,理論的な困難さの間には, とても広いギャップがあって,まだまだ埋めるべき場所や,考えるべき領域がたくさんあります.
例えば「基本的な折り方」ですら「藤田の公準」と呼ばれる6つ(あるいはそれに「羽鳥の操作」を加えた7つ)の 「基本操作」が提案されているものの,すべての人がそれに満足しているわけではなく, 今なお活発な議論が行なわれています. ちなみに,この基本操作だけでも任意の角度を3等分することができます. つまり折り紙を使うと,定規とコンパスだけでは作図不可能な図形も作れるのです. これはこれで,なかなか興味深い話です.
基本的な折り方を決定したとしても,[BernHayes1996]の結果に見られるように 「順序」を決定する問題は非常に重要です. こうした「基本的な折り方」と「順序」の関係は,「計算の基本演算」と「アルゴリズム」の関係と良く似ています. つまり折り紙における「折りの手順」を決定する問題は,計算量の理論とアルゴリズムの問題としてとらえることができます. これはまさに理論計算機科学の根幹の問題と言えるでしょう.
理想的な紙は,厚みを持たず,いくらでも折ることができます. でも実際の折り紙では折っているうちに厚みに負けて折れなくなってきます. 私の実測では,普通の折り紙で「半分に折る」という行為を26回続ければ,紙の厚みは富士山の高さを越えるはずです. また自重に負けて崩壊してしまったり,折り目が安定せずに開いてしまったり,と, 紙そのものの物理的な特質によって,さまざまな制約をうけてしまいます.
しかしながら,逆に紙の物理的性質を利用することもできます. 例えば左図の折り目をつけた紙は,ごく自然に(双曲線的放物線面と呼ばれる)「正四面体に内接する形」になって安定します.
また左図はJeff Beynon氏による折り紙で作ったバネですが,これは紙の弾性によりかなり滑らかに伸び縮みします. こうした結果は「理想的な紙」だけを考えていたのでは扱うことができません. (このバネの作り方は びゅんびゅんバネのページを参照して下さい.とても作りごたえがあって面白いです.)
さらには紙は「曲線に沿って折る」ことすらできます. 例えば前川淳氏のアンモナイトの折り紙[Maekawa1995]では, 積極的にこうした曲線に沿った折りを使うことで,美しい造形に成功しています(左図). こうした「折ることのできる曲線」は古くはHuffman符号で有名なHuffman氏を筆頭に, いくつかの研究がなされています[Huffman1976]が, 必ずしも「基本的な折り方」とは考えられていません. ですから,この行為を『紙を「折る」』といっていいのかどうか, このアンモナイトを「折り紙」といっていいのかどうかは,意見の別れるところでしょう.
また,折り紙作品のコストの評価も,一筋縄ではいきません. 田中正彦氏により,基本的な折り紙については工程のコストの評価基準が提案されています[Tanaka2000]. ある程度は成功しているものの,基本的な折り方から外れる手順が多い作品のコストを評価することは難しいのが現状です. 例えば川崎ローズとアンモナイトのどちらが「難しい」かを判断するのも,それほど簡単な話ではありません.
コンピュータサイエンスの観点から見た折り紙は,こうした「理論的なモデル」と「現実の折り紙」との間で, 試行錯誤しつつ前進しているのが現状です. 研究対象としてはまだまだ未開拓で, コンピュータサイエンスの研究者が活躍する余地がたくさん残されています. 例えば,折り紙デザイン支援ツールの開発などが既に行なわれていますが, 日本の国内で開発されたシステムでは(私の知る限りでは)以下の3つが代表的なものです.
この分野では,柔軟な発想を持った若手研究者が活躍していることがよくわかります. また,こうしたシステムを作るのは,実際の折り紙が好きで好きでたまらない人達が多いので, やや「現実の折り紙」よりの結果が勝っている感があります.
こうしたテーマを理論的に扱うには,既存のグラフ理論や計算幾何学だけでは十分とは言えません. 理論計算機科学の対象となりうる基本的なモデルの整備と, 計算量やアルゴリズムの観点からのさらなる研究が期待されます.
『折り紙は子供の遊び』という素朴な思い込みからは脱却して,理論的なおもしろさに納得しても 『所詮は理論や趣味の話であって,実際の役には立たないのでは?』と思う人も多いかもしれません. でも折り紙の応用は実に幅広いのです. 例えば三浦公亮氏が考案したミウラオリと呼ばれる折り方は,2点を動かせば, すべての折り目が連動して動き,全体が一気に開いたり閉じたりするものです([Miura2008]). これは人工衛星の展開式太陽電池パネルや地図,さらには チューハイ缶のデザインにまで幅広く応用されています.
また,折り紙を2次元平面ととらえて,これを1次元,あるいは3次元にまで拡張してみると,さまざまな応用が見えてきます. 例えばロボットアームやパイプの折り曲げ,タンパク質の折りたたみ,段ボール箱の設計と組み立てなど, 身近なテーマから最先端のテーマまでが折り紙と関連していることがわかります. 例えばみなさんも精密機器のパッケージの段ボールや, お土産物屋のお菓子の箱を分解して感嘆したことが一度ならずあるのではないでしょうか. 先にあげた4OSMEでもバイオインフォマティクスの研究者のDNAのデザインに関する研究発表や, ナノテクノロジーへの応用の可能性などが活発に議論されていました.
最後に,こうしたテーマを広く深く扱った本として, 文献[DemaineORourke2007]をあげておきましょう. 著者の1人であるErik D. Demaine氏は, 若干20歳にしてMITの准教授に最年少で着任した,天才研究者です. 現在は20代後半でまだまだ若手ですが, 理論計算機科学の分野で幅広く活躍し,毎年数十編の論文を書きまくっています. もう一人の著者であるJoseph O'Rourke氏とともに, すでに重鎮としての風格十分です. 彼らは折り紙とその関連研究を計算幾何学の一分野として位置付け,精力的な研究を行なっています. 文献[DemaineORourke2007]は彼らのそうした成果を中心に,教科書としてまとめられたものです. 専門的な内容ですが,幅広いテーマを網羅し,かつ,初学者への配慮も忘れていない好著です. 2007年に発刊されたばかりですが,今後,本稿で紹介した「コンピュータサイエンスとしての折り紙」の良い手引書となるでしょう.
[Kawasaki 1998] 川崎 敏和, バラと折り紙と数学と, 森北出版, 1998.
[Maekawa2007] 前川 淳, 本格折り紙 --- 入門から上級まで, 日貿出版社, 2007.[Hull2005] T. Hull (著), 川崎 敏和 (翻訳), 折り紙の数理と科学, 森北出版, 2005.
[BernHayes1996] M. Bern and B. Hayes, ``The Complexity of Flat Origami,'' Proc. 7th Ann. ACM-SIAM Symp. on Discrete Algorithms, pp.175--183, ACM, 1996.
[Kawasaki1999] 川崎 敏和, ``折り鶴変形理論,'' 折紙探偵団, 56号(前編), 57号(後編), 1999. (たぶん入手困難ですが,折紙探偵団に直接行けば閲覧することはできると思います.)
[Meguro1994] 目黒俊幸, ``「翔ぶクワガタムシ」と領域円分子法,'' 季刊「をる」, vol.5, pp.92--95, 1994. (通常の本屋さんでは入手は困難ですが,折り紙グッズが豊富な店に行くとけっこう売ってます. 私は2007年に日本折紙博物館で買いました.)
[Lang2003] R. J. Lang, Origami Design Secrets: Mathematical Methods for an Ancient Art, A K Peters Ltd, 2003.
[Maekawa1995] 前川 淳, ``アンモナイトの化石,'' 季刊「をる」, vol.10, pp.102--104, 1995. (通常の本屋さんでは入手は困難ですが,折り紙グッズが豊富な店に行くとけっこう売ってます. 私は2007年に日本折紙博物館で買いました.)
[Huffman1976] D.A. Huffman, ``Curvature and Creases: A Primer on Paper,'' Transactions on Computers, vol.C-25, no.10, pp.1010--1019, 1976.
[Tanaka2000] 田中正彦, ``折り紙の複雑さの数値化,'' 折り紙探偵団, 61号, pp.11--13, 2000.
[Miura2008] K. Miura, ``Science of Miura-ori -- A Review,'' 4th International Conference on Origami in Science, Mathematics, and Education (4OSME), A K Peters, 2008.
[DemaineORourke2007] E. D. Demaine and J. O'Rourke, Geometric Folding Algorithms: Linkages, Origami, Polyhedra, Cambridge University Press, 2007.
Last modified: Sat Jun 7 13:33:39 JST 2008
by Ryuhei Uehara (uehara@jaist.ac.jp) |