■ 3つのトマト

 ドキュメンタリー映画「地球交響曲」(龍村仁監督、1992年製作)の中で、トマトの栽培について独自の方法を試みている野澤重雄さんという研究者が紹介されている。
 彼はトマトを最初から最後まで水栽培で育てる。土の中では根の発達が妨げられるという理由からだ。水中には養分を十分に供給し、発育に応じて水槽を大きいものに換え、トマトが存分に根と枝を広げられるようにする。
 映画はトマトの種1個が発芽したシーンから始まり、時が経つごとにその成長を追う。
 小指の先ほどの小さな芽が、8カ月後には大きめの家一軒分はあろうかという大木に成長し、見る者を圧倒する。通常、1本のトマトの木になる実の数はせいぜい50〜60個。ところが映画に登場したその木は、驚くことに5000個の実をつけた。過去に野澤氏は13000個の実をならせたこともあるという。
 ストレスがない状態で、最大限に成長の糧を与えてやると、生物はここまで伸びるという例である。

 永田農法というトマト栽培法をTVで見た。
 これは上の野澤さんの方法とは正反対で、トマトの木を極限まで厳しい環境に置くやり方だ。養分や水をわざとギリギリ最小限だけしか与えず、土も石混じりの粗悪なものを使う。するとトマトは生き延びるために必死になって根を張り、栄養になるものは何でも取り込もうとする。そうしてたくましく強い木に成長していく。
 結果、それは果物のように糖度が高く、肉の厚い実をつけるという。「永田のトマト」「フルーツトマト」として店先に並んでいる。
 じつはトマトの原産地ペルーの土壌も水や養分が少ない環境だそうで、従ってこの栽培法は理にかなっているとの説明だった。方向性は同じだが、おそらく原産地よりも苛酷な条件を課しているのだろう。

 上に紹介した最初の栽培法は、恵まれた環境だけを与えて自然に成長するにまかせる放任主義、2番目は獅子がわが子を千尋の谷に突き落すようなスパルタ主義といえる。子育てや、もの作りの方法論などに通じるところがありそうで面白いと思う。

 昔から、放任主義とスパルタ主義はどちらが子供をより伸ばすのか、という問題がある。こういう問題には決着は永遠につかないだろう。実際スポーツでも、「幼い頃から自然にそれに親しんだ」系と「親やコーチが特訓して鍛え上げた」系の両方のタイプの選手がいて、どちらの実力が上かは一概に言えない(スポーツの場合、両者が必ずしも相反するとは限らないが)。
 野澤トマトと永田トマトは異なった特徴を持つ。そもそも野澤氏はトマトの生命力そのものを研究対象にされており、食用として考えておられるわけではない(らしい)ので、永田農法と比較することさえ無意味かもしれない。それでも、普通の種子からスタートしたトマトが、その後の環境次第でこれほど違う道を歩むという事実は興味深い。
 しかしながら、上の2つの方法には共通点があることに気づく。それはどちらもトマトに本来備わっている、自ら成長するパワーを引き出していることだ。

 それに対して、最近は遺伝子組換えトマトというのも現れた。遺伝子組み換え作物とは、他の生物や品種などの遺伝子を組み込み、新しい性質を加えたもの。上の2つの方法とはさらに次元の異なった育て方だ。素人なのでよくわからないが、スポーツでいえば、足の速い選手を作るためにカモシカの遺伝子を人間に移植するようなものだろうか?
 米国では開発が盛んな遺伝子組み換え作物だが、日本や欧州では一般に安全性を疑問視する声が強いらしい。日持ちの良い遺伝子組み換えトマトの開発に取り組んできた日本の企業2社が、「消費者の不安を尊重せざるを得ない」と最近開発から撤退したという(朝日新聞、2000年8月27日)。

 遺伝子組換えトマトを食べたところで、消化してしまうのだから人体には影響ないような気もする。
 しかしトマトはともかくとして、人間の遺伝子組換えが行なわれるようになったら、どんな世界になるだろう。少なくとも、オリンピックなどはもはや意味を成さなくなるのは確かだな。(00. 10. 3)


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