■ 買う 〜インコンビニエンス・ストア〜

 コンビニは私の生活の一部と化している。買う物が無くてもつい習慣的に立ち寄ってしまう。だから本場米国のコンビニがどんなものかは興味あるところであった。
 今回バージニアビーチしか歩いていないので他所のことはわからないのだが、この街のコンビニはセブンイレブンの独占状態であった。サークルKとかローソンとかampmは皆無。このうちのどれが米国発でどれが日本オリジナルかも知らないけど。
 折しも現地で書類をコピーする必要が生じた。コピーといえばコンビニだ、と直観し、早速セブンイレブンに入ってみた。

 店内に一歩入った瞬間、自分の思い描いていたコンビニのイメージとは程遠い、おどろおどろしい空間が目の前に出現した。

 独特の匂いが鼻をつく。人工甘味料とヌガーに、カーオイルの匂いも混じっていただろうか。場末のジュースの自動販売機横のゴミ箱の匂いというか、いかにも身体に悪いものしか置いてねーよ、という匂い(では日本のコンビニには身体に良いものが置いてあるのか、と言われると困るが)。雰囲気的に、スーツにネクタイで入店するのはやや場違いのようだ。スナック菓子とカーオイルが並んで棚に配置されているところなど、さすが車社会アメリカだな。
 照明も薄暗い。光量は日本のコンビニの半分位か。日本コンビニの真昼のような電気無駄使い照明に慣れている人は、米国コンビニで長時間過ごしていると気が滅入ってくるかもしれない。

 飲物は、炭酸系かミネラルウォーターばかり。種類も少ない。最近日本では、限りなく水に近い野菜ジュースとか、ミルクセーキのペットボトルとか、次々と新しい種類の飲料が発売されているけど、アメリカで飲まれている飲物は十年一日のごとくずっと変わっていないのではないか。逆に言うと日本人がいかに熱しやすく冷めやすいかを示すものでもある。新種の飲物が登場する分、消えていく飲物があるわけで、昨年新発売だったビールが今年は生産中止になるのも日本では日常茶飯事。

 で、目的のコピーだけど、ない。米国コンビニにはコピー機もないし、生ビデオテープもないし、整髪料もないし、音楽CDも映画のチケットも扱っていない。宅急便も送れないし、受信料も払えないし、御中元御歳暮の注文も承っていない(あたりまえ)。あ、でもポケモンカードは売っていた。びっくりした。

 日本人がコンビニの基本概念を米国からいただいて、それにどんどん自分たちのアイデアを付加して発展させた歴史を垣間見た気がする。日本人は独創性に乏しく、他国の創ったものを改良するだけである、とはよく言われることであるが、コンビニに関してはまさにそのとおり。ただし、その改良の勢いはすさまじい。「プロジェクトX 〜挑戦者たち」(2000年10月31日放送回)で日本初のコンビニをオープンさせたチームの悪戦苦闘ぶりが紹介されていたが、莫大な契約金を米国の本家に払ったものの、経営ノウハウは結局のところ自分たちでゼロから積み上げるしかなかったらしい。枠組だけを輸入し、内容物はほとんど自前で作ったのだ。苦労の甲斐あって今や本家を抜く収益を上げている。同じデザインの「7」の看板を掲げていても、米国と日本のセブンイレブンは似て非なるモノだ。

 コピーは結局、町のプリントショップでやった。コピーはコピー屋で、CDはCD屋で。ある意味健全かもしれない。

 というわけで、普段日本のコンビニに入り浸っている者から見ると、バージニア州のコンビニはひどくインコンビニエント(不便)だという印象を持った。日本のコンビニは、ピクニックに出かける家族連れにも、商談に出かけるビジネスマンにも、デート中の若い男女にも対応可能なマルチパーパスなスポットだが、米国のそれはほとんど部屋で寝そべって菓子をパクつくカウチポテト族のためにのみあるのではないだろうか。
 やはり映画チケットも受信料も宅急便も、とコンビニの機能がどんどんふくれあがっていったのは日本くらいのものなのか? 米国人からみると日本のコンビニはなんて節操が無いんだ、ということになるかもしれない。コンビニだけでなく、最近は本屋がサンドイッチを、薬屋がゴム長靴を、ホームセンターがチョコの詰合せを売っている時代である。もはやカオス。何だかわからないぞニッポン。

 結論。米国のコンビニは陰欝だ。日本のコンビニは無節操だ。バージニアビーチ以外の米国コンビニ、または他の国のコンビニを体験された方、どうでしたか? (01. 1. 31)


After 5