Sorry for the Japanese text below. My personal interests follow ...
嵯峨山茂樹 : 趣味など : 旅行
◆ 外国旅行
もちろん外国旅行もわくわくします。歴史のあるヨーロッパの中世の街を歩く
のが好きです。仕事も併せてかれこれ20か国余りに行きました。仕事で行く
ときは観光ができないので、個人旅行で行くのが一番ですね。それにしても、
国際会議のために外国へ行くことが多いのですが、私の専門分野では開催地が
ハイテクの国ばかりなので、どうしても米国が多かったりしてあまり
面白くありません。少し違う分野に商売替えするほうがいいかも。
-
最初に行ったのはスイス。1981年の年末から1982年の正月にかけてだったでしょうか。
同期入社の友達と約10人で思い切ってスキー専門の
旅行会社の「格安ツアー」で行きましたが、確かやっと40万円台のツアーが
出現して、給料の3ヵ月分位で行けるようになったことを覚えています。
1ドルがようやく360円から250円にまで下がって来たけど、
まだヨーロッパ旅行は新婚旅行だけの夢だった時代。
10日間の休みが取れるのが正月休みしかなく、スキー旅行になったのです。
行きはアンカレッジとコペンハーゲン経由。
まだ当時のソ連の上空が飛べない時代でした。
帰りはアテネ、クェート、……、バンコク、マニラを経由して30時間以上、
機内食を6回食べました。
それでも Grindelwald と Zermat で夢のような日々を過ごしました。
初めて外国で滑ったスキーでした。次に滑ったのは20年近く経ってから。
恥ずかしい話ながら、カレンダーの写真で憧れていたスイスは、
実はその辺りの有名な風景だと知りました。
それまでは、スイス全国がそんな風景なのかと思っていたのです。
あまりの興奮から、帰国してからも1月くらいは
ぼうっとしていたように記憶しています。
-
思いがけなく1年しないうちに外国出張のチャンスが来ました。全年に懸命に
頑張って設計・試作した音声合成LSIの発表に行かせて貰えたのです。
行き先はカリフォルニアの Santa Barbara とサンフランシスコの南方面。
アメリカの西部は、西部劇で見るような野蛮な所だと思っていた私は、
シリコンバレーと呼ばれ始めていたハイテクの街にびっくり。
ブーゲンビリアの咲くカリフォルニアの美しさ、
週末に行ったヨセミテにすっかり感激しました。
-
前年のスキー旅行から病み付きになって、1982年末から
同じような仲間でヨーロッパの都市を回りました。
ロンドン、パリ、マドリードとその郊外を回りましたが、
年々、少しずつ外国旅行が安くなって来ていました。
一回目ほどの感激はなかったけど、良かったですね。
プラド美術館でヴェラスケスを見、その生涯を知るに及んで、
私の最も好きな画家になりました。
(しかし不思議なもので、十数年のちに再び見に行った時は
少し感激が薄れていました。)
-
1989年末、親孝行を兼ねて、父母を連れて妹家族をウィーンに訪ねました。
Musikfereinsaal での演奏会、Heurige での Sylvester 料理、
ザルツブルクへの遠出など、さまざまなウィーンを楽しんで、
それからヴェネツィアとローマを回りました。
まったくの個人旅行だったので、両親の分も併せて高く付きました。
-
一番思い出に残る旅と言えば、妻と二人で行った東ヨーロッパの旅でしょうね。
実質的な新婚旅行だったからでもあるでしょう。
東ヨーロッパの社会主義体制が崩壊して間もない頃で、
妹の旦那のウィーン勤務が終る直前に、
慌てて訪ねに行きました。
まだチェコスロバキアが存在していた時期。
西側諸国に比べて「中世」がある意味でよく保存されているのは嬉しかった。
プラハに始まり、ライプツィヒ、
ドレスデン、アイゼナッハとバッハの足跡を訪ねて、ロマンチック街道を通っ
てミュンヘンに至り、ウィーンの妹家族宅へ。
チェコでは英語が通じず、ドイツ語が頼みの綱でした。
そこからブダペシュトへ足を延ばしました。
TokajのEssensiaが一本、いま家宝になっています。
-
米国のロッキー国立公園も素晴らしかった。よく言われることだけど、やはり
アメリカは大自然がいいですね。妻の運転で Trail Ridge Road を通り抜けました。
Pike's Peak (4301m)と Mt. Evans (4347m) にも行き、
これが私たちが登った山の最高地点となっています。
楽しい夏休みの一時でした。
-
Eurospeech93 で訪れたベルリンでは、まだ共産主義の影響の強く残った東ベ
ルリンに泊まって、なかなかの印象でした。
-
アジアは仕事で行く機会がいままでありませんでした。妻と行った、
バンコク、シンガポールも、北京もとても良かった。
但し、北京は完全な個人旅行だったので、英語も日本語も通じなくて苦労しました。
しかし筆談した苦労がいい思い出なのだから、勝手なものです。
また機会があればと思っています。
-
最近は、外国旅行に慣れたのと、出張先が米国が多いことから、
外国旅行が疲れるだけのつまらないものになりつつあります。
困った事です。こんなはずはなかったのに。
-
結局、初めて行くときの感激と興奮こそ、二度と得られない貴重な人生の宝な
のだと分かりました。これは、どんな金持ちでも人生に一度しか与えられない。
今でも外国旅行は何度行っても面白いけど、何も分からずとんちんかんなこと
をやっていた、今思うと恥ずかしいような一度目に勝る体験は、
それ以後ないのです。
だから、とても行きたいのにまだ行っていない人は、大きな宝を持っているのです。
Page by Shigeki Sagayama, 27 June 1998; last updated on 8 Nov 1999