このように,弾き語りは非常に人気があり一般的な音楽演奏形態であるが,実際にこれを行うことは容易ではない.最大の問題は,楽器演奏による「自己伴奏」と「歌唱」とを同時に行わねばならないことにある.「楽器演奏」は,それ単独でも全く容易ではない.弾き語りに多く用いられる楽器はピアノやギターであるが,いずれについてもそれらを自在に操作して演奏することができるようになるためには,膨大な労力を要する.一方,「歌唱」もやはりそれ単独で行うことすら容易ではない.カラオケの普及により,誰でも気軽に歌唱を楽しむことは可能となっているが,自分の歌唱力に満足できている人は多くない.しかも弾き語りを行うには,楽器演奏と歌唱という2つの困難を個別に克服するだけでなく,それらを同時に遂行する能力を身につけねばならない.このように,弾き語りは軽音楽の演奏の中でも特に難度が高い演奏行為となっている.このため,多くのアマチュア演奏家は憧れるだけで終わらざるをえない.またプロの演奏家にとっても,要求される認知的・身体的負荷が高いため,楽器演奏と歌唱の両方に十分に注力することが難しく,理想的な演奏を行い難い可能性が考えられる.
従来,単独での楽器演奏を支援するシステムに関する研究開発は多数なされており,簡単なものはすでに市販されている.提案者自身もジャズの即興演奏の支援システム[1]やクラシックなどの再現演奏の支援システム[2]などを開発してきた.これらのほとんどは鍵盤楽器を対象としたものであったが,ごく最近になってヤマハから発売されたEZシリーズと呼ばれる製品群では,ギターやトランペットの演奏支援が実現されている.また,提案者らは,ソロ演奏だけでなく複数の演奏者による合奏の支援システムの研究[3]も実施している.しかし,弾き語りを対象とした支援システムの研究はこれまでのところ例を見ない.
また,自動伴奏システムの研究も,音楽情報処理分野では古くから非常に多数の研究がなされている.これらのシステムは,人間の演奏(楽器演奏が主であるが,一部歌唱も含む)に対してシステムが自動的に伴奏を付与するものである.近年インテリジェントなシステムも考案されつつあり,人間の演奏から「演奏意図」を推定して,それに応じた音楽表現を持った伴奏を生成したり,さらには人間の奏者と対等な「もう一人の演奏者」として振る舞ったりするようなシステムも開発されている.しかしながら,これらのシステムでは「推定」が入り,それは必ずしも人間の演奏者の意図とマッチしない.「合奏」の場合,このような演奏者間での意図の不整合も一種の意外性を産み出す要素となりうるため,有益な側面もある.しかし,弾き語りの場合は,演奏全体が一人の演奏者の意図に完全に沿ったものでなければならない.ゆえに,自動伴奏の技術は,弾き語りの支援システムには適合しない. 以上のように,すでに多くの演奏支援システムが研究開発されているが,「弾き語り」を支援する試みは存在しない.本提案は,この点において「未踏性」があると言える.
[2] 大島千佳,西本一志,宮川洋平,白崎隆史:音楽表情を担う要素と音高の分割入力による容易なMIDIシーケンスデータ作成システム,情報処理学会論文誌,Vol.44, No.7, pp.1778-1790, 2003.
[3] 大島千佳,西本一志,鈴木雅実:家庭における子どもの練習意欲を高めるピアノ連弾支援システムの提案,情報処理学会論文誌,Vol.46, No.1, pp.157-171, 2005.