この漫画を途中から読み始めた人は「これのどこが「買い出し紀行」なんだ?」と疑問に思われるかもしれないが、まあ気にせずに最初から通読してみていただきたい。 ロボット工学が発達し、姿も思考も人間とそっくりなロボット(アンドロイド?)が人間に混じって生活する時代。主人公アルファはそんな女性型ロボットで、旅に出ているオーナーの帰りを待ちつつ、人里離れた岬(三浦半島の西側のどこからしい)でひとりカフェ店を守っている。アルファが時々コーヒー豆の買い出しのために横浜まで遠出するのが題名の由来だが、その小旅行について描かれている部分はわずかで、大部分は彼女の日常の話である。店を訪れる客は少なく、さしたる事件が起こるわけではない。ただアルファと近所のおじさんや子供たちや親友との交流が、詩のようにゆったりと描かれる。 絵が美しい。岬の風景など、細部の描写は見ていて飽きない。ロボットも含め、登場人物はみんな人間的で、悪人は登場しない。癒し系の漫画だ。 しかし物語のバックボーンは、かなりシビアな世界観である。 時代背景は温暖化が進行して水位が上昇した近未来であり、かつての都会は海底に沈んで廃虚と化し、残された人々は、高台であった土地に新たに街を作って生活している。 ここまでは何やら某アニメと非常に似た設定だが、こちらの”ヨコハマ”が”第三新東京市”と大きく違うのは、新しい街に高層ビルの姿はなく、鉄道といえば2両編成の路面電車だけ、家庭にはテレビや電話すら見当たらないこと。 つまり壊滅的打撃を受けた(と思われる)人々は、もはや文明をかつてのレベルにまで高めようとはしなかった。 まるで明治維新の開港直後の横浜のような小規模の社会で、細々と、淡々と生きる道を選んだのだ。 文明の成熟と衰退は、人の一生と似ている。 成長期は青春時代、停滞期は中年時代、そしていつか終末が来る。 若い時期を過ぎたころから、身体のあちこちが病気をもつようになる。 「現代社会のひずみ」「病んだアメリカ」などと呼ばれる現象はその例であり、松本智津夫やバスジャック高校生のように時々現れて世間を恐怖に陥れる新しいタイプの犯罪者にもその兆候を見ることができる。 科学技術にしても、放射性廃棄物や産業廃棄物の処理、あと数十年で枯渇する石油の代替エネルギーなど、本質的問題の解決を後回しにして利益をむさぼっているのが現状だ。 この調子だと、今我々のいるこの文明にも終末はほぼ確実にやってくる。 問題はどうやって終末を少しでも先延ばしにするか。 人類社会の延命治療に、皆が頭を悩ませている。 「夕凪の時代」と作者が書いているように、「ヨコハマ…」は人間社会が終末に向かって進み始めた時代の物語だ。人間に例えると、大病を患ったあとのんびり療養している老人のようである。 終末を予期した人々が、少しでも命長らえようと冷静に考えて出した解答が、テレビも電話も特急列車もない静かで穏やかな世界なのだと思う。 ひと昔前に流行した終末論では、大災害や核戦争によって一瞬にして世界が滅びるという描像が多かった。それに対して「ヨコハマ…」は、世界はある日突然終りを告げるのではなく、どこかで折り返してゆっくりと退行していくという、ある意味で救いのあるシミュレーションを示してくれている。(00. 7. 1) ■ 芦奈野ひとし「ヨコハマ買い出し紀行」月刊アフタヌーン連載中/コミックス8巻まで既刊(1995- 講談社) |