会話はキャッチボールである。 とりわけ米国にいるときは、かなり速い球をコントロール良く投げたり受けたりすることが要求される。 デトロイト空港は日本人の案内係がいたから困らなかったが、そこから先はいよいよ日本語が通じない世界。ちょっと武者震いする。道を聞く時、タクシーの交渉する時、タクシーの中でドライバーと会話する時、全部英語だ。おお。 ホテルに着いてタクシーから降りたら、早速ホテルからポーターが出てきた。 「荷物運ぼうか?」 「あ、えーと」(英語を理解するのに時間がかかる) 「どっちなんだよ! (YES or NO?)」 「い、いいです、自分で運びます」 本人は詰問しているつもりは全くないと思うが、普段瞬時にボールを投げ返すのに慣れていない私にはキツイ。この国では常にYESかNOか、自分が何をしたいのかを、素早く明確に表現することが求められている。 私の場合、喋りはなんとかなったが、聞く力がかなり弱いことを今回自覚させられた。 何が難しいって、巻舌の「r」やいわゆる曖昧母音を含む発音が聞きとりにくい。それとイントネーションのメリハリが強くて、前置詞や助詞などは猛スピードで通り過ぎる。そのくせ前置詞ひとつ聞きのがしただけで文全体の意味がわからなくなることも多い。 差別するわけではないが、学会事務局の人々が話す英語は比較的わかりやすく、飲食店の店員など町の人々の英語はわかりにくいと思った。俗語が入っているのだろうか。それに加えて町の人々は、よりわかりやすい言葉で言い替えるということをしてくれない。 「○×★△■◇」 「え?」 「○×★△■◇」 「すいません、もう一度」 「○×★△■◇」(ひたすら同じ内容を同じ速さで繰り返す) 「…ごめんなさい、わかりません」 「………」(ため息をつく) 「もしかして、「このカードは使えない」ということですか?」 「そう」(冷たく) まあ英語わからん奴はアメリカに来るなということかもしれないが。 喋りが一番わかりやすかったのは、ビーチで出会ったボブ・マーリー似のドレッドヘアの若い男。 晴れた日、私がベンチにすわって休んでいると、 「まったくクソ暑くてやってられないぜ」とかなんとか言いながら親しげに近付いて来た。彼の話し方はスローでだるそうで、私はきっと彼は少々ドラッグが回っているのだろうと思った。しかし、そのせいで喋っている内容を聞き取るのは容易だった。 「おまえはどこから来たんだ」 「日本だ」 「ほう日本か。日本人てのはクールな奴が多いよな」 「そうかもしれない」 「(笑)お前の仕事はなんだ」 「研究だ」 「へえ、ビーチの研究か?(笑)」 「いや、自然科学だ」 「自然科学だって? ハッハッ、こりゃいいや」 別に笑うところではないんだが。 その後も「おまえの髪はいい」などとしきりに話しかけられるが、私は面倒なので早々に「バイ」と言って立ち去った。髪をほめられたのはうれしいが、せっかくアメリカに来て髪がどうこうといった会話しか満足にできないとは情けない。ただ、町の人々も、こちらが英語に堪能でないことに気付いたら、このボブ・マーリーのようにゆっくり喋ってくれればいいのに、と少し思う。 ボブ(仮名)と出会ったバージニアビーチの海岸。 見ず知らずの相手と会話を始めるのが不自然でない雰囲気は気に入った。日本では飛行機などで隣の席の知らない人に話しかけたら「何だコイツ」と警戒されることも多いが、米国ではそうしたことが気軽に行なわれる。方法も確立している。まずちょっとした話の枕をふり、そして自己紹介をする。 帰りの飛行機の中で。 「この夜景はいいね」 「そうだね」 「ステファンだ(手を差し出す)」 「ジョーだ(握手する)」 こうして隣の人との会話が始まった。まさかこの後、彼と超伝導について議論することになるとは思わなかったけど(彼は技術者だった)。 とにかくヒアリングが弱いと致命的だと感じた。機内でもし何か重要なこと−たとえば、当機はハイジャックされました、とか−をアナウンスされても理解できないのだから。今度行く時はリベンジしてやる(=普通の人の喋る内容の70%くらいは理解してやる)。それまで映画や二か国語放送でヒアリングを特訓しようと心に決めたのだった。(00.11.5) (revised 01.7.22) |