数理リテラシーは何故必要か? 日本の現状とアメリカの産業界の取り組み

京都大学経済研究所 教授 西村和雄

 私が戸瀬信之慶応大学教授と共同で、大学生の数学学力調査を行ったのは、一九九八年四月である。そのときに、私立文系学生を中心に調査したのにはいくつかの理由があった。最大の理由は、理工系の学生の学力調査をして、微積分ができなくなっていることを発表したとしても、そのことがいかに深刻な問題であるかを、マスコミと世論に理解してもらうことができないからである。

 私大文系の学力、国立大文系の学力、理工系の学力は独立に生じる現象ではない。たとえ理工系学部の入学者選抜制度や教育が望ましいものであったとしても、私大文系の学力低下をもたらす教育制度は、母集団の変化を通じて、やがて理工系学生の学力低下をもたらすであろう。加えて、現実には、国立の理工系学部でも、多様化入試と称して数学から数IIIを省し、理科を一科目としている大学が多い。微分を知らず、物理も知らない工学部生、生物を知らない医学生は今や当たり前なのである。これが理系の学力低下に拍車をかけることになっている。

 事実、私と戸瀬教授は、2000年度に理工系学部の学力調査を行ったが、トップの大学を除けば、理工系の学生の数学力は文系と変わらなかった。マイナスの入った四則演算では、旧帝国大学工学部SEで33%以上、地方国立大学SKでは40%以上が間違えている。

 一方、アメリカでは数学、理科教育の改善は、国家プロジェクトとして行われている。クリントン大統領は、政界、財界、教育、科学の分野の指導者を召集して、教育水準の向上を呼びかけた。その、1998年3月16日付けの発表によると、「数学、理科教育の改善」や「任意のナショナルスタンダード(達成すべき平均学力水準)と数学、リーディングの試験」が強調された。

 それに応えて、アメリカの産業界も「成功のための公式:学生の数学、理科の成績向上を支援する財界指導者のためのガイド」を発表した。そこでは、経済ジャーナリスト ロバート・J・サミュエルソンによる「学生がしっかりとした技能も持たずに学校を卒業するとしたら、さまざまな否定的な結果が考えられる。一つはコスト高。3度、4度と機会を与えなければいけないとすれば、(大学であれ、仕事場であれ)コストがかかるのは当然といえる。もっと早く身につけておくべきであった技能を後になって身につけようとする人もいる。中には、後からでは決して身につけることのできない技能もある。結果として、高い技術を持った労働者が少なくなる。また、低い技能しか身につけていない労働者は貧困に陥るか、半永久的に失業の状態になる。」が引用されている。

 上記のガイドでは、アメリカの産業界からの意見として、

 ・世界市場で競争力をつけたいのなら、教室と工場の両方において競争力がなければならない。

    ―アルバート・ホーサー(シーメンス コーポレーション社 社長 兼 CEO)

なども引用されている。

 日本で忘れてきたことを今のアメリカでは、教育者と産業界が積極的に進めているのだ。