──先生が描く遍在コンピュータ環境というのは、どういうものなのでしょうか? モバイルや携帯が大流行ですよね。絶対に持ちたくなかったのですけれど、とうとう私も持たされてしまいました(笑)。遍在コンピュータ環境は、これと全く逆のはなし。例えば、私が企業にいた頃は腕時計をはめていませんでした。理由はどこに行っても時計があるから。つまりどこにでも手段があれば、持ち歩く必要はない。コンピュータにも同じことが言えるはずです。 ──携帯電話が必要ない環境ということですか? 無線帯域には限界があります。電磁波の性質のために避けられないことです。でも有線の場合は針金を束ねれば独立のチャンネルがいくらでも取れますし、多くの人が同時に通話できるような通信網が作れるのです。でも有線はやはり不便ですよね。そこで“線”がなくてもコミュニケーションの手段がとれて、かつ有線の広いチャンネルを自由に使えないかということを考えています。 ──具体的にはどんなことが考えられますか? たとえば自分が呼び出されていることがわかるようなモノを持っている。そこで何かディスプレイがあるようなものの前に立つと、その相手がぱっと現われる。そんなことが考えられます。いろんなメディアを吸収するような技術をうまく組み合わせれば、こんなことが自由自在にできるようにはるはずです。電話だけでなく画像を送ったり、さまざまな通信ができるわけです。 ──ポケットベルのようなものを持つのですか? 同じ原理ですが、ポケベルだと情報は一方通行になりますから、それだけではだめしょうね。ただポケベルの良い点は、個人の位置を追いかけずに、その人を呼び出すことができるというところ。携帯電話やPHSは、実は半径2キロから数100メートルまで個人を追いかけているんです。
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──個人の位置情報は分からないけれど呼び出すことはできる、という。 ユビキタスコンピューティングについての論文がアメリカで発表されたのは91年のことです。その考え方は、オフィスにいる人の位置情報を無線システムで常にトレースしていく、つまり行動を常に監視する。システムがその人の行動の意図を類推し、その人用にセットアップして快適な環境を作ろうというものなのです。でも私は個人の行動を追いかけるのはよくないと、思っています。 ウェアラブルコンピュータ(※3)についても、私は疑問に思っています。将来のコンピュータに関してどういうふうに考えるかというのは二つあります。一つはコンピュータをうんと軽量化したり使いやすくして常時身に付けるというもの。もう一つは、自分は何も持たないけれど、手の届くところにいつでも使えるように社会的なインフラが整備されているというものです。私は後者のほうがはるかに快適だと思っています。
(※3) ウェアラブルコンピュータ Wearable computer 90年代中頃にマサチューセッツ工科大学で最初に提唱された概念で、超小型コンピュータを身に付けて使用するというもの。ヘッドマウントディスプレイ付きのパソコンや、デジタルカメラ・PDA(携帯端末)の機能を持った腕時計など、製品化されたものもある。
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